ドクターヘリで小児救急医を派遣 全国初の小児救急「滋賀モデル」構築 野澤 正寛

済生会滋賀県病院 救命救急センター
救急集中治療科(小児救急部門)
[Precursor-先駆者-]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/太田未来子

日本にわずか1%しかいない小児科を専門とする救急医。その一人、野澤正寛氏は小児科と救急科、それぞれの専門領域の隙間で取りこぼされていた命を救うため、2015年に滋賀県で全国初となる小児救急システム「滋賀モデル」を始動させた。ドクターヘリで小児救急医を緊急派遣し、要請病院で迅速に処置を行った後、集中治療につなげる。小児人口が減少するなか、医師たちが診療スキルを維持しながら小児救急に対応できる画期的なシステムとして、今後全国的な展開が期待される。

症例の分散によって生じる小児死亡率の高さ

ここ数年、小児を取り巻く医療はここ数年、小児を取り巻く医療は大きく変化している。命に関わる病気だった細菌性髄膜炎は、ワクチンによって劇的に減少し、長期入院が当たり前だった肺炎やぜんそくでの入院治療も大幅に減った。一方で小児の死亡例の原因は、ここ何十年でほとんど変わっていない。一つには事故などの外傷、もう一つには先天性疾患の急変が挙げられる。日本でもまだわずかしかいない小児救急医である野澤正寛氏は、この二つの死因となる疾患は「救急医と小児科医がそれぞれ苦手とする領域」だと話す。 小児科専門医は先天性疾患の急変に慣れておらず、救急科専門医は小児の外傷に慣れていない。その隙間で救えなかった小児が、滋賀県だけでも最大で年間20〜30人はいるという。

「小児救急医は、ただ小児科と救急科のダブルボードを持っていればよいというわけではありません。もちろんどちらの分野にも精通しているのは前提ですが、その間で取りこぼされている患者を救うことが、小児救急医として本当にやらなければいけないことなんです」

厚生労働省のデータでは、小児死亡の約75%は年間2人以下しか死亡例のない病院で亡くなっている。それだけ小児の死亡例は各病院に分散しているということ。医師にとって小児の急変を診る経験は年にわずか1、2回ほどで、複数の医師が在籍する病院ではその経験数はさらに下がる。各病院にとって小児の死亡がまれな事例になってしまっていることが、"preventable death"(防ぎ得た死)を生み出していると野澤氏は分析する。

人口比率2位の子ども県 小児救急に特化しヘリ運用

日本の救急医療体制では十分にカバーできていないこの問題に切り込んだのが、2015年4月から動き始めた小児救急の新しいシステム「滋賀モデル」である。

滋賀モデルは、小児の救命案件が発生した場合に、連携する病院からの要請を受けてドクターヘリで小児救急医を緊急派遣するシステムだ。要請のあった病院のスタッフと共に診療を行い、蘇生・安定化した患者は小児集中治療ができる病院に搬送する。滋賀県は全国で2番目に小児が占める人口比率が高い県。そうした背景もあって、県のバックアップの下、小児救急を軸としたドクターヘリの運用が実現した。

一刻を争う救命救急の現場において、各病院とのホットラインがつながっていることのメリットは大きい。小児救急医がファーストタッチから関われるようになり、成果を上げている。滋賀モデルの目標は、県内における小児の"preventable death"をゼロにすることだ。

「人口が多い大都市では症例を集約させることが容易でも、地方ではうまくいきません。医師を派遣するデリバリーシステムは、新しい地方のモデルになっていけるのではないでしょうか」

児救急に対応できない病院へ医師を届けることで、小児救急という専門性の高い分野をカバーする。県内での治療が難しい循環器疾患では、兵庫県立こども病院に搬送するなど、県内外の小児集中治療医との緊密な連携でバックアップ体制を整えていることが強みである。

小児患者を集約させ集中治療につなげたい

小児科医だった野澤氏が小児救急医を目指すようになったのは、東日本大震災の後。当時勤務していた草津総合病院は、地域における小児診療のセンターとして機能する病院で、年間2万2000人という膨大な数の小児救急患者を受け入れていた。そんな中、2011年の東日本大震災ではDMAT隊員として被災地石巻に派遣される。「小児科医が災害現場でできることは何か」と考え始めたことが、小児救急医の道を選ぶきっかけとなった。

一方、同じ時期に静岡県立こども病院でPICUを立ち上げた植田育也氏(現埼玉県立小児医療センター 集中治療科長)の元を訪れ、小児集中治療に対応するPICUの見学をした経験も大きな契機となっている。植田氏が語った「本当に治療を必要とする患者が、適切なタイミングでPICUに来られない」という言葉が心に刺さった。

「小児救急患者がICUまでたどり着けないケースがある。それならば必ずしもPICUを開設するだけでは問題の解決にはならないのではないか。大都市ならうまくいくシ ステムでも、地方で機能させようと思えば、いかに患者を集約させるかを考える必要があります」

2011年に済生会滋賀県病院に移った野澤氏は、救急医としての研鑽を積み、この問題への打開策を探っていた。ヒントになったのはドクターヘリの導入だった。

「小児救急医をヘリで派遣して、そこから直接PICUに患者を運ぶことが解決になるのではないか。実際に滋賀県でどれだけ小児の死亡例があるのか、そのうち"preventable death"がどのくらいあるかを調べていくうちに、このシステムは理にかなっていると確信しました」

そこからの動きは早かった。小児搬送医療の勉強ができる国立成育医療研究センターで経験を積み、ドクターヘリに乗るための救急専門医の資格を取得。2015年に済生会滋賀県病院にヘリが導入されると同時に同病院に戻り、小児救急医を派遣する滋賀モデルが始動した。

地方で求められるドクターカーでの三角搬送

これまでなかったシステムの立ち上げに、要請する病院の医師たちからの理解を得るために、何度も消防や病院を回り説明を重ねた。それまで小児救急に対応していた病院からは「これまで小児救急は私たちが担ってきたのに、なぜわざわざ他の病院から医師を呼ばなければいけないのか?」という声も挙がっていた。

「そうした意見があるのは当然。だからこそ呼ばれたときには要請病院の先生にも一緒に治療をしてもらい、終わった後のカンファレンスにも参加する。救命救急ではわずか 20分ほどの処置の間にたくさんの決断があり、その過程を共有することで信頼関係が築かれていくのだと思います」

まずは小児救急医を呼ぶのではなく、「野澤先生を呼ぶ」と思ってもらえるように、顔が見える関係を築くことが大切だという。その後に、いかに「小児救急医を呼ぶ」と思ってもらえるように移行していけるかが継続の鍵になる。

「先生たちには『もうあかんと思ったときでも呼んでください』と言っています。まだ何かできるかもしれないから」

済生会滋賀県病院に隣接する守山市には、滋賀県立小児保健医療センターがある。さまざまな基礎疾患を有する重症患者を多く診療している、県内で最も小児疾患の急変リスクが高い病院だ。これまで距離が近いためにドクターヘリで対応できなかったそうした近隣病院に対しても、2017年の秋からドクターカーを運用し、医師を派遣できるようになった。

ドクターカーで他の病院に出向いて医療行為を行う三角搬送には、医療行為の責任の所在や費用負担についての明確な決まりがない。その問題を解決するため、野澤氏は県立小児保健医療センターに非常勤登録をしている。呼び出しがあった場合には非常勤医として救命し、その間の人件費は病院間で支払われる。新しいルールの下、現在は順次地域の各病院と契約を結んできている。

滋賀モデルを全国に広げ小児救急医の在り方提案

野澤氏の元には全国から若い医師たちが見学に訪れる。小児科医の中には成人の診療をすることに抵抗を感じる医師も少なくないが、小児救急医は成人救急にも対応しなければならない。小児救急は救急車の重症搬送のわずか0.5%と少なく、診療スキルが維持できないからだ。実際、野澤氏も成人救急医として日々スキルを磨いている。

さらに小児救急医には診療ができるだけでなく、地域の救急体制の中に入り込んでいくことも求められる。そのために、成人救急の最前線にいることは重要である。 さらに県全体の重症小児の動線をマネジメントする能力が求められると話す。

滋賀モデルがスタートしてから間もなく3年。今後は、オンコールに応え、夜間でもドクターカーで出動できるように、人員体制を整えることを目指している。そして、日本で小児集中治療医が20年かけて浸透したように、「小児救急医も20年かけて職業として定着させたい」と語る。

野澤氏には同じ目的に向かって歩みを進める同志がいる。東京の同じ病院で研修を受けた二人は、当時から「それぞれが集中治療と救急について学び、滋賀で共に重症の小児医療体制を発展させよう」と夢を語り合っていた。

現在、その同志は、滋賀県内の病院に在籍しており、野澤氏はドクターヘリ基地病院の小児救急医として同院のICUに小児の重症患者を搬送する。滋賀モデルの実現は、二人の夢の実現でもあった。

「日本の小児救急医にとって今がチャンス。このシステムがうまくいけば、今後、小児救急医を目指す人たちが地方で活躍できる可能性がある。それによって助かる小さな命が増えるかもしれない。そのモデルケースとなるよう、滋賀県から発信していきたい」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2018年3月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

のざわ・まさひろ
2005年 滋賀医科大学医学部 卒業
               滋賀医科大学医学部附属病院 初期研修
2007年 滋賀医科大学医学部附属病院 小児科
2008年 草津総合病院 小児科
2011年 済生会滋賀県病院 小児科・救急科
2013年 国立成育医療研究センター 救急診療科
2014年 近江八幡市立総合医療センター 小児科
2015年 済生会滋賀県病院 救命救急センター
               救急集中治療科・小児救急部門

資格
日本小児科学会小児科指導医・専門医、日本救急医学会救急科専門医、日本DMAT隊員 統括DMAT、災害時小児周産期リエゾン、PALS(小児二次救命処置)インストラクター、PEARSインストラクター、小児ITLSインストラクター、ICLSインストラクター、小児慢性特定疾患指定医

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