"高品質"を目指し信念を貫き通す心臓外科医 宮木 靖子

葉山ハートセンター
心臓血管外科 部長
[シリーズ 時代を支える女性医師]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 撮影/緒方一貴

一つの手術が長時間に及び、術後も循環動態管理で患者に付きっきりとなり、外科の中でも過酷といわれる心臓外科。外科医不足が叫ばれている中、「体力的に難しい」「プライベートがない」などの理由で若手医師からは特に敬遠されがちで、心臓外科の女性医師となると全体の5パーセントを切る。そんな環境に自ら進んで入ったのが、葉山ハートセンター心臓血管外科部長 宮木靖子氏だ。いまや、合併症ゼロの高品質心臓外科手術を目指し、日々執刀する。

女性外科医の手本なき時代に誰よりもがむしゃらに働く

小学生の時にテレビで開胸心マッサージを目の当たりにして、「自分もこんな心臓外科医になりたい」との一心で、医師の道を目指す。杏林大学医学部を卒業し、慶應義塾大学心臓血管外科の研修医となったのは、2005年。当時、研修医の現状を描いたベストセラー漫画『ブラックジャックによろしく』(佐藤秀峰著)が何かと話題になっていた頃である。

睡眠時間が1日1時間。それが1ヶ月も続くのがざらであった。体を洗いながら風呂場で寝てしまうこともしばしばだった。周囲からは心配する声もあったものの、「弱音は吐かない」と宮木氏は反論した。

「当時は、第一線で活躍する女性外科医のロールモデルがなかったので、男も女も関係なく誰よりも働かなくてはならないと考えていました」

手術は長くて当たり前。「寝る時間がないなんてどうってことない」と割り切り、やるからには音を上げないことを決め、自分の体力が続かないことを理由に辞めようと思ったことは一度もなかったという。

心臓外科医は研修医となってからさまざまな手術を学び、5、6年間は助手として執刀医をサポートする。その後執刀医になることができるか、すなわち独り立ちできるかが、まさに心臓外科医のターニングポイントとなる。

執刀医になることができなければ、男女に関係なく心臓外科医になることを諦め、別の道を選ばなくてはいけない。国内ではどうしても経験できる症例数が限られるため、新しい経験を積むために渡米を決めた同僚もいた。

「一流」を学ぶため札幌医大心臓血管外科へ

そんな時、心臓外科医、樋上哲哉氏(当時札幌医科大学教授)に出会う。ある研究会で宮木氏が、手術成績が格段に高い樋上氏にその理由を質問攻めにしたのがきっかけとなり、実際に見学に訪れ、その高い技術力を目の当たりにした。

「やはり一流に学ばなければ、自分も一流になれない。一流の心臓外科医でなければ、患者の命を救うことはできませんから。樋上先生から一流の技術を学ぼうと思いました。思い続けると道は自然と開けていくものですね」

樋上氏は、世界初の超音波メスによる内胸動脈採取法によって、オフポンプ冠動脈バイパス手術(OPCAB)を容易にしたパイオニアである。99%以上という高い救命率と長期グラフト開存率を保っており、開発から20余年を経た現在も全国で実践されている。バイパス手術を得意とし、大動脈基部の置換術や再建技術にもたけた樋上氏は弁置換術以外にないと診断されていた患者を、置換術をせずに治していく。

樋上氏は夜中まで掛かるといわれる再手術も初回手術と変わらぬ速さで終わらせてしまう。確実でトラブルが少ないから手術時間が短い。合併症がなく患者が早く回復するため、術後管理にも特段の注意を払う必要がないのだ。

一流の手術は「美しい」 そして"理屈"がある

師匠と仰ぐ樋上氏の行う手術を、宮木氏は「美しい」と表現する。

心臓の術式は、教科書に書いてあるものばかりではない。教科書に書いていないことを執刀医が行うこともよくあることだ。習慣的に行うが、なぜそうするのか、理由を教えてくれない場合も少なくない。だが、樋上氏は違った。宮木氏は同じ心臓外科医として、この手技を何としても自分のものにしたいと思った。

「樋上先生は、『理屈』を大事にします。どうしてなのか。"樋上流"には必ず明確な理屈がありました。必然性があるから、ここに糸をかけるなど、です」

樋上氏はアカデミックなことも重んじた。宮木氏は師匠の後を追うように学会発表にも積極的で、どんな些細なことでも重要だという認識を持って発表するようになった。 宮木氏は数年後には、難しい症例にも対応できる技術力を身に付けていた。

例えば、OPCAB。現在でも施設によっては術中に心臓の局所を持ち上げて脱転(裏側も縫えるよう心臓を立てること)することによる血圧低下がよく起こっている。 心臓が曲がり、血行動態が変化するためだが、それを樋上氏は、心臓の裏側の心膜を3本の糸で釣り上げ、心臓全体の形を変えずに安全に倒立させることを思いついた。

理屈に基づいて応用力を活かしたのだ。この術式によって、術中の不整脈や心筋酸素消費量を増やす原因となる昇圧剤を使わず、より安全な手術が可能になった。

高品質だからこそ患者は早く回復する

宮木氏は、みるみるうちに力を付け、札幌医科大学心臓血管外科心臓チームでナンバー2の心臓外科医となっていた。2015年、樋上氏は神奈川県にある葉山ハートセンターの院長に就任する。

「まだまだ習い残したことがたくさんありました。もっと学びたい。そして自立したい。そんな思いで、樋上先生のいる病院に移りました」

葉山ハートセンターは心臓疾患の専門病院としての性格上、心臓弁の疾患に狭心症を合併しているような重篤な患者が全国からやってくる。

樋上氏の下で10年間学び、ほとんどの技術を身に付けたという宮木氏だが、恩師の手術にどの程度近づけたのか。

「60点といったところでしょうか。これからは私の実力次第です」

そう謙遜するが、同院で再開胸を含むほとんどの手術を担うまでになっている。

再開胸手術の剥離は癒着があるため通常であれば時間がかかる。宮木氏は胸腔に指を入れ、胸膜越しに胸骨を触りながら迷うことなく胸骨再切開し、最も癒着の少ない部位(横隔膜面)を正確に把握し、トラブルなく手術を進めることができるようになっていた。初回手術との差はわずか1時間ほどまで縮まっている。

患者の回復が何よりのモチベーション

「どうやって患者さんが元気に帰ってもらえるかばかり考えています。結局、1週間病院に泊まり込んでしまうこともありますが、それでも続けられるのは、この仕事が好きだからでしょうか」

心臓外科では患者が劇的な回復を見せることは珍しくない。特に心臓弁が治癒した患者は、周囲が驚くほど元気になるが、それが、宮木氏のモチベーションとなっている。

「手が震えて目が見えなくなって手術ができなくなるそのときまで、心臓外科医を続けていきたいですね」

目下の目標は、習った技術を樋上氏と同じレベルで実践できるようになること。信念を貫く心臓外科医は、今日も「高品質」を目指してひた走る。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2017年7月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

みやき・やすこ
2002年 杏林大学医学部 卒業
2005年 慶應義塾大学病院 外科(心臓血管)診療医
2006年 埼玉県立循環器・呼吸器病センター 心臓血管外科 医員
2008年 札幌医科大学外科学第二講座 診療医
2013年 札幌医科大学医学部大学院 卒業(医学博士取得)
2013年 札幌医科大学医学部心臓血管外科学講座 助教
2016年 葉山ハートセンター 心臓血管外科 部長

専門医
外科専門医 日本心臓血管外科専門医 下肢静脈瘤血管内焼灼術実施医