デジタルヘルスが当たり前の世の中に 柳川 貴雄

医師のキャリアコラム[Challenger]

ドクターズ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO
日本脳神経外科学会 専門医

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/横井かずえ 撮影/皆木優子

「ITツールを駆使しなければ、地域医療は持たない」信州大学で学び、長野県の地に骨をうずめるつもりで臨床一直線だった柳川貴雄氏が、大きく進路を変更させたのは危機感からだった。脳神経外科医として2500症例を執刀してきた経験からも、現場の課題を解決するにはデジタルヘルスが必要であることを痛感。活躍の場を大学病院からベンチャー企業へと移し、医療現場とデジタルヘルスをつなぐ懸け橋となるべく挑戦を続ける柳川氏の足跡をたどった。

現場目線とリアリティーを追求 2年で取引先企業は100社に上る

始まりはシェアオフィスの一室で、たった3人でのスタートだった。「当たり前にデジタルヘルスを活用できる世の中を作る」という大望を抱き、柳川氏がドクターズ株式会社を本格稼働させたのが2019年の10月のこと。それからわずか2年足らずの間に取引先企業は100社におよび、その中には誰もが知る大手企業が名を連ねている。

なぜ、同社はこれほどまでに急成長したのか。それは、世の中でデジタルヘルスへのニーズが急増しているのに、医療現場での活用が遅々として進まず、両者の間には巨大な壁があることが最大の理由だ。

「世に多くの優れたデバイスやアプリケーションはある一方で、誇張ではなく、医療現場には全く根付いていません。この谷間を埋めようと立ち上げたのがわれわれの会社です」

医師によるベンチャー企業の立ち上げは珍しくなくなっているが、柳川氏のスタンスを特徴づけるのは徹底した「医師の現場目線」と「リアリティー」。10年以上におよぶ脳神経外科医の経験の中で、自ら感じた疑問や問題意識がビジネスのエネルギーを生み出している。

大阪府大阪市出身で、両親は地元で洋服屋を営んでいた。
「アパレルなどという格好のいいものではなく、卸から仕入れる地域の洋品店でした。一番いいときで4、5店舗経営していましたね」

事業を営む両親からは「堅実な仕事、資格のある仕事」に就くように言われて育ち、柳川氏は医師を目指し、姉は歯科医師となった。「商売は調子のいい時もありますが、いつまでもそれが続くわけではありません。身をもって事業の大変さを経験していた両親からは、とにかく堅実な仕事に就くように早くから言われていました」

脳神経外科医として2500例を執刀 ITがなければ現場は持たない

進学したのは信州大学だ。第一志望ではなかったと語るが、入学してみると信州の環境は快適で、自然豊かな中で勉学や硬式テニスに打ち込んだ。

「学生時代を過ごすうちに、自分の中の余計なプライドが消えていく感覚を味わいました。卒後、大阪に帰ろうと思っていたのですが、6年間を過ごすうちに『長野県に骨をうずめてもいい』とまで思うようになったのです」

その言葉通り、卒後は同学の脳神経外科に入局。脳神経外科医を選んだのは、手術から地域医療まで幅広く関わることができるからだ。

「脳神経外科は手術のイメージが強いですが、実際には脳梗塞で手術の適応にならない人や脊髄系の病気の他、めまいや立ちくらみなどのCommon Diseaseも領域です。また、脳梗塞・脳出血などの脳卒中の後遺症ではリハビリもあり、さらには退院後の地域連携にも関われたことが魅力でした」

入局後は脳神経外科専門医を取得し、およそ10年にわたり臨床に従事。執刀した脳外科手術数は2500例に上った。

「当時は『起業のきの字』も考えていませんでした。都市部と異なり、いろいろな情報やビジネスチャンスがあるような環境でもなかった。医者なら医局に入り、患者さんを診察して手術をする。それが自分の世界の全てだと考えていたのです」

しかしながら診療圏内に医療過疎地域も抱える長野県という土地柄、「ITツールがなければ地域医療は持たないのでは」と考えるように。また、ギリギリのマンパワーで業務を回す医療現場を救うためにも、ITシステムの必要性を痛感するようになっていった。

IoMT学会を設立 ビジネスの世界への第一歩へ

あるとき、テニスを通じて学生時代から親交のあった、猪俣武範氏(順天堂大学医学部眼科学講座・デジタル医療講座准教授)が米国留学から帰国。彼から、米国では当たり前のように医療現場でIoT(Internetof Things)があると聞いた柳川氏は強い衝撃を受けた。

「アメリカでは日本より10年以上、IoTが進んでいると聞いて、医療現場目線のデジタルを学びたいと強く思いました」

その思いが形になり、2016年に猪俣氏と一般社団法人IoMT(Internet of MedicalThings)学会を設立。IoMTとは、さまざまな物をインターネットにつなぐIoTの中でも、特に医療機器やヘルスケアに特化して、ITシステムをネットワークでつなぐ概念のことだ。この学会は柳川氏が病院以外の世界へ飛び出す第一歩となった。

学会を立ち上げて試行錯誤で活動を進めるうちに、次第に追い風が吹いてきた。オンライン診療をはじめ、世の中がデジタルヘルスに大きくシフトし、ベンチャーキャピタルなどが医療IT領域に投資するなど、世間の関心が高まってきた。

そうした中、柳川氏もデジタルヘルスデバイスとして、「心電図分析支援サービス」を開発した。脳梗塞の約3割は不整脈が原因であり、これを治療しなければ脳梗塞は再発を繰り返す。脳梗塞の原因となる心房細動などの不整脈を発見するには、心電図検査が必要だ。脳神経外科医として診療する中で心房細動の発見の必要性を痛感していた経験から、クラウドでデータを送り専門医が心電図を分析する遠隔連続IoT心電図検査サービス『医心電診』を構築。日本で初めてデータを転送するタイプの心電図システムとして薬事承認を取得した。

このときの経験で、脳神経外科医として病院に勤務している中では触れることのなかった、PMDA(医薬品医療機器総合機構)や薬事承認、診療報酬の保険点数の枠組みなどを学び、それがそのままドクターズ株式会社設立へとつながっていった。

「本当に役立つシステムを作るには、医師としての現場目線が欠かせません。技術者目線だけで進めてしまうと、結局『こんなの現場では使えない』というものが出来上がってしまうのです」

医局は自分を守ってくれる存在 でも、挑戦したかった

脳神経外科医としてまい進する中で、ビジネスへと大きく進路を変更することに、迷いはなかったのか。

「ビジネスの世界への挑戦に不安はありませんでした。しかし医局を出ることには、正直言って不安を感じました。医局は私を守ってくれる存在です。キャリアについても考えて導いてくれる。その環境を手放すのは躊躇(ちゅうちょ)しましたが、最終的には、不安よりも挑戦したい気持ちが勝ったのです」

ドクターズ株式会社は、ひと言で言えばデジタルヘルスを広く支援し、世に送り出すプロデューサーのようなものだ。

「世の中には次々に新しいデジタルヘルスサービスが生み出されています。しかしそれが医療現場に浸透しているかというと現実はそうではない。医療分野に参入したい企業側と医療現場との間にある大きなギャップを解消するために、医療現場のリアリティーと医療テクノロジーを掛け合わせて、本質的な医療の仮想化を実現することが目標です」

この思いを具現化するために、大きく3つの活動を展開している。

一つはデジタルヘルスの開発をサポートする「Doctors Cloud™」だ。ここでは医療現場で実際に活用できるサービス・デバイス設計などを支援し、続いて臨床試験、医療機器認証、学会・論文対応までも請け負う。同社には、デジタルヘルスを推進していく理念に賛同し、最前線で活躍する400人超の医師が登録している。彼らから現場目線でのフィードバックを受けることで、実際に活用できるシステム開発を目指す。

システムを開発したら、次は流通である。現状では、ヘルスケアシステムやデバイス・アプリケーションなどのデジタルヘルスの流通を担う本格的なしくみが存在しない。医療現場では、卸の流通網が非常に強いという歴史的な背景がある。そのため高く評価されるものが作れたとしても、それがすぐに医療現場で使われるわけではない。

「いいものを開発しても、それを現場の先生に届けるしくみがありません。医療ベンチャー企業などでよくあることですが、医療機関独特の卸による流通体制を軽視しがちです。そのため例えば企業が講演で認知症患者に対するサービスを『認知症患者が将来約700万人に到達するので、その10%が使用しても70万人の利用者が見込める』などと説明してしまうのです。しかし実際には、医療機器やシステムが流通するためには、かなり複雑なしくみが存在しています」

各地域の卸との連携体制の構築を進めようとしても、デジタルヘルスのしくみは複雑で、卸の営業担当が全てを理解することは難しい。そこで、医師が直接さまざまな企業のデジタルヘルスサービスを導入することを可能にするポータル、医療DX総合支援サービス「DoctorsNext™」を構築した。ここでは、卸の営業担当が“医療エキスパート”としてデジタルヘルスの購入を検討している医師をサポートし、医療機関へのスムーズな流通を可能にしている。

三つめの「Doctors Station™」は、医療機関がデジタルヘルスシステムに興味を持って導入した後の利活用をサポートする取り組みだ。いいシステムは実際に現場で活用されて初めて意味を持つ。その利活用をサポートし、システムを活用したデータの収集や分析まで見据えたプラットフォーム事業である。

「ドクターズクラウドで開発し、ネクストで流通させる、そしてステーションで実際に使ってもらい、データを収集する。ここまで一気通貫して全てを行う事業体はこれまでにありませんでした。その意味でわれわれに競合はいないのです」

医師による起業は第2フェーズ “現場目線”がより求められる

開発から流通、現場での利活用まで一気通貫で行うサービスは注目を集め、本格稼働から2年足らずでおよそ100社から引き合いが来るほどに成長した。その取引先は医療機器メーカーや製薬会社はもちろん、製造メーカー、食品から家電メーカー、旅行会社に至るまで幅広い。また、新型コロナウイルス感染症関連では行政からも業務を受託する。

「コロナ対応にしてもデジタルヘルスにしても、求められるのはスピード感です。われわれはシステムと人の両面でさまざまなサービスを支援できるのです」

柳川氏は医師によるビジネスは第2フェーズに入ったと見ている。

「医師がビジネスにチャレンジする第1フェーズでは、必ずしも現場経験というのは重視されませんでした。しかし第2フェーズに入ってくると、いかに現場目線に立って課題を解決できるかという医師の視点が必要になります。私自身、臨床経験が10年あってもまだまだ分からないことばかり。その中で試行錯誤してきた経験が、今に大きく役立っているのを日々、痛感します」

他業種と比べてデジタル化が遅れている医療業界に、どこまでデジタルヘルスを根付かせることができるのか―。柳川氏の挑戦はまだ、始まったばかりだ。

「世の中に数多くある優れた技術をいかにして医療機関の先生方に届け、患者さんの治療に役立てていただけるか。デジタルヘルスを当たり前に活用できる世の中を目指して、やるべきことは山積みです。『デジタルヘルスはドクターズに頼めば何とかしてくれる』と多くの人に思ってもらえるまで、泥臭く現場に入って共に課題を解決していきたいと考えています」

P R O F I L E
プロフィール写真

ドクターズ株式会社 代表取締役社長 兼 CEO
日本脳神経外科学会 専門医
柳川 貴雄/やながわ・たかお

2007 信州大学医学部医学科 卒業
2007 信州大学附属病院 初期研修
2009 脳神経外科専門医・指導医資格 取得
2016 一般社団法人 在宅健康管理を推進する会 発足
日本初の医師による遠隔見守り事業「見まもりブレイン」開始
2016 一般社団法人 IoMT学会 創設、理事に就任
2018 株式会社ZAIKEN 創業
2019 ドクターズ株式会社 創業
座右の銘: 医療の新しい未来を創る
愛読書: 『神経局在診断』Peter Duus 著
(私の脳外科医としてのバイブルです)
影響を受けた人: イーロン・マスク
好きな有名人: 錦織 圭
マイブーム: 筋トレ・硬式テニス
マイルール: 常に迅速に対処すること

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2021年10月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。