女性外科医を支援する活動で外科の未来を切り開く 河野 恵美子

高槻赤十字病院 外科医師
消化器外科女性医師の活躍を応援する会(AEGIS-Women) 役員
[シリーズ 時代を支える女性医師]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/太田未来子

現在、女性外科医はどのような状況に置かれているのか。2004年に病院に勤務している外科医の数は男女合わせて1万8000人だった。それが2016年には1万2000人を切り、3分の2まで減っている。平均年齢も43歳から50歳に上昇、新たに外科を目指す医師不足が深刻な事態をもたらしている。その中で日本外科学会に入会した女性の割合は、統計を取り始めた2005年以来ずっと20%前後で推移。女性医師が働き続けることができれば、今後その割合は確実に増えていく。言い換えれば、女性医師が続けられない状況であれば、外科医の減少は一層進むといえる。外科の10年後を考えたとき、重要な鍵となるのが女性外科医の存在なのである。

女性外科医が学べる場を提供 効率的にスキルアップ

こうした女性外科医の活躍を支援する活動を行っているのが、消化器外科医の河野恵美子氏である。東京大学の野村幸世氏、日本バプテスト病院の大越香江氏らと共に、2015年11月に消化器外科の女性医師を支援する団体「AEGIS-Women」を立ち上げ、同じ高槻赤十字病院で副院長を務める平松昌子氏に会長を依頼した。女性外科医がキャリアを継続させながら活躍の場を広げられるよう、さまざまな活動に取り組む。

その一つの活動が「キャリアアップ10ミニッツ・セミナー」。日本外科学会、日本消化器外科学会、日本臨床外科学会の総会期間中に開催され、ライフイベントで時間的に制約がある女性医師が、短時間でスキルアップできるように10分間のワンポイントレッスンを提供する。

2018年1月には、世界で初めて託児所付きのアニマルラボを始めた。子育て中の女性医師が、技術向上のために泊まりがけでラボに参加できるよう託児所を設け、学びに集中できる環境を作った。単に子供を預けるだけでなく子供向けセミナーを開催するなど、母親の仕事を理解してもらう試みも充実。同じ環境の女性医師が交流できる場として需要は高く、来年度の開催も決定している。

さらに時間的・空間的な制約をクリアするため、腹腔鏡の手術手技を学ぶ新しいプログラムの開発にも挑戦。これまでは外科手術を学ぶためには、国内留学でエキスパート医師の指導を直接受けなければならなかったが、デジタルコンテンツを導入することで、短期間で効率よく手技を身に付けられるようになった。

次々と女性外科医をサポートする活動を提案し、実現させている河野氏。その原動力となっているのは、自身が女性外科医として苦悩した経験と、後輩医師たちとの出会いだった。

半年間、患者を担当できず一時は辞めることも考えた

外科医として働き始めて5年目に結婚、6年目に出産した河野氏。育児に専念するため、神戸市立西神戸医療センターを退職。約1年後、医師の育児支援に積極的だった大阪厚生年金病院で復帰し、医長として迎えられた。外科専門医取得後は乳腺外科を希望する予定だったが、「お子さんがいるなら乳腺外科ですね?」と聞かれ、反射的に「消化器外科です」と答えていた。子供がいる女性外科医は乳腺外科で働くのが当たり前、という先入観に違和感を覚えたからだ。

大学医局に籍を置いたままの異例人事で、部内では少なからず反発もあった。河野氏を待ち受けていたのは、"何もさせてもらえない"毎日だった。

「手術の執刀はダメ、患者を受け持つこともダメ、外来もダメ。外科医としては24時間365日患者を診るのが当然で、子供がいるからそれができないのであれば、責任ある役割を任せられないということだったのでしょう」

育児支援に積極的な病院でも、現場での反応は厳しかった。上司だけではなく、まだ1年も外科職務を経験していないレジデントから「先生、ちゃんとしてくださいよ。尻拭いするのは私たちなんですから」と言われた時には、プライドもズタズタになった。病院長のトップダウンという形で手術を執刀させてもらえるようになったのは半年もたってからだった。

続けたくても続けられない 子育てとの両立の難しさ

さらに厳しい女性外科医の現状を目の当たりにしたのは、妊娠・出産によって外科医の道を閉ざされた後輩たちの存在によってだった。外科医として優秀だった後輩は妊娠をきっかけに他科への転向を余儀なくされ、乳腺外科の後輩は育児との両立が難しくなり外科医を辞める決断をした。「こんなに外科医を続けたいのになぜできないのか。子育て外科医は"悪"なのか」と泣きながら訴えてきた後輩を、引きとどめることができなかった。

「続けたいという気持ちはあるのに、なぜできないのだろう。当時の自分は無力でただ黙って聴くことしかできず、彼女たちを守ってあげることができませんでした。同じ思いをする人をもう出したくない。腹をくくって、消化器外科医として生きていく決心をしました」

2008年の日本外科学会から女性医師のセッションが開催されるようになったが、河野氏はある決意を持ってそこに立ち続けている。それは自分の姿を見た若い女性医師が、一人でも多く消化器外科医を目指し、さらに継続してもらえるようにすること。

「すごくうれしかったのが、その辞めていった後輩の一人が今年4月の外科学会に7年ぶりに戻ってきてくれたことです。その瞬間『これまでの苦労が報われた』と感じました」

瀕死の重傷を負った学生時代 看護師から医師へ転向

医学部に入学する女性の割合は年々増え、既に3割を超える。その中でいかに外科の希望者を増やしていくかは、重要な課題である。以前、女性の医学生を対象にした講演会で「外科医は家事・育児を両立できるのか」との問いかけに、誰も手を挙げなかった。危機感を覚えた河野氏は、積極的に学生への講演活動を始める。講演を聴いた後のアンケートでは、「将来の選択肢に消化器外科を入れる」と答える学生が講演する前に比べ約4倍に増え、家事・育児との両立を可能と考える人も1.5倍に増えた。学生たちは、その意識を確実に変えていっていた。

「私自身、子供を産んで第一線で外科医として働き続けるのは無理だと言われていましたし、実際に私よりも上の世代で両立している人はほとんどいません。できないというのが当時の常識。でもやってみなければ分からないですよね」

何度も崖っぷちに立たされながら、それでも外科医を続けてきた河野氏。その背景には、交通事故で瀕死の重傷を負った時の経験がある。「患者を経験した人間が看護師を経験し、さらに医師になったら素晴らしい医療ができるに違いない」と高い志を持って努力してきたからこそ、「何もしないで終わるわけにはいかない」という気持ちになれたという。 インタビュー中、何度も口にしたのは「人生は1回しかない」という言葉だった。

「1回しかない人生。仕事か家庭かではなく、仕事も家庭もどちらも選んで、女性として輝くという道があってもよいのではないでしょうか」

日本人初の女性VOC 女性の視点で製品開発

2011年には「外科医の手プロジェクト」を発足。これまで作られてきた手術器具は非常に重く、手が大きくないと握れないなど、女性にとっては使いにくかった。女性の声を製品開発に反映させるため、日本消化器外科学会の会員にアンケートを取って英文雑誌で発表。そのデータをもとに米国医療機器メーカーと交渉したところ、2012年に日本人初の女性のボイス・オブ・カスタマー(VOC)に選ばれた。2014年には国内で開発された内視鏡器具で初めて男女共用仕様を作るなど、開発段階から関わっている。

過去には、ハーバード大学の教授から「米国で最先端の大腸手術の手技があるが習得してみないか。まだ日本人は誰も習得していない。もし君が習得すれば日本の大腸手術でトップランナーになれるかもしれない」と声を掛けられたこともあったが、決して心は動かなかった。

「米国の手技を日本に持ち帰ることは、私でなくてもできること。自分にしかできない女性外科医の支援活動の方が、私にとって"価値"があります。トップランナーになって人から称賛されるより、かつての後輩が外科の世界に戻ってきてくれたことの方が何倍もうれしいですね」

後に続く後輩たちが輝けるように、河野氏はこれからも"自分にしかできない活動"で女性外科医の未来を切り開いていく。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2018年8月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

こうの・えみこ
2001年 宮崎医科大学(現宮崎大学)医学部 卒業
     佐久総合病院 研修医
2002年 高知市立市民病院 外科
2004年 神戸市立西神戸医療センター 外科
2006年 神戸市立西神戸医療センター 退職 その後1年専業主婦
2007年 大阪厚生年金病院(現JCHO大阪病院) 外科医長
2016年 高槻赤十字病院 消化器外科

資格
日本外科学会専門医/指導医、がん治療認定医、消化器がん外科治療認定医、
Fellow of the American College of Surgeon(米国外科学会フェロー)