1.母体保護法14条1項は、都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、[1]妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの(1号)、[2]暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫され妊娠したもの(2号)の[1]に該当する者に対して、本人および配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる旨を定め、同条2項は、前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなったときには本人の同意だけで足りる旨を定める。
2.診療経過等
平成29年3月31日、Aは、市販の妊娠検査薬で妊娠を確認し、同年4月4日、妊娠6週目(5週3日)で、人口妊娠中絶を希望して指定医師である被控訴人が開設し個人経営するクリニック(以下「本件クリニック」という。)を受診した。
その際、Aは、結婚歴の既婚の記載に丸印を付した問診票を提出した。
本件クリニックの職員は、Aから、現在離婚協議中で、妊娠しているのは婚外子であることを聴取したうえで、Aに対し、「子宮内容除去術の説明と同意」と題する書面を交付して手術内容や術後の留意事項等を説明し、手術に関する成人家族の同意が必要となるため、その署名がされた上記書面を提出するよう求めるとともに、人口妊娠中絶にあたり配偶者の同意が必要であることを説明し、本人および配偶者の自署押印欄のある「人口妊娠中絶同意書」を交付して記入、提出を求めたが、Aから、配偶者とは離婚調停中でサインを得られない、DVのような行為もあったなどと告げられた。
平成29年4月5日、「子宮内容除去術の説明と同意」と題する書面に自らの成人家族の署名をもらい、同月6日、Aは、本件クリニックを受診し、人工妊娠中絶のためのカウンセリング、術前検査を受けた。
カウンセリングを担当した本件クリニックの職員は、Aから、本人欄にAが署名押印したものの、配偶者の自署押印欄は白紙のままの「人工妊娠中絶同意書」の提出を受け、Aから、配偶者は生活費を入れてくれず、けんかばかりしていたため、1カ月前に離婚したこと、現在付き合っているパートナーは離婚前から相談にのってもらうなどしていたフィリピン人で、同人も同年6月に離婚予定であり、その協議のために本土に行っていること、今後も結婚を前提に付き合っていくつもりであること、こうした状況を考えて、パートナーと相談して今回は人工妊娠中絶を受けることを決めたことなどを聴取した。
平成29年4月8日、被控訴人は、本件クリニックの職員によるAからの聴取結果が記録された診療録を確認して、Aは配偶者と離婚していたものと認めたうえで、控訴人の同意を得ることなく、Aに対し、子宮内容除去術を施行して、人工妊娠中絶を行った(以下「本件人工妊娠中絶」という。)。
3.争点
争点は、不法行為の成否である。
4.裁判所の判断
(1)控訴人は、被控訴人がAの夫である控訴人の同意を得ずに本件人工妊娠中絶を行ったことにつき、母体保護法14条に違反し、Aに対する人工妊娠中絶が行われるか否かという場面において控訴人が意思表明をする機会を奪う違法なものであるとして、控訴人に対する不法行為が成立する旨主張する。
(2)母体保護法14条2項のうち「その意思を表示することができないとき」とは、意思能力のないことが法的手続きにより確認されているときだけでなく、事実上その意思を表示することができない場合を含み、また、妊婦が夫のDV被害を受けているなど、婚姻関係が実質破綻しており、人工妊娠中絶について配偶者の同意を得ることが困難な場合も、同条2項の規定する本人の同意だけで足りる場合に該当するものと解される。
(3)前記認定事実によれば、被控訴人は、[1]Aから、平成29年4月4日、既婚である旨の記載がある問診票の提出を受け、また、本件クリニックの職員を通じ、妊娠しているのは婚外子であり、配偶者とは離婚調停中で人工妊娠中絶同意書にサインを得られないこと、また、DVのような行為もあったことなどの説明を受けたこと、[2]同月6日、Aから、配偶者の自署押印のない人工妊娠中絶同意書の提出を受けるとともに、本件クリニックの別の職員を通じ、配偶者とは生活費を入れてくれずけんかばかりしていたため1カ月前に離婚したこと、現在付き合っているフィリピン人のパートナーも同年6月に離婚予定でありその協議のために本土に行っていることなどの具体的な事情とともに、Aおよびパートナーそれぞれの家族構成等を含めた具体的な説明を受けたことが認められる。
上記の説明内容のうち、離婚の成否に係る点については、同年4月4日と6日とで整合しておらず、被控訴人が、本件人工妊娠中絶を行う前に、この点についてAに再度の質問等を行うなどの確認をしなかったことは、不適切であったと言わざるを得ない。
しかしながら、仮に被控訴人が上記の確認を行い、Aがまだ離婚していない旨の疑いを持つに至ったとしても、Aと配偶者との婚姻関係が破綻状態にあり、その原因の一つとして配偶者によるDVのような行為があるという点については、人工妊娠中絶の対象が婚外子であることや、現在のパートナーの所在場所や同人との関係性について具体的な説明がされ、また、生活費を入れてくれない控訴人とはけんかばかりしているとの説明がされており、これらの説明内容については大筋において当初から変遷がなかったとの事情が認められ、このことに、母体保護法上、人工妊娠中絶を行うことができる指定医師には同法14条の要件充足性を判断するに当たり特段の調査権限が付与されておらず、妊婦から申告があった場合における事実関係の確認の方法には限界があることをも勘案すれば、被控訴人において、Aによる上記のような婚姻関係の状況等に関する説明内容を信用し、破綻状態の原因の一つとしてのDVの有無および内容等の具体的な態様につきさらなる聞き取りや関係官署等への確認等をしないまま、婚姻関係が実質的に破綻しており人工妊娠中絶について配偶者の同意を得ることが困難な場合に当たると判断することは、不合理とまではいえない。
(4)したがって、上記の事実関係の下では、被控訴人が、母体保護法14条2項に該当する事由が存在すると認識して、控訴人の同意を得ずに本件人工妊娠中絶を行ったことについて、指定医師としての注意義務を怠った過失があるとまで断ずることはできないから、本件人工妊娠中絶は、控訴人との関係で不法行為を構成するものとは認められない。