[1]診療経過
医師である原告は、元々、MRIやCTを使用した画像検査や診断等を行っている被告の専門的な画像検査や診断を信頼し、本件以前には、医療連携の一環として、自己の患者を紹介していた。
また、原告本人も、平成24年7月19日に、人間ドックの目的で、全身の単純MRI検査などを受けた。
その結果は、頚部の咽頭および喉頭には明らかな異常は指摘されない、MRI検査上、明らかな悪性腫瘍を疑う所見は認められないというものであった。
平成27年7月12日に、平成24年の検診の3年後の定期健診として、被告との間で、人間ドックを目的とする診療契約を締結し、全身MRI検査(ホールボディMR検査)等を受けた。
同月19日ごろに、被告から、MRI検査の画像データ(本件画像データ)と、「右内頚動静脈の外側に、内部に小嚢胞を含むような1.6×0.9cm大の軟部隂影が疑われ、リンパ節腫脹や神経原性腫瘍などを疑いますが念のため、経過観察をおすすめします」「今回のMRI検査上、明らかな悪性腫瘍を疑う所見は認めませんでした」「右頚部の軟部陰影を疑い、経過観察をおすすめします」と記載された報告書を受け取った。
しかし、画像データの右上頚部には嚢胞状リンパ節腫脹が認められ、これは、医学的知見として、転移性腫瘍等との鑑別診断を要するものであった。
原告は、耳鼻咽喉科については専門外であったものの、1cmを超える腫瘤はがんが転移した悪性のものである可能性があり、以前は検出されていなかった腫瘤が新たに出現した場合には注意が必要であるという医師としての基礎的な医学知識を有していたため、上記軟部隂影について注意が必要なのではないかと考え、被告に対し、この陰影について経過観察で良いのか何度も問い合わせた。
しかし、被告からは、その度に、経過観察で良い、特に心配される所見ではない等の回答があった。
原告は、同年7月30日に、セカンドオピニオンを得ようと、別の病院(B病院)に連絡し、同年9月10日に受診した。
そうしたところ、すでに画像データを読影していたB病院の医師は、精密検査を準備しており、検査の結果、右上内深頚領域腫瘤が認められた。
同月14日の病理診断では、扁平上皮がんが認められ、中咽頭がん(ステージⅢ。3年生存率60%)と診断された。
原告は、同月28日に、B病院で手術を受け、その後、再発はなかった。
原告は、B病院の退院後、被告に対して、説明、謝罪および本件健診の自費診療代金相当額の返金等を求めたところ、被告は、平成28年4月20日、原告に対し、「本件は読影ミスではなく、むしろ画像診断医のコメントがその後の治療の契機にもなって、結果的に、早期に治療が行われることにつながったと考えられる」等と回答し、具体的な医学的知見を求めても、根拠が示されることはなかった。
[2]注意義務
人間ドックを目的とする診療契約は、画像データを読影して異常所見が発見された場合には、それを患者に伝え、精密検査を受診するよう指示することまでを内容とするものと解されるところ、本件において、被告は本件画像データの読影を誤ったため、原告に対し精密検査を受診するよう指示すべき義務を怠ったものである。
なお、被告においては、裁判所の訴訟進行の結果、裁判の途中からこのような過失があったことを認めたため、次の因果関係のある損害の範囲のみが争点となった。
[3]因果関係・損害
被告は、診療代金は診療契約上の義務違反の有無にかかわらず発生するもので損害にならず、また、人間ドックの診療契約が準委任類似で結果を保証しないため自費診療代金は損害にならない旨を主張していた。
これに対して、裁判所は、[2]のように、精密検査を受診するよう指示することまでを内容とする人間ドックの目的からして、その目的が達成されなかった部分に係る自費診療代金は、過失と相当因果関係のある損害というべきとした。
ただし、過失と相当因果関係のある自費診療代金は、ホールボディMR検査に係る代金に限られるとして、その割合を計算した。
また、慰謝料については、裁判所は、(i)軟部陰影の大きさから、原告が被告に対して、再三、具体的な問い合わせをしたにもかかわらず、被告において異常所見に気付くこともできず過失の程度が大きいこと、(ii)原告がこれまで医療連携として被告に紹介してきた患者の帰趨に不安を抱かせ、原告の信頼を裏切り失望させたこと、(iii)原告が医師として医学的知見を有しており、一般人には期待できないような慎重かつ適切な対応(セカンドオピニオンの取得)を取ることができたため結果的に大事に至らずに済んだが、放置すれば重篤な結果につながっていた可能性が高く、読影ミスによる治療への着手が遅れた可能性が否定できない中で、がん手術に臨まなければならなかった原告の不安や憤りは察するに余りあること、(iv)被告が過失を認めず原告からすれば理解困難な責任回避の姿勢に終始していたことを考慮して、原告の慰謝料請求額全額を認めた。
被告においては、原告が治療の時機を逸したことはなく、仮に遅延があるとしても10日ほどのことであり、この間の症状の悪化についての原告の危惧感は抽象的なものに過ぎず、慰謝料は極めて限定的である旨を主張していた。
これに対して、裁判所は、例え10日ほどであっても、被告の読影ミスによって治療への着手が遅れた可能性を否定できない状況下で、原告の不安や憤りは察するに余りあるものであるとし、また、本件においては、原告が、医師として、一般人には期待できないような慎重かつ適切な対応を取ることができたが、原告がそのような対応を取らなければ、より重篤な結果につながっていた可能性が高かったものであるから、がん発見が大きく遅延しなかったからといって、これを慰謝料減額の事情として殊更に斟酌することは相当ではないとした。
なお、本件が画像の読影が困難な症例であったということもできないと、裁判所は認定した。