病理診断がトップランナーの武器となる
1989年、病理から臨床現場へ復帰。内視鏡科の助手として、活躍の場を与えられた。
東京慈恵会医科大学内視鏡科の歴史は古い。開設は1986年で、独立した大学病院の診療科としては国内で2番目の老舗だ。
当時の主任教授の鈴木博昭氏(現客員教授)からは「人それぞれ、自分の環境の中でできる範囲のことをやればいい」とアドバイスを受け、女性医師に活躍の機会がなかなか与えられない時代、この言葉に励まされながら、好きな内視鏡を続けていく。
ちょうどその頃、国立がん研究センターではITナイフの臨床応用が始まっていた。EMR(内視鏡的粘膜切除術)が主流で、1cm の病変の完全切除率は85%の時代だ。講師だった藤崎氏もこのITナイフに目を付け、ESDを開始する。
腫瘍部にヒアルロン酸を注入し、患部の粘膜を浮かび上がらせ、厚さ1mmの粘膜を下の組織を傷つけることなく切り取ることができ、腫瘍サイズにも制限がないのが特長だ。手術時間は2時間、しかも約1週間で退院。早期胃がん治療に革命を起こした。
さらに、がんの診断と治療をきわめるため目指したのが、癌研究会附属病院だった。
癌研究会附属病院には当時、早期胃がんの発見率が全国トップクラスの高橋寛氏(現昭和大学藤が丘病院院長)が、総合健診センター所長として籍を置いていた。高橋氏は、延べ7万人以上の胃腸診断を内視鏡で行うその道のエキスパートだった。その高橋氏に内視鏡診断の手ほどきも受け、藤崎氏はESDのトップランナーとして確固たる地位を築いた。