ブラジルで新治療法を習得 日本で初めて成功させる
実際に臨床の現場に立ってみると、次第に"無駄"だと思っていた1年間で得られたものが見えてきた。
「臨床ができなかった1年間にResearch(研究)を進めていたことで、他の先生の手技を見ながらデータを解析し、一歩引いた視点からじっくり考えることができました。その考えをもとに治療に臨めたことは、大きなメリットだったと思います」
ブリガム病院(Brigham and Women's Hospital)で年間500例以上のアブレーション治療に携わるなど、着実に技術を身に付けていた副島氏は、高い臨床能力だけでなく研究分野でも評価され、2003年にはハーバード大学医学部循環器科の助教授に就任。日本人として"壁"を感じることはなかったのだろうか。
「海外から来ている医師も多く、Diversity(多様性)のある環境だったので、日本人だから、女性だからと壁を感じたことはなかったですね。臨床に集中できる環境で新しい技術をどんどん取り入れて、それをすぐに臨床に反映させることができる。治療の効果が見えることで、モチベーションも上がりました」
当時、不整脈治療は著しく進化していた。副島氏が技術を学びに行った、心外膜アブレーションもその一つ。心外膜アブレーションはブラジルのSosa博士が開発した治療法で、内側からのアプローチだけだったカテーテルアブレーションにおいて、心臓の外側から焼灼をするという画期的なものである。心臓の筋肉は1cmほどあるため、それまで外側に不整脈のもとがあると内側からでは焼灼ができなかった。
「実はこの治療法が生まれたのは、Sosa先生と同僚の麻酔科医との会話からでした。心臓の外側には心嚢があって、その狭いスペースにカテーテルを入れるのは難しいのですが、その話をたまたま聞いていた麻酔科医が硬膜外麻酔用の針を教えたのがきっかけです。同じ循環器内科の医師だったら『危ない』と考えてしまうところ、違う分野の人と協力することで出てきた発想です」
Sosa博士の下で学んだ副島氏は1週間で手技を習得すると、ボストンに戻って手技を広めることに尽力。2004年には患者からの強い希望を受けて、日本で初めての心外膜アブレーションを成功させた。
「日本では新しいものを取り入れることに必ずしも前向きではありません。だからこそ一例目は成功させなければならない。新たな治療法が後に続いていくためにも、その責任は大きいですよね」