小児医療の拠点PICUを牽引 日本初、小児集中治療の基礎を築く 植田 育也

埼玉県立小児医療センター
集中治療科長/部長
[Precursor-先駆者-]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/皆木優子

新生児の集中治療を行うNICUに対して、生後数週間の乳児から15歳までの小児集中治療に対応するPICU。日本ではまだ、小児専門の集中治療医が常勤し、24時間体制で小児の救命救急医療を行っている施設は数少ない。植田育也氏は米国で小児集中治療の経験を積み、それまで臓器別に専門化されていた日本の医療体制の中に、新たに救命治療に特化した集中治療の分野を持ち込んだ。そこには、各診療科の医師や医療スタッフたちの意識を変えなければならない難しさや、小児集中治療を提供するためのハード面の整備など、乗り越えなければならない多くの課題があった。

5000例以上の小児呼吸器管理を実施

日本における新生児死亡率の低さは世界でもトップレベルだが、1〜4歳の小児の死亡率は先進国で米国に次いで2位という。新生児と小児の医療で、なぜこのような差が生まれるのか。

一つには、新生児の救急に対応するNICUが国内でしっかりと整備されているのに対して、小児の集中治療室であるPICUの整備がまだ不十分であることが挙げられる。地域によっては小児重症患者を診ることができる病院がないところも多く、初療を行った医療機関が次の搬送先を見つけることが難しい現状がある。

周産期医療に比べて絶対的な患者数が少ない小児の領域では、これまでそうした数字が見落とされてきた。しかし、そのことにいち早く気付き、PICU開設のために尽力してきたのが、小児専門の集中治療医、植田育也氏である。これまで5000例以上の小児の人工呼吸器管理を行ってきた、小児集中治療のエキスパートだ。

「重症患者への対応で適切な処置ができないことがあっても、それが年に1、2回という少ない頻度のため"仕方がないこと"として流されてしまっているのではないか。小児科医として見過ごせない問題だと思いました」

そうした問題に向き合うため、まだ日本にPICUがなかった時代に米国で学び、PICUを中心とする小児集中治療のシステムを各地の拠点病院に根付かせてきた先駆者だ。

PICUが先行するシンシナティ小児病院へ

植田氏は大学を卒業して母校の大学病院で小児科研修をスタートさせたものの、臓器別に細かく区分された診療に、次第に疑問を感じるようになる。各専門分野では高度な医療を提供している医師たちが、重症の救急患者が搬送されてくると途端に自信を失ってしまう姿を目の当たりにした。

「まだ診断がついていない重症患者をどう診るかは、臓器別に専門が分かれてしまうと難しい。救命治療をして、その後の集中治療につなげていくという点においては、日本のシステムはうまく機能していないと感じました」

そのため、植田氏は当時ER型救急やICUなどの救急の仕組みが進んでいた米国で研修を受けようと動き出した。特につてを持たない植田氏は、米国の病院に直接手紙を書いて留学の許可を求めた。そのうちの返事が来た中から、オハイオ州にあるシンシナティ小児病院の集中治療科を選び、1994年からそこで研修を始めた。

当時、日本ではNICUができたばかり。出産後すぐに異常が見つかるか、あるいは分娩異常があればNICUで集中治療をするが、一度退院してしまうと、日本では小児科 領域に移る。救命医療が必要な小児でも、救命医療に慣れていない小児科医が診るか、小児診療に慣れていない成人領域の救急医や集中治療医が診るしかなかった。

米国では、小児専門の救命治療を担うPICUがすでに整備され、患者が広域搬送により集約化され、小児の集中治療専門医が診る独自の仕組みができあがっていた。PICUを持つ病院が広域をカバーし、ドクターヘリで患者を搬送していた。

各科の医師と一緒になって全身管理を行うシステム

小児の救急分野では、日米で大きな差があったものの、米国に少しでも近づけなければいけない。

その頃、カナダでPICUについて学んでいた田村正徳氏(現埼玉医科大学総合医療センター小児科主任教授)が、長野県立こども病院にいた。同院でNICUを新たに開設していた田村氏は、米国で小児集中治療専門医を取得していた植田氏に目を付けた。周産期医療センターが新設され、長野県立こども病院の小児集中治療をさらに整備させる計画が進んでいたことも後押しとなった。

植田氏も、小児専門の集中治療医が各科の医師と一緒になって、24時間体制で患者を診ていくシステムの確立を日本で目指していた。田村氏に声をかけてもらい、一挙に実現に近づく。病院の中でPICUが機能するには、「診療科ごとの診療」に加え「病状の経過」に対しても患者に関わっていかなくてはいけない。

これまで長野県立こども病院、静岡県立こども病院、埼玉県立小児医療センターと3つの病院でPICUを立ち上げてきた植田氏だが、開設の際には、まず集中治療医の役割を各科の医師、看護師、コメディカル、そして患者に理解してもらうことが一番難しいという。

患者にとってベストな医療をコーディネート

「病状が悪化したときだけ必要な集中治療医は、患者さんにとっても各科の主治医にとっても"異質なもの"。心臓血管外科患者の呼吸管理や脳神経外科患者の循環の問題など、各科の主治医が全てに対応するというのには限界があります。全身を統括して診断する医師がいなければなりません」

患者にとってベストな医療を提供するために、それぞれの専門医、各セクションの力を最大限に発揮させ、コーディネートするのが集中治療医の役割だ。各科の医師と緊密に連携をとりながら、少しずつ信頼を得ていく。若手の集中治療医には迷ったときは、その患者さんにとって一番だと思うことをやるように教えている。

PICUを中心とした診療体制を整えて、継続可能なものにする。そのシステムづくりこそが、立ち上げを担った植田氏が最も力を入れてきたところである。

小児の集中治療は家族へのケアも欠かせない

小児の救命救急には、難易度の高い治療も伴う。成人と違い、先天的な疾患の重症化が多いからである。生後1週間ほどの乳児から15歳までの患者のあらゆる病気に対応できるように、診療器具もサイズごとに細かく揃える。例えば、気管挿管のための気管チューブは、3mmから7.5mmまで0.5mm間隔で10種類を用意しておき、搬送された患者によって、どのサイズが適用かを瞬時に判断しなければならない。これが新生児や成人対象であれば2、3種類のサイズだけ準備すればよいが、小児領域がカバーする範囲はそれだけ広く、高度な技術が要求される。

また、症状が改善した患者は各専門医の下で病棟や外来での診療に移行していくが、PICUには重症患者が集約され助からない患者も少なくない。小児専門病院だと年間10 人から20人ほどの看取りをする。

「一般の小児科医に比べて子供の死亡に立ち会うケースが圧倒的に多い小児集中治療医にとって、患者やその家族へのサポートのスキルがとても大切です。『PICUでしっかりと治療をしてもらった』と思ってもらうことで、少しでもご家族の気持ちが和らぐように、考えながら診療しています」

地域病院でまず初療し小児拠点病院へ広域搬送

現在、PICUを有する施設は全国に約40ヶ所。しかし、集中治療医が一人で術後管理をメインに行う施設もあれば、10人以上の集中治療医が在籍し、全ての処置を任されている施設もあり、体制に差があるのが実状だ。

さらに、その中で小児専門の集中治療医が常勤し、24時間体制で救急受け入れを行っている施設はわずか10ヶ所。その10施設が「小児救命救急センター」として機能している。

「小児の重症者をまず地域の病院で初療し、広域をカバーする小児の拠点病院のPICUにドクターヘリなどで搬送することで、数少ない患者にも対応することができます」

一つの拠点病院がカバーする範囲は、人口300万人ほどが適正と植田氏は考える。PICUがある40施設全てが、救急患者受け入れの拠点として体制を構築できれば、日本国民全体をカバーし、米国の小児救急の医療レベルに近づける。その証拠に2007年にPICUを立ち上げた静岡県立こども病院のある静岡県では、開設前後の5年間で1〜1歳の小児死亡率は減少した。これには新しい予防接種の導入、抗アレルギー薬の進歩など、他の要因も関係しているが、PICUが着実に結果を出していることは明らかだ。

小児の集中治療を研修できる体制を整備

患者を集約化させることで医療レベルは上がり、人材育成にもつながる。小児科、救急科、麻酔科などから、小児専門の集中治療をサブスペシャルティとして選択する医師も増えてきている。

埼玉県立小児医療センターの集中治療科では、以前に長野や静岡で指導してきた医師をスタッフとして迎え、さらに小児の集中治療を研修できる体制を整えており、来年4月からは、これら経験豊富な医師が若手を指導しながら30人体制で診療に当たる予定だ。

長野県立こども病院で植田氏にPICU開設を託した田村氏は現在、埼玉医科大学総合医療センターに在籍中。そして、また再び、この二人でタッグを組んで、埼玉県の新生児および小児救急医療のレベルアップに日々務めていく。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2017年4月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

うえた・いくや
1991年 千葉大学医学部 卒業
千葉大学医学部小児科、関連病院で一般小児科研修
1994年 米国シンシナティ小児病院 集中治療科フェロー
1997年 米国シンシナティ小児病院 小児科シニアレジデント
1998年 長野県立こども病院 新生児科
2001年 長野県立こども病院 救急・集中治療科副部長
2006年 静岡県立こども病院 小児集中治療センター長/小児集中治療科医長
2015年 埼玉県立小児医療センター
集中治療室・救急準備担当部長
2016年 埼玉県立小児医療センター 集中治療科長/部長

◇資格
米国小児科専門医、米国小児集中治療専門医、日本小児科学会小児科専門医、日本集中治療医学会集中治療専門医、日本救急医学会救急科医専門医