精神科と救命救急の溝を埋め救急患者を救う 久村 正樹

埼玉医科大学総合医療センター
救急科(ER) 准教授
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/武末明子 撮影/皆木優子

あらゆる救急患者の窓口となる救命救急(ER型救急)。しかし、実際には精神疾患合併症患者においては、ERでも的確な診断を受けることができず、その後の受け入れ先となる精神科でも、受け入れに窮する現状がある。
最大の要因は、「身体科」と「精神科」の間に大きな溝があること。精神科医で救急医の久村正樹氏は、この状況を打破すべく、身体合併症患者を含めたあらゆる救急患者を診られるERの普及に挑む。

東日本大震災の1週間後、久村正樹氏は宮城県気仙沼市にいた。テレビで被災地の惨状を知り、自費で飛行機とタクシーを乗り継ぎ被災地入りしたのだ。その後も多くの支援者が引き返す中、当時、勤めていた関東労災病院精神科の部長職を辞め、福島県南相馬市の病院で働き始めた。

「錯乱状態の患者さんが多かったですね。錯乱自体は放っておいても多くはいずれ収まりますが、統合失調症と誤って診断し投薬を始めてしまうと、その後も延々と薬を飲み続けることになってしまいます。うつや薬物の影響による類似症状も多く、見極めが重要でした」

久村氏は現在、埼玉医科大学総合医療センターの救急科で救急医として働いている。精神科医が救急科専門医を取得するケースはまれだが、だからこそ見えてくる救急科の課題も多い。

「精神科では、内科や外科などの"体"を診る科を『身体科』と呼び、精神科とは明確に区別しています。それだけに精神科には身体を診ることに慣れていない医師も多く、身体合併症患者さんの受け入れには非常に慎重です。一方、救急科の中には精神病に偏見や苦手意識を持つ医療スタッフも少なくありません。精神疾患があると対応次第では暴れて手が掛かり、さらに集中治療室に入っても気管挿管などの処置がないと診療報酬に結び付きにくい。多くの救急科では、身体科と精神科の間にある溝に患者さんがすっぽりと埋没してしまっているのです」

ERが苦手な精神疾患患者 救急科のスキルが役立つ

一方、身体合併症を持つ精神科患者の入院件数はここ30年間、上昇傾向にある。高齢化による認知症患者の増加もあり、救急科に久村氏がいるメリットは大きい。

その一つが、隠れた精神疾患を見分ける「鑑別診断」の技術だ。身体合併症患者の多くは、精神科ではなく救急科に運ばれてくるが、見た目だけでは判別がつかない。しかし久村氏は医療面接で精神疾患の有無を見つけ出す。

また、精神疾患患者本人の同意がない入院には複雑な法的手続きが必要となる。自傷他害の恐れがある患者は警察に連絡、そこから保健所などの公的機関へと伝わり、精神保健指定医による診察で「要措置」と診断されて初めて入院が可能となる。

そんな状況の中、久村氏は精神科患者の入院をできるだけスムーズに進めていけるよう、日々邁進している。摂食障害の専門外来をしていた頃、当時行動分析学の祖として知られた心理学者、佐藤方哉氏(当時帝京大学文学部教授)のもとに足しげく通い「行動療法」を学び習得。言語を通したコミュニケーションが難しい患者に行動変容を起こさせ、外患者へと還元していった。

こうした技術と知識で、今の久村氏は、救急現場における精神科患者の診察や、潤滑なベッドコントロールを下支えしているのである。

「地味な仕事です。患者さんが劇的に回復していく救急科において、長い年月をかけてゆっくりと回復していく精神科医による治療は、なかなか理解されません。身体科と精神科の溝を埋めるには、精神科の治療を"見える化"する必要があるのです」

精神病理学の知識を活かし見えない治療を可視化する

だが、精神科の治療を分かりやすく説明することほど難しいことはない。精神科に来た患者には曖昧な診断結果を伝えることもある。久村氏は、それは好まない。

「私がやってきたのは、精神科医の治療をつまびらかにすること。なぜ、私が患者さんにこう説明をするのか、処方薬の理由や診断に至るプロセスを、他科の医療スタッフにも分かるようにして、その上で、知りたい情報を提供する。今後やるべき治療とは何か、いつ頃までに回復する見込みで、それをどうフォローすべきかということをできるだけはっきり示すようにしてきました」

久村氏のこうした姿勢は、初期研修を経て入局した北里大学医学部精神科学教室で出会った、宮岡等教授の影響が大きい。宮岡氏は、「リエゾン精神医学」を実践し、内科や外科などの身体科から診療依頼を受け、入院・通院中の患者の精神症状を診察して身体科と精神科をつなぐための医療をすでに実践していた。

「宮岡先生の診察は、それまでに会ったどの精神科医とも違いました。うつにしても、状態像、症状、診断にしっかりと分類し、医学の知識に基づいてはっきりと診断していました。精神科以外の医師と働く上でも、相手のニーズに合った情報をしっかりと与えることで円滑なコミュニケーションを図っていたのです」

礎となっているのは「精神病理学」の知識だ。久村氏は北里大学大学院へ進むと、精神病理学で学位を取得した。どういうプロセスを経て精神科の病気となり得るのかを系統立てて学んだことで、精神疾患の解釈や、精神病の説明が天と地ほども変わったのである。

精神科医に足りない身体科の技術を習得する

その後、久村氏は徐々に救急医へとかじを切っていく。直接のきっかけは、医師10年目で経験した救命救急センターへの出向だった。

「二次救急の経験はあっても、救命救急となると次元が違います。当時の私は、精神科の患者さんが自傷行為や大量服薬による中毒症状でやってきても、まるで歯が立ちませんでした。身体を診られなかったからです。精神科患者を救うには、まずは救命ができるようになる必要があると痛感しました」

問題が、精神科と身体科でのコミュニケーションにあると知った久村氏は、自ら救急医となり、精神科が可能な身体的フォローのボーダーを探っていこうと考えた。

市中病院、大学病院の救命救急センターで精神科医、救急医として働き、救急科専門医の資格を取得すると、次第に、救急医を名乗る機会も増えていった。そんな中、東日本大震災は起こった。

高いモチベーションの理由は患者に誓った手紙から

久村氏は、非常時における精神科医としてあるべき姿についてこう語る。

「被災した直後は、躁的防衛とでも言えるような気持ちの動きで、うつ状態にならず乗り切ることもある。精神科医の支援が必要とされるのは、むしろその後。私は、被災した直後には、あえて精神科医は傍観者でいる方がいいと思っています。勇気は要ります。ただそうしないと、被災者が直面している悩みや、心の問題が見えなくなってしまいます」

精神科の治療が分かりにくい理由はこうした部分にもある。

震災直後の気仙沼では、ふがいない経験もしている。身体には異常がないのに意思の疎通ができない男性が、昏迷状態で自衛隊のヘリコプターで搬送されてきた時のことだ。薬を投与して、数時間後には昏迷が解けたのだが、現場から「ヘリで運んできたのに空振りだ」という声を耳にした。

「確かにそう言える部分はあります。ただこの時の個人的な感想としては、精神科の患者は理解されていない感じがしましたね」

自分は一体、何をしているのか。そう感じる場面は、救急科でもたびたび経験した。それでもなお、久村氏がモチベーションを維持できているのは、患者との間で立てた、ある"誓い"があるからだ。

摂食障害の患者だった。いつ亡くなってもおかしくないひどい栄養状態で運ばれてきたが、容体が落ち着くと、久村氏の外来に長く通ってきた。不慣れな手つきで処置を行うこともあったが、嫌がるそぶりを見せたことは一度もなかった。

「その患者さんは、最終的には低血糖で亡くなられました。『二度と患者さんをこんなふうに亡くしたりはしない』。そう書いた手紙を、私はお葬式で親族の方に手渡しました。その約束があるから、私は頑張らないといけないんです」

摂食障害になると、低栄養や月経停止で認知能力が落ち、正しい判断ができなくなる。例えば「万引き」が摂食障害でしばしばみられるのも、これが関係していることがある。

「患者さんの行為だけを見ていては、本当の問題には気付けません。きちんとした医学の知識に基づいて診断しなければ、結果として苦しむのは患者さんですから」

人と情報が集まるERで全ての疾患を診るために

これまで、常に、社会的弱者に寄り添い続けてきた久村氏。今後の方向性について尋ねると、「本当の意味でのERを広めたい」という答えが返ってきた。

「日本にER型救急を広めた福井大学地域医療推進講座特命教授の寺澤秀一先生は、『全ての疾患を診るのがER医の仕事』とおっしゃっていました。全てというからには、精神科だけが例外であってはいけない。身体科と精神科をつないでいかなければなりません。そのために欠かせないのは、コミュニケーションです。コミュニケーションが良好であれば、情報が集まり、やがて人も集まって来ます。ひいてはそれが患者さんのためになる。私が作っていきたいのは、そういうERです」

久村氏が目指すERが、いつ日の目を見るかはまだ分からない。だが、一人の患者として、そんなERで診てもらいたいと思わずにはいられない。

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2019年1月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

ひさむら・まさき
1997年に金沢医科大学を卒業。中部徳洲会病院救急総合診療科などで2年間初期研修後、1999年に北里大学医学部精神科学教室入局。2008年から東京医科大学救急医学講座を皮切りに救急科を学び始める。2016年6月から埼玉医科大学総合医療センター救急科講師、2017年11月から現職

資格
救急科専門医、精神科指導医・専門医、精神保健指定医、心身医療科専門医など