婦人科問題に切り込み女性アスリートの「未来の健康」を守る 能瀬 さやか

東京大学医学部附属病院
女性診療科・産科
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/武末明子 写真提供/東大病院

女性アスリートは日々の激しい練習のために無月経や月経不順、骨密度低下などの健康問題を抱えやすい。さらに、コーチなどからの誤った指導により深刻な症状に発展することが多いのも事実である。産婦人科医でスポーツドクターの能瀬さやか氏は、「スポーツ医学=整形外科」というこれまでの常識を覆し、女性アスリートの"未来の健康"を守ってきた。2017年には国立大学初の「女性アスリート外来」を開設し、トップアスリートだけではなく、小学校から大学で部活動に励む一般学生に対するケアにも力を入れている。

「月経があるうちは、"一人前"ではない」。これはある女性アスリートが、実際にコーチから受けていた指導である。驚くことに、こうした指導がつい6年前まで、トップアスリートに当たり前のように行われていたという事実があった。

「当時は、月経痛を訴える選手に低用量ピルを勧めても、選手やコーチから拒否されることが日常茶飯事。低用量ピルは、『体重を増やし、パフォーマンスを落とす"悪魔の薬"』だと思わていたからです。オリンピックにも出場していたトップ選手から、『月経と大会が重なって自分のパフォーマンスが発揮できなかった』と相談された時には、あぜんとしてしまいました」

東京大学医学部附属病院で女性診療科・産科の医師として生殖内分泌グループに所属する能瀬さやか氏は、不妊治療や腹腔鏡手術を行いながら、2017年、国立大学病院初の「女性アスリート外来」を開設した。

同年の受診者数は、467人。トップアスリートのみならず、部活動などを行っている中高生も受診した。そのうち無月経を含めた月経不順を抱えていた患者は、約6割に及ぶ。

「『無月経』『骨粗鬆症』『利用可能エネルギー不足』は、女性アスリートの三主徴です。彼女たちの中には、運動量に対して食事量が少ない『利用可能エネルギー不足』によって『無月経』となり、エストロゲン不足で『骨密度の低下』を引き起こす選手が多くいました。問題視しなければならないのは、最大骨量獲得時期である20歳頃までに年齢相応の骨量を獲得していないと、その後も生涯にわたって骨量が低く経過してしまうケースがあるということです」

能瀬氏は、「スポーツ医学=整形外科」の常識を覆し、これまで誰も足を踏み入れなかった女性トップアスリートの「婦人科問題」に、たった一人で切り込んだ。そして、2012年には2%だった女性アスリートの低用量ピルの使用率を、わずか4年間で27.4%にまで押し上げた。

能瀬氏はなぜ、女性アスリートやコーチの意識を変え、治療につなげることができたのか。

産婦人科とスポーツ医学「どちらも諦めない」

能瀬氏は、バスケットボール一筋の学生だった。父親は青森県八戸市で産婦人科を経営しながら、後進の育成にも尽力してきた人物。早くからスポーツ医学に興味を持つ一方で産婦人科学も諦めきれず、両者の接点が分からず悩んでいたが、医学部5年で目にした小さな記事が、運命を決定づけた。

「ある記事に『女性アスリートは、無月経や骨粗鬆症になりやすい』と書かれてあるのを見つけ、もしかしたら産婦人科とスポーツはつながるのかもしれないという期待に胸が膨らみました。『産婦人科医』と『スポーツドクター』の両立が可能であるならばそれに挑戦してみたいと」

まずは産婦人科医として一人前になろうと、東大病院の産婦人科に入局した。しかし、当時はまだ、「産婦人科医としてスポーツ医学がやりたい」と言っても、誰一人、興味を持ってくれる医師はいなかった。それでも、能瀬氏のスポーツへの情熱は募る一方だった。

「時間の許す限り、スポーツと名の付く研究会や学会に片っ端から出席していると、徐々に女性アスリートを直接紹介されるようになりました。ただ、数人の選手を担当するだけでは、競技特性により異なるアスリートの実態を知ることはできないと感じていたのも事実です」

退路を断ちスポーツ一本に アスリートの実態に驚愕

転機となったのは、2012年の国立スポーツ科学センター(JISS)への転職だ。募集は内科医で任期は5年だが、多くのアスリートを診られるチャンスだと能瀬氏は迷った末応募した。

着目したのは、年間男女含め2~3000人のトップアスリートのメディカルチェックカルテだ。その中から、婦人科に関わるデータを拾い上げていったところ、驚くべき事実が明らかになる。何と女性トップアスリートの約4割が、無月経を含めた月経不順を抱えていたのだ。

「ふたを開けてみて驚きました。1年の無月経なんてまだいい方。23歳なのに一度も月経が来ていない選手もいました」

「太る」を理由に治療拒否 ピルへの偏見を払拭

手探りで治療が始められた。当時は、治療指針はおろか、日本人女性アスリートの実態すら明らかになっていなかった。

そんな中で能瀬氏が最初に取り掛かったのは、選手のデータを収集、分析し競技特性によるそれぞれの問題をひもといていくことだった。

「フィギュアスケートなどの審美系や、陸上中長距離の持久系の選手には『無月経』が多く、球技系やパワー系、アーチェリーなどの技術系の選手は無月経よりも月経困難症や月経前症候群(PMS)などの月経随伴症状がコンディションやパフォーマンスに影響していると感じている選手が多かった。選手の抱えている問題は競技によりさまざまでした」

体重の壁にもぶつかった。選手に月経対策で低用量ピルを処方しようとすると、体重増加を懸念して治療拒否されるのだ。「未来の健康」より「目先の記録」が重要視される。特に、無月経の多い審美系、持久系の選手にとって体重増加は死活問題なのだ。

「『ピルが太らないことをデータで示す』必要がありました。まずは、低用量ピルの服用前後で、体組成や体脂肪率、体重がどう変わるかを調べ、思考錯誤しながら選手ごとに低用量ピルを使い分け希望体重に影響が出ない薬剤の選択を追究しました。また、それに加え、ピルへの偏見を取り除くために、診療外で選手一人ひとりに直接説明をしました」

ピルの処方以外にも「エネルギーバランスの改善」について選手は難色を示した。利用可能エネルギー不足による無月経には、薬ではなく食べる量や内容を調整して治療することが国際的な基準となっている。だが、最初はどうやってエネルギー摂取量や運動によるエネルギー消費量を調節するのか、どうすれば選手が治療を受けるようになるのか、皆目見当が付かなかったという。

状況が一転したのは、婦人科外来でスポーツ栄養士とタッグを組み、選手のエネルギー摂取量と運動によるエネルギー消費量を調査し始めてからだ。アスリートに不足しがちな栄養素が炭水化物であること、「無月経」「骨粗鬆症」「利用可能エネルギー不足」の三主徴のうち1つでも当てはまると、疲労骨折のリスクが格段に高まるという事実が明らかになったのだ。

「無月経で疲労骨折を繰り返した選手は成績を伸ばすことができません。客観的なデータをもとに、『パフォーマンスを落としたくなければ、エネルギーバランスを見直しましょう』と、スポーツ生命がかかっている事実を伝えて治療につなげてきました」

こうした地道な努力と、昨今の女性アスリートの活躍、そして東京オリンピック・パラリンピックの開催が追い風となって、ここ数年は、選手自らが受診に来ることも増えてきた。また、最近では、無月経の選手を採用しない実業団も出てくるなど、女性トップアスリートを取り巻く環境は数年前から一変した。

教育現場に切り込み10代の現状を変える

だが、一方でトップ選手以外の中学・高校の部活動が対象となると、いまだ手付かずの状態である。JISS在籍中、日本産科婦人科学会と一緒に行った調査では、「無月経を訴える選手に競技レベルの差はない」という結果となり、トップ選手と同じ問題が、部活動などを行っている10代にも起こっていることが分かった。最大骨量獲得時期より前の無月経を防ぐ意味でも、10代からの予防的介入が不可欠なのだ。

「トップになる実力を持ちながら、疲労骨折などにより10代で競技を諦めた選手を何人も見てきました。それにもかかわらず、強豪校の部活動などではいまだに体重増加に罰金を科すなど、旧態依然とした体質が残っているのです」

能瀬氏は、正常な状態を知らないために「異常」に気付けないのではないかと、その原因を分析する。

「日本人には月経をタブー視する風潮があり、婦人科問題について知る機会が少ない傾向にあります。一方で、男性のコーチが『女性アスリートの健康管理について知りたい』と講習会に参加してくださる機会も増えています。体に起こる『異常』に気付くためには、男女問わず女性の身体について正しく知ることが必要なのです」

また、養護教諭が定期的に女子生徒を問診し、必要に応じて産婦人科医につなぐ仕組みを作ることが、取りこぼしのない医療に必要だと考えた能瀬氏は、昨年末、自身が理事を務める女性アスリート健康支援委員会(以下、健康委員会)の主催で、養護教諭や部活動の指導者向けシンポジウムを開催した。それと並行して実施しているのが、受け入れ先となる産婦人科医への正しい知識の啓発である。

現場に返してこそ臨床研究には意味がある

「まずは、『利用可能エネルギー不足』の選手にはピルを処方しない、ドーピング禁止物質が含まれている可能性がある漢方を処方しない、という基本的な知識だけでも産婦人科医に伝えていきたいです」

能瀬氏はこれまで、全都道府県の産婦人科を一県ずつ訪問し、アスリートを診療する際の留意点などを講習で伝えてきた。受講した産婦人科は、健康支委員会のウェブサイトで公開されるので、女性アスリートが産婦人科を選択する際の参考にすることができる。

「将来的には、スポーツドクターであるか否かではなく、あらゆる産婦人科医がアスリートを当たり前に診られるようになればいいと思います。そして、産婦人科医とスポーツ栄養士、精神科医、整形外科、内科、小児科がチームで医療を提供できる環境が理想です」

現状は厳しい。スポーツ栄養士が医療機関で働くことが保険点数につながらないというハードルもある。だが、能瀬氏はそういった環境を整えることこそが自身の使命だと考えている。

「国から研究費をもらっている私には、やりっぱなしではなく、収集したデータを現場にお返しする責任があります。女性アスリートの問題は今、極端な例として注目されていますが、一般女性にも低体重や摂食障害の人たちが多く、そこには健康障害をもたらすリスクがあります。この問題を広く認知してもらうよう働きかけることも私の役割だと思っています」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2019年2月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

のせ・さやか
2003年 北里大学医学部 卒業、同愛記念病院 研修医
2006年 東京大学医学部産婦人科学教室入局
東京大学医学部附属病院産婦人科、総合母子保健センター愛育病院、焼津市立総合病院、東京日立病院、八戸クリニック産婦人科、国立スポーツ科学センターメディカルセンター、富山大学産婦人科
2017年 東京大学医学部附属病院女性診療科・産科
     国立スポーツ科学センター婦人科 非常勤
     浜田病院 非常勤

資格
日本産科婦人科学会 専門医、日本スポーツ協会公認スポーツドクター、日本障がい者スポーツ協会公認障がい者スポーツ医、日本女性医学学会女性ヘルスケア専門医、医学博士