内視鏡での早期発見・治療で島内の消化管がん死亡ゼロへ 森 源喜

医師のキャリアコラム[地域に根ざした医療に奮闘する医師たち]

長崎県壱岐病院 内科医長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/松村琢磨

この土地の医療を変えたい 手技を学びに国立がんセンター

抱いた想いは「自分の力でこの土地の医療を変えたい」。

一人の医師の存在でその地域の医療が大きく変わることがある。消化器内科医の森源喜氏が長崎県壱岐病院に赴任したのが3年前。それまで年間1,200件だった胃の内視鏡検査数は2.5倍の3,000件まで増加。大腸内視鏡検査も300件から800件に急増し、内視鏡検査によるがん発見数は7倍に増え年間100例を超える。

「自分の力でこの土地の医療を変えたい」と奮闘してきた結果が表れている。

もともと離島医療に興味を持っていたという森氏。長崎大学を卒業後、「離島医療圏組合(現・長崎県病院企業団※1」の奨学金制度を利用し、離島で働く医師養成の研修を受けた。3年目からは対馬にある長崎県対馬いづはら病院に赴任。そこで学んだESD(内視鏡的粘膜下層剝離術)の技術を活かして離島医療に関わりたいと思うようになる。

長崎県は奨学金制度に独自のシステムを導入しており、県から1年間の給与が保証され、どこでも希望する病院で学ぶことができるため、森氏はESDの手技を磨こうと国立がん研究センター中央病院で研鑽を積む。たしかな技術を身に付けて対馬に戻り、長崎県対馬いづはら病院よりもさらに小さい長崎県上対馬病院に赴任した。

「それまでがん治療なんてとても考えられなかった病院でしたが、そこでESDを始めたところ、患者さんからとても感謝されて。自分のしていることの反応がダイレクトに返ってくる、その反応が医師としてのやりがいにつながりました。地域医療でジェネラルな診療が求められるのは当然、それにプラスしてスペシャリティを追求することも大事ではないでしょうか」

※1 長崎県病院企業団:長崎県では離島の医師確保対策の一環として、医学生に対する奨学金制度を設けている。医師免許取得後、一定期間を離島の病院で勤務することが義務付けられている。

「島内で治療してほしい」 患者のニーズに応えていく

離島勤務の義務年限は修了していたが、3年前、離島の医師として壱岐病院での勤務を選択した森氏。あえて消化器領域が進んでいない場所に赴き、「一からその土地の医療を作り上げたい」という思いがあった。それまで長崎県病院企業団に加盟していなかった壱岐島は、対馬と人口があまり変わらないにもかかわらず、大学からの非常勤医の派遣に頼っていたため医療はかなり遅れていた。

当時はESDでの治療はもちろん、島内では虫垂炎や腸閉塞の治療さえできず、船やヘリコプターを使って福岡に搬送しなければならなかった。現在は長崎県病院企業団に加盟し、コンスタントに医師が派遣されるようになって、島の医療は安定したが、その分一人の医師に求められる医療レベルは高くなる。

「正直、自分の力量以上のことを求められていると思うこともあります。例えば内視鏡治療後の局所再発胃がんに対するESD、ダブルバルーン内視鏡ERCPなどは、限られた病院でしかできない高度な治療法ですが、患者さんからリスクを承知で『この島で先生にやってほしい』と言われます。結果的に全て成功していますが、トラブルになっていた可能性もある。だからこそ自分の技術を磨いて、絶対に合併症を起こさないようにしなければなりません」

壱岐島の芦辺港。博多港まではジェットフォイルで約70分。

リスクの高い治療をすることに「批判は必ずあると思う」と話す。得意とするESDでも、もし穿孔すれば開腹手術を要する場合があるため、福岡の病院への搬送を検討しなければならない。しかしそうした説明をしても、他の病院での治療を希望する患者は少なかった。それだけ島内で治療をしたいというニーズが高いのだ。同院に赴任してから手掛けたESDは140例を超えている。

離島で診療を続ける森氏の目標は「壱岐島から消化管のがんで亡くなる人をゼロにする」こと。そのための住民への啓発活動にも力を注ぐ。

「内視鏡検査を受けて、早期にがんが見つかり助かった患者さんが、家族や友人に検査を勧めてくれるようになったんです。私が出会って治療をした一人の患者さんから、次の患者さんにつながる。良くも悪くも影響が大きいからこそ、検査や治療の一例一例を大切にしていきたい」

P R O F I L E
プロフィール写真

長崎県壱岐病院 内科医長
森 源喜/もり・げんき

2006年に長崎大学を卒業。小学生の時に腎臓の病気で入院し、看護師だった母の働く姿を見たことが医療の道を志すきっかけに。対馬の長崎県対馬いづはら病院に2年間勤務し、国立がん研究センター中央病院でESDの研鑽を積む。上対馬病院で多くの内視鏡治療を手掛け、再び国立がん研究センター中央病院でチーフレジデントを2年間務める。2015年から壱岐島の長崎県壱岐病院に赴任。忙しい毎日だが、家族との時間がリフレッシュになっている。日本内科学会認定医、日本消化器病学会専門医。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2018年10号から転載しています。経歴等は取材当時のものです。

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