企業と自分の「働き方」を見直す "攻め"の姿勢を貫く産業医 穂積 桜

株式会社MEDICIO 代表取締役社長
産業医・精神科医
[シリーズ 時代を支える女性医師]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/武末明子 撮影/皆木優子

柔和な人柄と臨床力で16社と契約する人気産業医

従業員のメンタルヘルス対策は、多くの企業が抱える課題である。
2018年8月の厚生労働省による発表では、仕事が原因でうつ病や精神疾患を発症し労災認定を受けたのは506人と、統計開始以降初めて500人を上回った。しかも、認定者の約3割は1ヶ月当たりの平均残業時間が100時間以上。この現状を打破するキーパーソンとして今、「産業医」が注目されている。

産業医とは、企業で労働者の健康管理を行い、必要な指導・助言をすること、また、労働者の健康障害の予防や原因調査、再発防止策を講じることを専門的に行う医師である。

原則、月に1度の職場巡視、企業側の衛生委員会への参加など、法律で決められている業務以外にも、健康診断や健康相談の実施、従業員と面談し、事業者に従業員の休職を勧告したり、復職の可否について意見を述べたりする。

また近年は、組織に内在する健康課題をいち早く見つけ、改善する戦略を立てて企業に実行させるマネジメント力も求められている。つまり、相談を"待つ"だけではなく、"自ら行動する"産業医に需要が集まっているのだ。

しかし、そうした産業医は一握り。そもそも産業医の選任が法律で義務付けられている事業所が、最新統計では約16万4000件なのに対し、産業医の有資格者数は約9万人。産業医を生業としている人の数はさらに限られる。

株式会社MEDICIO代表取締役社長の穂積桜氏は、まさにそんな産業医の一人である。
自ら行動し、学び続けることで身に付けた、精神科医・漢方専門医・労働衛生コンサルタントといった高い専門性を武器に、他の産業医にはできないアプローチで企業の健康問題に貢献する。思わず悩みを打ち明けてしまいたくなる気さくな人柄もあって、現在は、競争率の高い都心で16社と契約を結ぶ売れっ子である。穂積氏は産業医のやりがいをこう語る。

「産業医は"予防"に重点を置き、医療機関を訪れる以前の患者さんにアプローチできる仕事です。精神を深く病む前に引き戻せる立場にあること、また、心を病む原因である企業側の体制に直接働きかけ、1対1だけではなく、より多くの人の健康に働きかけられることにはやりがいがあると思います」

精神科と救命救急で学び働き方を見直す旅に出る

現在の姿からは想像が付かないが、実は大学時代は劣等生だった。付いたあだ名は「再試の女王」。ほとんどの講義を寝て過ごし、「こんなにも勉強ができない学生は初めて」と教授に言われたこともあったという。

しかしその一方で、なりたい医師のビジョンは明確だった。アンドルー・ワイル著『癒す心、治る力』という本に影響を受け、病気に対して薬を処方するだけでなく、「病気の原因を突き止め、心と身体の両面から患者が持つ自己治癒力にアプローチする医師になりたい」と考えていた。
内科と精神科で悩んだ末、じっくり患者と向き合える精神科を選ぶも、すぐにその決意を揺るがす出来事が起こる。

「精神科の初期研修で、緊張で手を震わせながら注射を打つ上級医の姿を見てしまったんです」

精神科をベースにしていても内科や全身管理の学びは欠かせない。そう考えた穂積氏は、国立病院機構東京医療センターの総合診療科・救命センターの門をたたいた。
しかし、現場は想像以上のハードワーク。眠れない・帰れない・いつ呼び出されるか分からない――の三重苦から、「私はもうどうなってもいいんです」と看護師長に弱音を吐く夜もあったという。

再び精神科に軸足を戻したのが2年後。東京都立松沢病院で後期研修を行う。病院に隣接する東京都立中部総合精神保健福祉センターの要請で、患者の訪問診療にも立ち会ったが、院外で生活する患者の実態は衝撃的だった。

「認知症で片付けができず、食べかけの食事や物で辺り一面散らかり、ゴミ屋敷のようなところも多かったですね。こんな世界もあったのかと驚きました」

一時は、「自分にできることが何かないものか」と、日本老年精神医学会の専門医となることも考えた。だが、高齢者に特化してはこれまでのキャリアが活かせない。 迷いを断ち切るように、埼玉県精神科救急医療の拠点病院である久喜すずのき病院のスーパー救急病棟に入職したが、既に穂積氏の心と身体は疲れ切っていた。

「ある日、自殺未遂をして警察やヘリを出動させてしまった患者さんの話を聞きました。救命はできたものの、これから向けられるかもしれない周囲の目や、待ち受けている人生の過酷さに患者さんが耐えられるのだろうか。そう思うと、私にはそれをとても抱えきれないような気がして…。1日60人もの患者さんを診る中で、一人ひとりにどう向き合えばいいのか途方に暮れてしまいました」

そこから穂積氏がとった行動は、ある意味「働くことからの逃げ」だったのかもしれない。一度リセットをするために、米国の大学へラテン語を学びに行ったり、地中海クルーズに出かけたりと、1年間かけてこれまでできなかったことを思い切りしてみることにしたのである。

意図せずそれは、働くことの価値観をリセットする旅となる。南フランスのニース駅で予約した電車に乗り遅れて手続きをしようとすると、ヨーロッパの鉄道の乗り放題チケットを持っているのに、「手続きが面倒だから」という理由で職員に追い払われてしまった。めげるものかと別のカウンターへ行くと、今度は男性職員から、「コーヒーを一緒に飲んでくれたら交換してあげる」と言われて拍子抜けしてしまう。

「一事が万事そんな感じで(笑)。つらい労働を一生続けていかなければならないと思っていた私にとっては、目からウロコ。こんな働き方でもいいのかと驚いた半面、ホッとしましたね」

"リセット旅"で変わった働くことの価値観

この旅行がきっかけで、臨床医以外の仕事にも目を向けるようになった。
商社マンの夫と結婚した穂積氏は、夫の上海転勤が決まると臨床医では転勤生活と両立できないと、産業医に目を付けた。産業医であれば、精神科医としてのキャリアも活かせるかもしれない。

嘱託産業医(※)として複数の企業に訪問し、上海では日本人向けクリニックで精神科医として働く生活を送った。
帰国後は妊娠を機にキャリアを中断するどころか、逆に大きなおなかを抱えて、受験者の約3割しか合格しないといわれている労働衛生コンサルタントの資格試験に1回でパス。 精力的に契約企業を増やし、16社もの企業を掛け持ちするまでになった。
産業医として、穂積氏には気を付けていることがある。

「それぞれの企業カラーや問題点を訪問時までに把握することには神経を使っていますね。ただ月に1度、訪問時間は1~3時間と限られているので、スケジュールを管理しやすいというメリットはあります」

産業医は子育てとの両立もしやすい。穂積氏はこれまで、保育園の送迎に間に合わなかったことがほとんどない。

「産業医は"女性であること"が強みになる分野です。月経などで悩みを抱える女性社員は多く、相談相手には女性の産業医を求めています。さらに子育て経験があると、育児と仕事を両立する社員の気持ちも分かるので、企業にはむしろ重宝されることが多いと思います」

※産業医には、「専属産業医」と「嘱託産業医」の2つがある。
常勤が基本の専属産業医は、労働災害が起こりやすい環境で労働者数500人以上、それ以外の一般的な環境で1000人以上の労働者を抱える事業場に欠かせない一方、50~999人の事業場であれば「嘱託産業医」でも可能だ。

夢は150%かなった 次の目標は「睡眠革命」

産業医は診断や治療を一切行わないことから、産業医の養成を目的に設立した産業医科大学でも卒業者の大半は臨床医となっている現実がある。そして、このことが慢性的な産業医不足に拍車をかけているのだが、穂積氏は全く意に介さない。むしろ、産業医は企業側の立場から患者の仕事復帰を考えられるようになるので、臨床医としてのスキルも上がったという。
穂積氏は、「学ぶ姿勢」さえあればいくらでもやることがあると知っているからだ。

穂積氏が、その「学ぶ姿勢」によって得た独自のアプローチに「漢方」がある。地中海クルーズの旅の後、穂積氏は、北里大学東洋医学総合研究所で3年間漢方医学のレジデントとして漢方を学ぶ。精神科の薬に多い便秘の副作用を何とか改善できないものか。それがきっかけだったが、産業医としての幅を広げることにも結びついた。

「社会には、"病院へ行くまでもない不調"を抱える人が多くいます。一般的に、精神科に対するハードルはまだまだ高いですが、漢方であれば手軽に試してもらえます。不定愁訴などの『未病』にも働きかけることができますよね」

精神科医、労働衛生コンサルタント、漢方専門医といった高い専門性に基づいたアドバイスは、まさに、穂積氏が学生時代から夢見ていた「患者の自己治癒力にアプローチできる医師の姿」と重なる。

例えば精神科での臨床医時代に経験したことだが、患者の生活習慣の乱れに対し改善アドバイスを行っても、患者にその意図を真に理解し、実行してもらうことは難しかった。
だが、産業医になってからは、メンタル問題で休職していた社員に復帰のための生活指導を行ったところ、素直に実行してくれて、体調がみるみる改善。復帰後チームリーダーとして活躍するまでに至った。穂積氏の働きかけが実を結んだ一つの例である。

「今は、夢が150%かなえられているという実感があります」

穂積氏はそう言って笑顔を見せる。
常に、「目の前の患者のためにできることは何か」を考え、学び続けてきたことでかなえられた夢。しかも、夢はかなえて終わりではなく、既に穂積氏のまなざしは次なる課題、「健康と睡眠について」を見据えている。

日本人の睡眠時間は世界で最も短いと言われているものの、多くの人にはその自覚がない。これに危機感を持つ穂積氏は、「眠り」について研究を行うベンチャー企業、株式会社ニューロスペースと組んで、睡眠研修の講師として、企業に睡眠の必要性を伝えている。

「私はこれまで、臨床医として一つの診療科に専念しなかったことに、どこか後ろめたさを感じていました。ですが患者さんからの感謝の言葉によって、一つの仕事だけで終える必要はなく、さまざまな経験をしたからこそできる医療があるのだ、と思えるようになってきました」

穂積氏は、産業医の可能性は無限に広げられることを自らの活動によって証明している。新たなフィールドを自ら作り上げていく"攻める姿勢"を持つ産業医は、今後より一層求められるだろう。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2018年12月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

ほづみ・さくら
2001年 札幌医科大学医学部 卒業
     札幌医科大学附属病院 神経精神科
     三笠市立病院 精神科 初期研修
2003年 国立病院機構東京医療センター 総合診療科・救命センター
2005年 東京都立松沢病院 精神科
2008年 久喜すずのき病院 精神科
2012年 北里大学東洋医学総合研究所 常勤レジデント
2015年 中国 上海森茂診療所 非常勤医師
2016年 株式会社MEDICIO 代表取締役
     産業医として16社を担当

資格
日本医師会認定産業医、労働衛生コンサルタント、精神保健指定医、臨床心理士、日本東洋医学会漢方専門医