自ら医療ニーズを掘り起こした女性泌尿器科医療のパイオニア 加藤 久美子

名古屋第一赤十字病院
女性泌尿器科 部長
[シリーズ 時代を支える女性医師]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

日本では中高年女性の3人に1人が、妊娠や出産、加齢による骨盤底筋の緩みが原因で、腹圧性尿失禁、切迫性尿失禁(過活動膀胱)などの、いわゆる「尿もれ」を経験している。

また、骨盤底の緩みにより子宮が飛び出したり、腟壁と共に膀胱や直腸が下がったりする「骨盤臓器脱」は、尿もれとともに女性泌尿器科の二大疾患とされる。スポーツを諦めたり、引きこもりの原因になったりとその影響は大きく、近年受診者は増え続けている。

米国では80歳以上の女性の10人に1人が尿もれや骨盤臓器脱の手術を受けているが、日本では、いまだに介護に入ってようやく臓器脱に気付くことも少なくない。 患者が羞恥心から受診をためらうこともあるが、どの科を受診すればいいか分からない時代が続いてきたのだ。

名古屋第一赤十字病院女性泌尿器科部長の加藤久美子氏は、「尿もれ」や「骨盤臓器脱」などの、デリケートな疾患を扱う女性泌尿器医療のパイオニアだ。 1986年に日本初の女性尿失禁外来を立ち上げ、それまで敬遠されていた排尿障害に、「手術」という新たな選択肢を示した。 氏のこれまでの手術実績は、通算4000件以上に及ぶ。

診療から手術まで一貫して扱う泌尿器科に着目

加藤氏が泌尿器科を志したのは、名古屋大学の医学生時代だった。単一科で診療から手術まで一貫して扱えること、臓器の切除だけでなく排尿の機能性やQOLを重視する点に強くひかれた。しかも、当時は女性の泌尿器科医が全国に数人いるかといったところ。性差のある診療科でありながら「女性医師がほとんどいない」という現実に、人と一味違う仕事を望んでいた加藤氏はやる気と使命感を抱いた。

実は、加藤氏も過去に尿もれに悩むことがあった。しかし、周囲からは治療につながる具体的なアドバイスはなく、ましてや病院に行くなど考えもしなかった。「女性患者の治療ニーズはきっとある」。それは経験者ならではの確信だった。

しかし当時は、泌尿器科といえば男性患者の治療がメイン。医局は女性を歓迎しておらず、門前払いだったという。何とか教授のとりなしで入局したものの、カギのない当直室に寝泊まりするところから始まった。女性が入局することすら想定されていなかったのだ。

院内ポスター掲示で大目玉 "啓発活動"からニーズを発掘

名古屋大学では全国に先駆け、咳や運動で尿もれを起こす腹圧性尿失禁の手術を始めていた。しかし当時は薬物療法が中心であったため、手術で改善できるということが認知されていなかった。

当時、名古屋大学の大学院生だった加藤氏は、この状況にしびれをきらし、ある行動に出た。「咳をすると尿がもれませんか?」というポスターを作り、病院にことわることなく院内中の女性トイレに貼って回ったという。翌日には剥がさなければならなかったが、加藤氏はひるまなかった。週に一度通っていた名鉄病院に頼み込み、約1000人の女性職員を対象とする職場検診で、尿もれのアンケート調査の実施にこぎつけたのだ。

その結果、40代女性の2割に尿もれがあることが分かった。それまで尿もれは高齢者特有の症状だと思われていただけに、加藤氏は自信を深めたという。 このことを日本泌尿器科学会で発表し、新聞に掲載されると、全国から同じ症状を持つ女性が加藤氏のもとを訪れた。

「女性泌尿器科外来」を日本で初めて立ち上げる

入局当時の推論に確証を得た加藤氏は1986年、当時名古屋大学で講師を務めていた近藤厚生氏の勧めもあり、日本初の「女性尿失禁外来」を立ち上げた。

その後は、泌尿器科と婦人科の境界領域の疾患を扱うUrogynecology を学ぶため、米国と英国に2年余留学する。

その間、国内では女性泌尿器科外来が徐々に増えていった。また、胃薬で代用されてきた抗コリン薬が過活動膀胱薬として認可されるなど、治療水準も向上した。

しかし問題がなかったわけではない。当時の腹圧性尿失禁の手術は、尿道両横泌尿器科のスタッフと(2016年)実績は通算4000件以の組織を糸でつり上げ、尿道と膀胱の角度を調整するステイミー法(針式膀胱頸部拳上術)が主流だった。短期成績は良好だが、糸が切れたり食い込んだりするチーズワイヤー現象のために、数年後に再発する患者が少なくなかった。

加藤氏自身の尿もれも、出産を機に仕事に支障を来すほどに悪化していた。

状況が一変したのは、TVT手術という新たな術式の登場からだ。腟壁から腹部にポリプロピレンメッシュのテープを通し中部尿道をサポートするTVTは、時間が経過してもメッシュの網目に組織が絡まりしっかりと尿道を支えられる。長期成績も良好で、治癒80%、改善10%と、およそ9割に改善傾向が見られた。自身の尿もれもこの手術で改善している。

その後、膀胱や腸管を傷つけないよう足のつけ根にテープを通すTOT手術が導入されると、TVTとともに2泊3日の手術が可能になった。TVT、TOTは傷跡も5mm×2つと目立たず、ようやく加藤氏が目指してきた患者のQOLに配慮した手術ができるようになった。

女性泌尿器科の手術の進歩は今も続く

だが、女性泌尿器科で最も多い手術は、尿もれではなく、「骨盤臓器脱」である。

尿もれとともに、加藤氏の専門分野である骨盤臓器脱は、排便後やしゃがんで掛け湯をする際にピンポン玉のような臓器が指に触れて気付くこともあり、出産の負荷次第では、30〜40代で発症することもまれではない。過活動膀胱、排尿困難などの排尿トラブルを併発し、放置すれば歩行にも支障を来すなど、深刻な疾患になりうる。

リングペッサリーという下垂を抑える6〜8cmのリングを腟内に入れる治療をしていたが、長期留置するとおりもの、悪臭や出血の他、腟壁にめりこんだりする副作用があった。外科的手術も、子宮を摘除し腟を縫い縮める方法が主流で、命に別状がないだけに、負担感が大きかった。

そこに登場したのがTVM(経腟メッシュ)手術だ。フランスで誕生したこの手術は、TVTやTOTと同じくメッシュを使用し、緩んだ骨盤底の靭帯や筋膜をハンモックのように支えて補強する。

2005年から国内での導入が始まり、手術負担が軽く、子宮温存の希望が満たせて、これまで対応が難しいとされてきた子宮摘除術後の腟脱にも適用できることから、広く普及した。

2011年のFDAアラートで性交痛などメッシュ関連合併症のリスクが指摘されたが、本邦指針では講習会、合併症報告を通じて安全施行を進める方向性となっている。 最近では性交痛が少ないとされる腹腔鏡手術を導入する向きもあり、女性泌尿器科における手術の進歩は続いている。

患者のQOLを大切にしたい それが医師として不変の信条

手術のウエートが大きい女性泌尿器科だが、「重症度と支障度はイコールではない」と加藤氏は言う。

「患者さんの生活面への配慮が欠かせません。ですが、医師はこれを苦手とする人が多いですよね」

2016年度の診療報酬改定により、新たに排尿自立指導料が認められるようになると、尿道留置カテーテル抜去後の早期退院や在宅生活のサポートにも重点が置かれるようになった。

これを受け、名古屋第一赤十字病院では歩行困難や下着の上げ下ろしなどの弊害による排尿障害にも対応する目的で、医師・看護師・理学療法士のチームによる自立指導を開始した。こうした動きはますます加速していく。加藤氏のようにシンパシーを持って治療に当たれる医師の需要は高まる一方だ。

「女性医師が長く仕事を続けていくためには、サブスペシャルティを持つことが役立ちます。その意味で、規模の小さな女性骨盤底医療の学会は人脈が築きやすく横のつながりができやすい。泌尿器科と婦人科の垣根を越えて、今まさに賑わいをみせている診療科ですね」

自身の尿もれをきっかけに、自ら医療ニーズを開拓してきた加藤氏。その他を寄せつけない行動力で、今後ニーズの増す女性骨盤底医療を牽引し続けていくに違いない。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2017年5月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

かとう・くみこ
1982年 名古屋大学医学部 卒業
1986年 名古屋大学大学院医学研究科 修了
1987年 米ペンシルヴェニア大学泌尿器科 研究員
1989年 英国セント・ジョージ病院産婦人科 臨床研究員
1990年 名古屋第一赤十字病院 泌尿器科
2006年 名古屋第一赤十字病院 女性泌尿器科部長

資格
日本泌尿器科学会泌尿器科指導医・泌尿器科専門医