国内初トリアージ型応急クリニックで救急医療を支える新しいモデルを構築 良雪 雅

いおうじ応急クリニック
院長
[Precursor-先駆者-]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 撮影/緒方一貴

深刻な休日夜間の"コンビニ受診"に悩む地方都市で、トリアージのみを行う救急クリニックが2015年11月にオープンし、効果を上げている。三重県松阪市の「いおうじ応急クリニック」だ。二次救急医療自体を行うER型救急専門クリニックはあるが、トリアージに特化した救急クリニックは全国で初めてのケース。へき地でもない大都市圏でもない地域での救急医療を支えるモデルになりつつある。

救急搬送が多い松阪市で疲弊する現場をサポート

三重県松阪市は中規模都市の中でも対人口比の救急車出動件数が多く、2014年には国内最悪の数字を出している。市内の二次救急病院は休日と夜間は、紹介状のある患者と救急車のみを受け入れるというルールがあり、結果として救急車を要請するケースが増える悪循環に陥っていた。また、市内唯一の休日夜間応急診療所は、診療所の医師の持ち回りで担当しているが、医師の高齢化で年間に運営できる日数は半分にまで減少していたことが、状況をさらに悪くしていた。

その対応として、当時の松阪市長から依頼を受けて取り組んだのが、良雪雅氏である。まずは、2014年4月からこの休日夜間応急診療所へ医師を派遣する活動に取り組む。 だが、1年間頑張ってみたものの、限界を感じ始める。

「医師不足の三重県内では人材が集まらず、個人的に協力してくれる県外の医師たちはいますが、徐々に疲弊していきました。そんな時、松阪市から提案されたのが、市との連携で独自のクリニックを開設することでした」

行政からの依頼を受けてからわずか2ヶ月、国内初となる"トリアージ型応急クリニック"の立ち上げを決意した。

特定の曜日と祝日だけで年5200人の救急に対応

クリニック名は「いおうじ」。全国に点在する「医王寺」に由来する。医王寺はその多くが、病を治す法薬を与える医薬の仏、薬師如来を本尊としていた寺。治療だけでなく精神的にも地域を支えたい。そういった良雪氏の思いが込められている。

救急クリニックは2010年にスタートした川越救急クリニックを皮切りに、全国にわずか4ヶ所しかない。その多くは、二次、場合によっては三次救急まで対応するER型救急が主流となっている。

ところが、良雪氏が開設したのは応急的治療に特化し、基本的にはトリアージまでしか行わないところが、他と大きく異なる。他の開業医院が閉まっている時間帯に診療を行い応急的治療で済む患者をとどまらせることで、二次救急を十分機能させることができるようになった。クリニックの常勤医師は良雪氏一人だけだが、他にサポートする医師やスタッフが10人以上いて、交代で対応する。

「松阪市は二次救急がしっかりしているので、徐々に効果が上がっていきました。現在は、初期診断と治療が当院で完結する患者さんは全体の94%。残り6%の患者さんを二次救急病院に誘導しています」

季節変動で冬場には1ヶ月の患者は600人まで増えるが、平均は1ヶ月400人ほどである。開設して2年足らずで、特定の曜日と祝日だけだが、2016年の年間患者数は約5200人に上る。

いおうじクリニックが加わり救急車の出動件数は年間で6%ほど減少した。さらに、従来からあった休日夜間応急診療所で対応する患者数も減り、高齢化が進んでいた輪番対応の開業医の負担を軽減させたことは非常に大きい。

診断を付けて二次に搬送 開設当初は不安がられた

良雪氏が救急クリニックに興味を持ったのは大学を卒業してから、都内の病院で臨床研修を受けている時だった。救急医療の現場で疲弊する医師たちの姿を目の当たりにして、何か新しい仕組みが必要だと強く感じるようになったという。昼間に病院に来ることができない軽症患者たちが、夜間に受診する"コンビニ受診"の多さも気になった。

クリニックを開設する際に、まず二次救急病院、救急隊としっかりと連携体制を築くことに力を入れた。トリアージと応急的治療に特化する以上、重症患者を受け入れてもらえるバックアップ体制がなければ機能しないと考えたからだ。

「開設前に各病院を訪問し、重症患者さんを引き受けてもらえるよう依頼して回ったのですが、当時30歳という若さもあり『本当に大丈夫なんか?』と不安がられることも少なくありませんでした。何度か患者さんを送るうちに、やっと信頼してもらえるようになりました」

確かに30歳といえば、後期研修や専門医研修の年齢と同じである。

いおうじ応急クリニックではCTなどの放射線機器以外の検査機器は一通りそろえており、二次救急病院に送るか送らないかを判断するだけでなく、搬送先の病院での円滑な治療できるよう、必ず想定される病気の鑑別診断まで行ってから患者を送っているのが特徴。その診断力の高さは、受け入れる二次救急病院の医師からも一目置かれている。

また松阪市には、地域特有の問題として、夜間・休日に診療する小児クリニックがほとんどないことが挙げられていたが、いおうじ応急クリニックが小児から成人まで、全身疾患に幅広く対応し、結果的に二次救急への搬送も減らすことができた。

さらに小児科では、結果的に軽症とされる場合でも、救急車を呼んでしまうことが多いことが分かったので、良雪氏は母親向けに小児医療に関する講座も始めた。

どんな時に救急車を呼べばよいのか、小児疾患の正しい知識を母親に身に付けてもらう地道な啓蒙活動で、さらに出動件数を減らすことに貢献している。

一番のネックは「経営」 行政からの支援は必須

救急クリニックの運営で一番ネックになるのが、「経営」だ。必要性が高くても、応急の治療だけを行うクリニックは通常、経営的に成り立たない。

「松阪市と同じような状況の都市、全国に数多くあるはずです。そういった地域でこうした救急クリニックを新たに作るためのモデルになる必要がありました。まずは、行政からの支援は必要です。『休日夜間応急診療所にこれだけかかるから、これぐらいですね』という感じで、委託金を引き出しました。私の月収は研修医より低くなりましたが、それでも経営は厳しかったですね」

良雪氏は、救急車の出動を減らす回数で市から委託金を引き出すことに成功した。選挙で市長が替わり、クリニックへの支援が打ち切られるという話が出た時は、市民の有志が8000人に近い署名を集めて嘆願したことで継続が決定している。

「この形でやっていくには、何かしらの支援が必要です。東京であれば企業とか、社会貢献という形で寄付で集めるのもありだと思います。こういった地方であれば、やはり自治体からの支援だと思います」

良雪氏の始めた新しい取り組みへの注目度は高く、大学病院を含め全国から見学者が訪れる。

次は在宅医療へ 2本柱で地域を支える

半年前から良雪氏は、在宅医療の分野にも手を広げている。在宅の要介護者だけでなく、老人ホームなどの施設入居者は、主治医に連絡が取れない場合は、熱を出しただけでも救急車で救急病院に搬送する。本来ならば在宅や施設内で十分に対応できる疾患まで、救急搬送され、場合によっては入院治療を受けることになる。

「『地域医療構想』が策定され、今後、大病院の病床が削減されていく中、こうした高齢の患者さんは病院では受け入れられなくなっていきます。全て救急車が受け入れれば救急医療は崩壊してしまいます。ならばこちらから患者さんを診にいくことが必要だと考えました。在宅がしっかりしていれば、救急は楽になるんです」

救急医療を支えるという視点で、在宅医療に力を入れる、良雪氏ならではの発想だ。在宅医療で多くの患者を診ている開業医が意外と少なく、わずか半年で100人の患者を抱えるまでになっている。もちろん急変にも対応し、看取りまで行っている。

「大きな病院には専門的なことに集中してもらい、私たちは、トリアージと慢性疾患管理をしっかりやっていくクリニックとして規模を拡大していこうと考えています」

大学との連携も視野に入れ 研修医を受け入れる計画も

今後は大学との連携も視野に入れ、研修施設として三重大学からの研修医を受け入れる計画も進んでいる。また、医学生の見学の受け入れも行っている。

「後ろで見学するだけの研修ではなく、治療に関わりながらどんどん手技を覚えていってもらいたい。一般的な疾患のうち9割以上はここで治療ができるもの。『どの科目の専門医になるか』だけではなく、まずはそこに対応できる総合診療的な力を身に付けることが必要なのです」

あらゆる症例が集まり、ウォークインで意外にも重症患者が来院することがある。今でも初めて診る症例や歯痛などの専門外の痛みを訴える患者にも対応することもある。 緊張感のある毎日だが、「診療は楽しい」と良雪氏は明るい。

地域医療を支える同クリニックの試みは、高齢化社会や医師不足など、医療業界が抱える課題を解決するための新たな一手として、今後さらに注目を浴びそうだ。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2017年10月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

りょうせつ・まさし
2011年 三重大学医学部卒業
都立広尾病院 研修医
2013年 甲府共立病院 総合診療科 医師
2014年 社団法人「i-oh-j」代表理事
富田浜病院内科 医師
2015年 いおうじ応急クリニック院長