“情報発信”を武器に、子どもの健康と命を守る 坂本 昌彦

医師のキャリアコラム[Challenger]

佐久総合病院 佐久医療センター 小児科 医長 兼 国際保健医療科 医長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/田口素行 撮影/緒方一貴

佐久医療センターの小児科と国際保健医療科での診療の傍ら、医療機関への適正受診の啓発や、子どものホームケアの方法について情報発信する【教えて!ドクタープロジェクト】のリーダーを務める坂本 昌彦氏。優れた臨床医として、目の前の患者はもちろん、「ヘルスコミュニケーション」によって数多くの人々の健康と命を守っている。ヘルスコミュニケーションとは、患者の健康行動や医療行動の変容を促すためのコミュニケーションのことであり、現在注目されている学問だ。坂本氏は、敷かれたレールには乗らず、自らキャリアを切り拓き、現在も挑戦の手綱を緩めることはない。そんな坂本氏のキャリアの軌跡をたどり、医師人生を自ら切り拓くヒントに迫った。

ひたむきに頑張っていれば誰かが必ず見てくれている

「やりたいことをやってきただけなんですよ。これをしなきゃと思うと、居ても立ってもいられないんです」

自らのキャリアをそう語る優しい笑顔が印象的だ。この言葉と表情に坂本 昌彦氏の生き方が凝縮されている。

元々、ジャーナリストになりたかった。文系で、文章を書くのが好き。取材で世界を飛び回ってもみたかった。だが高校2年生のとき、途上国でも活躍していた医師の講演を聞き、その生き方に憧れ、医師を目指すことに決める。理系への方向転換に苦労し、2浪の末、名古屋大学医学部に入学。将来、途上国の医療に携わりたいとの思いも抱いていた大学時代、ポーランドに留学した。そこで坂本氏は大きなピンチを迎える。

「現地で虫垂炎になったんです。手術は全身麻酔でしたが、意識が落ちる前に筋弛緩剤が効いてしまい、呼吸ができない苦しみを味わいました。さらに退院して寮に帰り、翌朝起きると下半身がベトベト。傷口が大きく開いていたんです。それを何とか指でつまんで閉じながら急いで病院に駆け込みました」

だが、この留学で刻まれたのは手術の大きな傷痕だけではない。坂本氏は留学先にバイオリンを持参し、授業後には音大オーケストラにもぐり込み、練習に参加していた。真面目に練習に打ち込む姿を見ていた指揮者に気に入られ、スイスへの演奏旅行メンバーに選抜されたのだ。このとき、坂本氏の胸に人生を支える言葉が刻まれた。

“頑張っていれば、誰かが見ている”

「今、評価されなくとも、ひたむきに頑張っていればいつか誰かが注目し、選び出してくれる。このときの出来事が僕の座右の銘になりました」

大学卒業後は名古屋大学の小児科に入局。関連病院を回りながら小児科専門医を取得した。小児科を選んだ理由は、子どもが多い途上国では必ず小児医療が役立つと思ったため。さらに、学生時代に出会ったある少女の存在も少なからず影響している。

「ポリクリのとき、先天性の病気で入院生活を繰り返していた女の子に出会いました。つらいはずなのにいつも笑顔。僕が落ち込んでいるときには、『そんな顔していないで笑ったら』と、励ましてくれるような子で」

大学卒業後も、大学に顔を出すたびに彼女の姿を見つけ、お互いの近況報告をした。若手時代の辛苦を笑顔で励まし、支えてくれた存在である。

卒後7年目、坂本氏は途上国の医療に携わる第一歩を踏み出そうとする。医局を離れ、熱帯医学を学ぶためにタイへの留学を決断した。だが、留学直前に東日本大震災が起きる。海外に行っている場合ではないと留学を延期し、岩手県の緊急医療チームの活動に参加。その後、福島県立南会津病院に勤務した。

福島の冬は厳しい。ごうごうとうなる吹雪の深夜、1歳くらいの子どもを抱えた母親が救急外来を訪れる。診察すると熱は高くなく意識も正常。顔色も悪くない。家で寝かしておけばやがて回復するものだった。吹雪と暗闇のなかを車で片道1時間半もかけて移動する方が断然リスクは高い。それに急ぐ必要のない受診は救急逼迫(ひっぱく)にもつながる。

またあるときは、女の子が原因不明の下痢で受診した。話を聞くと「米のとぎ汁が放射能に効く」という根拠のない情報を信じ、毎日そればかり飲み続けていたことが分かった。これではダメだ。正確な医療知識をどうにかして伝えていかなければ――。

坂本氏は患者への啓発活動の重要性を実感し、後の【教えて!ドクタープロジェクト】の原型となる保育園への出前講座や啓発パンフレットの作成に取り組み始めた。

治療さえすればいいわけではない 公衆衛生の重要性に気付く海外経験

2012年、坂本氏は1年延期していたタイ・マヒドン大学への留学で、熱帯医学を学ぶ。2013年にはネパールの首都カトマンズから車で約8時間もの場所にある、ネパール・ラムジュン郡立病院にて無給で医療活動を行った。ここで坂本氏は日本の医療では考えられない体験をする。

「高熱で担ぎ込まれた子どもがいて、髄液検査したところ細菌性髄膜炎でした。抗菌薬を点滴すると2日ほどで熱が下がってきましたが、この治療は2~3週間ほどの点滴投与が必要。しかし、母親が入院費用を払えないと3日目に連れて帰ってしまったんです」

こんな話もある。坂本氏の同僚がバスの車内で、顔色の悪い赤ちゃんを抱いた母親を見つけた。「すぐに病院へ連れて行くべきだ」と言うと、母親は頑なに拒み「まずは祈祷(きとう)師にみてもらう」と言う。なんとか説得して病院に連れて行くと、胃腸炎による下痢でひどい脱水症状だと判明。すぐに入院させ点滴を投与すると1日で顔色が良くなった。「これなら助けられる」と思ったとき、再び同じ問題が起きる。

「お金が払えないからと母親が家に連れて帰ろうとしました。でも、このときはたまたまキリスト教団体からの資金援助があり、入院治療を続けることができたんです」

この出来事で坂本氏は痛感した。患者を治療すれば、それで全てが解決するわけではない――。

「この話には複数の問題背景があります。その母親はわずか15歳でした。貧困や、国に保険制度がなかったこと、病院へのアクセス難、根強い祈祷師への信仰風土、そして若年結婚により子育ての知識が乏しいまま親になること――こうした課題を解決しなければ、同じ問題が繰り返される。公衆衛生の重要性を改めて突きつけられました」

帰国した2014年、坂本氏は現在の佐久医療センターに入職する。国際保健医療科が開設されており、海外経験を生かすことができると思った。院長も、「海外経験を若い医師たちに伝え、グローバルヘルス活動にも力を入れてほしい」と歓迎してくれた。坂本氏が海外で得た経験を若手医師たちに伝えることは、彼らを通して海外の人々に役立つかもしれない。坂本氏は小児科と国際保健医療科に所属し、小児診療だけではなく、海外研修生の受け入れや初期研修医の海外研修支援にも取り組む。また、「渡航者外来」も運営し、ワクチン接種などの感染症対策や現地情報の提供、生活アドバイス、企業からの健康相談にも対応する。

坂本氏は着任後から、「地域で患者さん向けに医療の啓発活動をしたい」と周囲に話していた。そんなとき、佐久市から佐久医師会に子育て支援事業への協力依頼があり、責任者に推薦される。そして2015年、坂本氏をリーダーに【教えて!ドクタープロジェクト】がスタートした。

子育て世代の心を鷲掴む リアルで実用的な情報発信

【教えて!ドクタープロジェクト】では、保育園への出前講座や、冊子、Webサイト、スマホアプリ、SNSを活用し、子どもの事故を防ぐための情報や、受診の目安などを発信している。正確で、分かりやすく、安心感のある情報提供を徹底し、一つの発信を行うにも複数の文献を参考にしている。

「一字一句、根拠のある言葉を選んでいます。世に出ている医療情報の中には、ふんわりした内容で『心配なら病院に行ってください』と締めくくっているものも多いですが、親御さんが最も知りたいのは受診の目安。医者だからこそ踏み込める部分があり、それをしっかり示すようにしています」

さらに、“かゆいところに手が届く”実用的な情報提供力も強みだ。例えば、旅行中の体調管理に関する情報発信では、家族の病気が理由で旅行をキャンセルする場合、「医師の診断書があれば航空チケット代金が払い戻されることがある」といったプラスアルファの情報も盛り込まれている。

また、『子どもは静かに溺れる』ということを啓発するフライヤーは、SNSで発信した途端、その意外性から爆発的に拡散され、多くのメディアに取り上げられ、行政も啓発のため動いた。こうした子育て中の親の心に“フック”する情報発信は、プロジェクトに参加しているWebデザイナー、イラストレーター、プログラマーといった非医療従事者の目線や、坂本氏が小児救急、渡航医学、公衆衛生などでつながりをもった関係者たちの多様な視点と実際の体験談があってこそ可能となっている。

「子どもを守る主役は医師ではなく保護者。さまざまな手段で保護者へ正しい情報を届け、適切なホームケアにつながれば、小児救急の逼迫も防げるかもしれません」

坂本氏はこのプロジェクトに無償で関わっているが、自身へのメリットも大きいと語る。

「多くの文献を調べるようになり、とても勉強になっています。外来での説明の質が高くなり、さらに作成したフライヤーを患者さんに渡すことで、診療の質を落とすことなく診療時間の短縮もできます」

スマホアプリの登録者数は現在約40万人。評判は高いが、坂本氏には「実際に役立っているのか?」という疑問があった。そうして2021年に帝京大学公衆衛生大学院の博士課程に進み、アプリ啓発の効果検証の研究を始めた。そこで分かったのは、アプリ利用者はそうでない人よりもヘルスリテラシーが高いこと、また、アプリをダウンロードするだけではなく、使いこなせるよう使用者にレクチャーすることの重要性だ。そのためにも出前講座などでの対面式の交流は欠かせない。アプリをより充実させ、効果的に使ってもらうことを目指し、さらに検証を続けている。

一人でも多くの人を助けたい 一人も事故で死なせたくない

坂本氏は挑戦への手綱を緩めない。今後の目標を聞くと、間髪を入れず「やりたいことはまだまだたくさんあるんです」と目を輝かせる。

「アプリの多言語化や、在住外国人にも理解できる“やさしい日本語”を用いた情報発信で今届いていない層にも情報を届けたい。出前講座もいろんな場所でしたいですし、絵本を通じた子どもへの啓発活動も充実させたいです」

坂本氏が監修した『きゅうきゅうばこの絵本』を購入した母親からこんな感想が送られてきた。「2歳半の子どもに読み聞かせをしたところ、子どもが転んだ際、『ママ、水!ママ、水!』と言ったことに感動しました」。絵本には“傷は消毒せず、まずは水で洗う”ことが描かれている。

「子どもたちは僕たちが思っている以上に理解しています。子どもからの発信で保護者を啓発することもできるはず。自分の子どもや孫の言葉はちゃんと聞きますもんね」と坂本氏は微笑む。

小児救急、渡航医学、公衆衛生学といった幅広いバックグラウンドを有する坂本氏だが、「ヘルスコミュニケーションを大切にしたい」という言葉には、情報発信に対する強い思いがうかがえる。確かに、坂本氏のキャリアは、最初に目指していたジャーナリストにも似ている。海外へ飛び、記事を書き、さまざまな媒体で情報発信をして人々の行動を変える――。

「やりたいことをやってきただけなんです」

そう謙遜する坂本氏だが、キャリアの軌跡には一貫して“一人でも多くの人を助けたい。一人も事故で死なせたくない”という揺るぎない信念が通っている。その信念を実現する手段として、坂本氏はヘルスコミュニケーションという武器を携え、人々の命と健康を守るために挑戦を続けている。

医師は誰もがつらく、悔しい経験をする。坂本氏のように自ら動き、挑戦する医師ならなおさらだ。防ぎ得た死、あと一歩でかなわなかった救命。本人にしか分からないつらさと悔しさがあったに違いない。情報発信も同じだ。発信力が大きければ時に反発意見も押し寄せる。だが、坂本氏はそういった人たちを否定せず、少しでもつながっていればやがて心を開き、理解してくれる日が来るかもしれない、と諦めない。だから坂本氏はイソップ童話「北風と太陽」でいう太陽のように、優しく情報を発信し続ける。

「そんな顔していないで笑ったら」

そう言って、医師駆け出しの時期を励ましてくれた彼女は、残念ながら5年ほど前に亡くなった。今でも何かあると彼女の笑顔を思い出す。坂本氏は医師としてのつらく、悔しい思いや熱い信念を内に秘め、それを優しく穏やかな微笑みに変えて今日も患者に向かい、あまたの人々に情報を届ける。

P R O F I L E
プロフィール写真

佐久総合病院 佐久医療センター 小児科 医長 兼 国際保健医療科 医長
坂本 昌彦/さかもと・まさひこ

2004 名古屋大学医学部 卒業
厚生連安城更生病院 臨床研修/小児科 医員
2008 名古屋大学医学部附属病院 小児科 医員
2009 江南厚生病院 小児科 医員
2011 福島県立南会津病院 小児科立ち上げ
2012 タイ・マヒドン大学 熱帯医学部ディプロマコース
2013 ネパール・ラムジュン郡立病院 小児科
2014 佐久総合病院 佐久医療センター 小児科・国際保健医療科
2021 帝京大学公衆衛生大学院(SPH)博士課程

資格

小児科学会専門医、熱帯医学ディプロマ、PALSインストラクター

専門

小児救急、渡航医学

所属

日本小児科学会(救急委員)、日本小児救急医学会(代議員・広報委員)、
日本小児国際保健学会、日本国際保健医療学会理事、日本渡航医学会

        
座右の銘: 頑張っていれば、誰かが見ている
愛読書: 『命の格差は止められるか』イチロー・カワチ
『城砦』A・J・クローニン
影響を受けた人: 川原 啓美(外科医)、中野 貴司(小児科医)
マイブーム: 旅先で酒器を探すこと
宝物: わが家のチワワ3匹

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2024年2号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。