左手に"神の手"を持ち「患者のため」を探究する乳腺外科医 明石 定子

昭和大学医学部
乳腺外科 准教授
[シリーズ 時代を支える女性医師]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/武末明子 撮影/緒方一貴

乳がんによる死亡率は、女性では大腸、肺、膵臓、胃に次ぎ5番目。だが、いわゆる「働き世代の女性」でみると、乳がんはがんの死亡原因のトップだ。

昭和大学医学部乳腺外科准教授の明石定子氏は、そんな深刻な状況にある女性患者から、絶大な信頼を寄せられる医師の一人である。手術における明石氏の技術は"神の手"と呼ばれ、これまでの手術実績は2000件以上、現在も年間約100件弱の手術を担当する。

無駄のない手の動きと的確な手術展開

明石氏が心掛けているのは、無駄のない手の動きと的確な手術展開である。

乳がん手術は全摘再建の場合、乳腺外科医が乳房摘出までを担い、後は形成外科医が再建を引き継ぐ。これは、保険適用が「形成外科との連携」を要件とするためである。

明石氏から患者を託された形成外科医は「皮弁の厚みが均一で、筋膜がきれいに残っているため再建しやすい」と評価する。従来、大胸筋の筋膜は切除することが基本であったが、筋膜を残しても再発率に差がないというデータが出たこと、残した方がドレーンを早く抜去できることから、筋膜を残し始めた。結果として、術後痛がらない患者が多いことに気付き、今ではより積極的に筋膜をきれいに残すことを心掛けている。

もちろん、当然高度な技能が欠かせないが、明石氏は自身の手術をこう語る。

「手術の出来は『左手』次第なのです。左手でテンションをかけ、切開部位がピンと張っていれば、電気メスを持つ右手は切るのではなく、当てるだけでも美しく切れるからです」

神の手は、右手ではなく「左手」なのだ。

すでにベテランとなった今でも、難易度の高い「乳頭乳輪温存の乳腺全摘術にはやりがいを感じる」と話す明石氏。それでは、手術にかけるこの高いモチベーションはどこからきているのか。

国立がん研究センターで研修女性医師の必要性を実感

明石氏が外科を志したのは、「治す」という実感が得られ、外科の雰囲気も、自分の性分には合っていると感じたためだ。

大学を卒業後、そのまま東京大学医学部附属病院の第三外科に入局。3年目には実践的な学びを深めるため、国立がん研究センターの門をたたく。学生時代に、国立がん研究センターの婦人科と泌尿器科で手術見学したことも大きい。次々と展開していく手術は飽きることがなかった。明石氏はそこで、臓器ごとに行われる手術の助手を務めながら、貪欲に手術の進め方や手技などを学んだ。

講師に、乳腺外科はどうかと勧められたのは、研修医2年目の時だ。

「外科医として女性であることを意識したことはありません。ただ、胃がんの女性患者さんに『女性の先生でよかった』と喜ばれたことがきっかけで女性であるメリットが活かせるかなと考えました」

患者側は女性医師を求めていた。その期待に応えるかのように明石氏は、7年の最短ルートで手術・外来ともに「独り立ち」を果たす。その後もキャリアを積み上げ、プライベートでは双子を出産して子育てと仕事を両立。2011年には新天地を求めて、昭和大学ブレストセンターに移った。

抗がん剤のリスク減らすため「術前ホルモン療法」を研究

乳がん手術はこれまで、「全摘」から「温存」へ、そしてより低侵襲な術式へとかじを切ってきた。明石氏が乳がん外科医となってから、まさにその変わりぎわの真っただ中にいた。だが、乳がん手術は再び大きな波が訪れようとしている。乳房再建技術の進歩で、「全摘」という選択肢が再浮上してきたのだ。

「数年前には、温存を実施する患者さんが全体の7割を占めた時期もありました。それが今では、『全摘』と『温存』が共に半数ずつに。全摘後に乳房再建をされる患者さんの割合も約半数に上ります」

全摘には遺伝性乳がんの場合、乳房内再発を予防する利点もあり、乳がん手術の選択肢は、いまだに広がり続けている。

一方、化学療法も大幅に進歩している。薬物療法はがんのタイプによって、抗がん剤、ホルモン剤、分子標的薬の3つを使い分けるが、明石氏は、国立がん研究センター時代に内科医と共同で「術前ホルモン療法」の研究を続けてきた。

「当時は、乳房温存術のための術前化学療法の黎明期でしたが、ホルモン療法でがんが縮小すれば、抗がん剤を使用しなくても乳房温存ができるのではないかと考えました。結果は、ホルモン受容体陽性でホルモン剤が効くはずの乳がん患者さんにおいても、ホルモン剤で縮小する方とそうでない方がいて、ホルモン剤投与前にホルモン剤への効果に対する個人差が分かる方法が何かないかと考えていました」

そんな折、明石氏はゲノムベースの診断検査を提供する米国の会社と接点を持つ。ホルモン療法の効果予測につながるデータがあることを知ると、明石氏は自ら共同研究を持ちかけ、2009年にその結果を論文に発表している。

その検査は「oncotype DX検査」といい、化学療法が奏功する可能性と10年後の再発リスクを予測し、患者の補助療法における術後の意思決定をサポートする検査として注目されている。

また、こうした取り組みは、細胞を遺伝子レベルで分析し、適切な薬のみを投与する、昨今注目のPrecision Medicine※1(精密医療)にもつながっている。

全ては患者に納得のいくがん治療を受けてもらうため

なぜ明石氏はそこまで「抗がん剤使用の見極め」にこだわるのだろうか。

「必要な治療、不要な治療を正確に知りたいためです。自分のがんは抗がん剤がよく効くタイプと分かれば、納得して抗がん剤を受けることができます。逆に検査でホルモン剤単独で問題ないという結果が出れば、安心してホルモン剤を受けることができます」

治療の選択肢が増えている時代だからこそ、医師には患者が後悔することのない決断をサポートする必要があるのだ。

「納得して治療に臨んでもらうためには、やはり患者さんとの信頼関係が欠かせません。検査結果が出そろい治療方針を決める時こそが大事で、ここで患者さ んに納得してもらえば、トラブルは起きにくくなります」

oncotype DX検査にはまだ、課題も残されている。明石氏は日本乳癌学会の代表として、この検査が保険適応となるように厚生労働省と交渉してきたが、認可はまだ下りていない。そのため、40万円もの検査費用を患者が全額負担しなければならないのだ。

「ブレストセンター長の中村清吾先生は、2010年診療報酬改定でセンチネルリンパ生検の保険適用に大きく貢献しています。乳腺外科だけでなく、他科まで巻き込む引き出しの多さは、私も見習わなければなりません」

「切らない」未来にこそ「切る」選択肢も重要になる

乳がん治療は今後、どのような方向に進んでいくのか、明石氏に聞いてみた。

「『切らなくても済む』という治療が、より進化するのではないでしょうか。Her2タイプ※2の患者さんは、薬だけでもがんが消失する可能性があります。今後は切る必要がないケースも出てくるかもしれません」

その一方で、明石氏自身は、全身に影響を及ぼす抗がん剤治療より、手術の方が患者の負担が少ないのではないかと考える。

「転移によっては切除により良好な予後が得られる場合もあり、乳がんも、肺への単独転移であれば、切除後の10年生存率は6割に上るとの報告もあります」

乳がん治療には学会の作成したガイドラインがあり、一定レベル以上の技術を持つ医師であれば、手術結果や再発率に大きな差が生まれないとされている。

それでも、多くの患者が明石氏の元を訪れるのは、「納得のいく治療」を全力でサポートし、不安材料を減らすための「検査の選択肢」を患者に提示してくれるからにほかならない。

※1 Precision Medicine:先端技術を使って遺伝子レベルで細胞を分析して、その疾患に適切とされる薬剤のみの投与で治療を行うこと
※2 Her2タイプ:エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体が陰性、HER2(human epidermal growth factor受容体type2)が陽性の乳がんのこと

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2018年2月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

あかし・さだこ
1990年 東京大学医学部医学科 卒業
               東京大学医学部附属病院第三外科 医員
1992年 国立がん研究センター中央病院外科 レジデント
1995年 国立がん研究センター中央病院乳腺外科 がん専門修練医
1995年 国立がん研究センター中央病院乳腺科 医員
2010年 国立がん研究センター中央病院乳腺科・腫瘍内科 外来病棟院長
2011年 昭和大学病院乳腺外科 准教授

学会・資格
日本外科学会指導医・専門医、日本乳癌学会乳腺専門医・指導医・評議員、検診マンモグラフィ読影認定医師、日本がん治療認定医機構暫定教育医