共通の"物差し"づくりで常識を変える 日本の感染症医療を世界レベルに 大曲 貴夫

国立国際医療研究センター病院 副院長
国際感染症センター センター長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/小山英樹

日本の感染症分野はこれまで欧米諸国に比べて遅れをとっていたが、高齢化や国際化の波を受けて、ここ10年で肩を並べるほどに大きく前進している。病院での院内感染対策が診療報酬の加算対象になり、感染症科を新設する病院が増えるなど、まさに追い風が吹いている状況だ。
国立国際医療研究センター病院で国際感染症部門のセンター長を務める大曲貴夫氏は、感染症を専門とする医師がほとんどいない時代にその重要性を見抜き、社会のなかでの感染症医療の進むべき道を示してきた先駆者である。

遅れていた日本の感染症医療 データの積み上げで前進させる

中東呼吸器症候群(MERS)、エボラ出血熱、ジカ熱―。ここ数年、海外では恐ろしい感染症が発生している。そうした国内の危機管理に関わる専門医療から、インフルエンザやノロウイルスなどのごく身近に発生する感染症の治療や院内感染対策まで、感染症科がカバーする領域は幅広い。

「感染症の専門医療に関しては、私が感染症医になった15年前と比べると医師の数も増え、欧米諸国のレベルに並んできています。一方で、一般的な感染症の診療ではその評価は難しいところ。例えば薬の使い方など、もともと日本は大きく遅れをとっていました」

近年、感染症分野における大きなテーマとなっているのが、薬物耐性菌の問題。日本では抗菌薬の開発が盛んだったことに加えて、重症化する前に医療機関にかかる医療保険制度によって、制限なく抗菌薬が使われてきた背景がある。2005年の調査データでは、いわゆる"風邪"とされる急性気道感染症の診療で、抗菌薬の処方が適正とされた患者が7%だったのに対し、実際に処方されたのは60%に上っていたことが分かっている。

「そもそも日本には抗菌薬の適正な使用量を測るための統一した"物差し"がなかったんです。だから正確な測定ができず、改善法も分からない状態。とにかく共通の物差しを持つ必要がありました」

2004年に米国留学から帰ってきたばかりの大曲氏がまず取り組んだのが、その物差しづくりだった。2年間の留学で学んだ研究の方法や、データの取り方、まとめ方を日本に持ち込み、浸透させた立役者である。正確にデータをとることで分析ができるようになり、その結果を積み上げることで新たなスタンダードとして広めていく。現在では、抗菌薬の使用量は30%にまで下がった。

感染症医としての大曲氏の歩みは、そうした"物差し"づくりを通して感染症医療の基準をつくった軌跡でもある。

豊富な症例数と高度医療で鍛えられた米国留学

大曲氏が感染症医を目指したのは、研修先として選んだ聖路加国際病院で、感染症医療の第一人者である古川恵一氏(現・国保旭中央病院)に出会ったことがきっかけだった。

「感染症医療がいかに専門性が高く効果的かということを、経過が良くなる患者さんを見て実感しました。きちんとやれば患者さんを助けることができる、"これは間違いなくやりがいがある"と思いました」

古川氏のアドバイスで2002年に米国へ。200通以上の申し込みメールを送り、返事のあったテキサス大学(The University of Texas-Houston Medical School)の感染症科に留学した。実際に診療を始めてみると、苦労の連続だったと振り返る。

「最初は英語ができなかったので本当に大変でしたね。今考えると人種差別もあったと思います。日本人の先輩からは『とにかく3ヶ月は耐えろ』と言われていたので、それまでは頑張るつもりでした」

その言葉どおり、3ヶ月を過ぎたころから少しずつ周りが見えてきたと言う。大学に併設されたMDアンダーソンがんセンターには、複雑な感染症治療を必要としている患者が多く集まり、医師に求められる医療は高度なものだった。

「忙しい職場で仕事量も多かった。正直、聖路加国際病院でかなり鍛えられていたので、相当のことには耐えられると思っていたのですが、予想以上でした。でも多くの症例を経験したことで、確実に力はつきました」

それほど過酷な状況のなか、大曲氏を支えていたのはどのような思いだったのだろうか。

「ここでの研修をちゃんと終えなければ感染症の専門家にはなれない、という強い不安感からでしょう。だからやりきるしかない。米国で学んだことを活かして、日本の社会に貢献したいという思いがモチベーションでした」

2年間の留学期間を終えて継続のオファーもあったが、"すぐにでも日本でやるべき"と考え、迷うことはなかった。

「専門家はものを言うべき」本物のチーム医療とは

帰国後、がんセンターとして初めて感染症科を開設しようとしていた、静岡県立静岡がんセンターに招聘された大曲氏。立ち上げを任されて赴任した初日、他科の医師たちから掛けられたのは「感染症科って何をするの?」という思わぬ言葉だった。

「本当に分からなかったのでしょう。それが現実だと思います。存在意義を認めてもらうためには、感染症科の取り組みによって患者さんが良くなったという実績を積み上げる必要がありました」

医師たちが治療効果を実感するのに時間はかからなかった。感染症科が関わることで患者の予後が良くなり、抗がん剤治療中の管理も効果を上げていた。そうした結果を目の当たりにして、他科の医師たちはすぐに評価をしてくれたという。「感染症医に任せるとがん治療に専念できる」と口伝えで広まり、わずか2、3年で感染症科への印象はガラリと変わった。

「もともと静岡がんセンターでは、良いものをすぐに取り入れる土壌ができていたんです。『専門家はものを言うべきだ』という発想のもと、個々が専門性を発揮することで全体を高めていく文化があり、それが本物のチーム医療につながっていた。だから自然と分業が進みました」

当時、大曲氏が取り組んだ"物差し"づくりで、日本のスタンダードを大きく変えたものがある。感染症の診断で重要な血液培養検査について、欧米では血流感染症の診療効率が高い2セット採取が標準とされていたのに対し、日本では1セットしか採取されないことがほとんどだった。2セット採取は1セットの場合と比べ、病原体の検出感度が約30%上昇するという報告もある。大曲氏が実態調査を行ったところ、日本の医療機関での2セット採取率は低いことがわかった。そうしたデータを基に、適正な検査を広めるための啓発活動に力を入れた結果、日本でも2セット採取が推奨されるようになった。

調査データの数値化・共有で抗菌薬の適正使用を目指す

現在、大曲氏が率いる国際感染症センターで進められている研究の一つに、薬剤耐性(AMR)に関するものがある。2016年4月には厚労省から薬剤耐性(AMR)対策アクションプランが発表され、国を挙げて耐性菌の対策が進められているなか、国際感染症センターのなかに設置されたAMR臨床リファレンスセンターでは2019年4月に全ての医療機関からアクセスができるデータベースシステム「J-SIPHE」を公開。抗菌薬の適正使用への取り組みや、医療関連感染症の発生状況などの情報を入力し、数値化した調査データを見える状態にした。"物差し"づくりが形になったものである。薬剤耐性における統一基準ができたことで、医療機関ごとの比較・検討ができるようになった。

「これまで現場の声で多かったのは『うちは特別だから』というもの。それでは比較にならないですよね。データベース化によって同じような特性の病院で比較ができるようになれば、自分たちのパフォーマンスが分かり改善すべきポイントが見えてくる。同じ物差しを使うことが、感染症対策の標準化にもつながります」

活躍の場が広がる感染症医 社会に関わる医療を担う

感染症の治療では、マラリア、結核、HIVなど特殊な疾患で高い専門性が求められるのはもちろんだが、実はありふれた疾患への対応こそが重要だと大曲氏は言う。患者の全身をトータルで診る、総合診療的な見方が欠かせない。だからこそ感染症医を目指す若い医師たちには、内科や救急、小児科といった全身診療ができる研修を受けてからサブスペシャリティーで感染症科を選ぶことを勧めている。

「専門家が必要なのは事実ですが、感染症科医はいわば内科医の延長です。日本では一般的な感染症教育がされてこなかったので、例えば風邪の診断については医学部ではほとんど習わない。それが抗菌薬の過剰処方の問題にもつながっています。感染症にはCommon Diseaseが非常に多いので、そうした疾患への対応も含めて全て診る必要があります」

感染症に興味を持つ若い医師たちは増えてきているものの、まだまだなり手が不足しているのは、「感染症医のキャリアパスが描けない」ことが理由の一つであると大曲氏は分析する。

例えば感染症学が進んだ英国では、1800年代にはジョン・スノー博士やナイチンゲールなど疫学分野で優れた医療人を輩出し、疫学や感染学を重視することで国が強くなっていった歴史がある。

「日本でまだ感染症医の役割が確立されていないのは、社会として感染症学の重みを感じてこなかったからでしょう。だからこそ、感染症医の活躍の場が広がっていることを示していく必要があります」

国立感染症研究所やWHOといった政策に関わるポジションなど、感染症医の専門性を活かせる場は病院内にとどまらない。

「私自身、臨床の一分野として見ていたら行き詰まっていたかもしれません。でも感染症は社会との関わりが強い診療科。そうした関わりのなかで自分たちの存在意義が見えてくるのです」

国際感染症センターは2017年4月にWHOコラボレーションセンターに認定され、ますますその重要性が高まっている。

「センターに赴任した当時は、『アジアでの感染症の拠点をつくりたい』と言ったら笑われましたが、そこを目指して頑張っています。国際的な感染症対策をはじめ、海外への支援、新興・再興感染症対策、薬剤耐性対策など世界的な広がりがあるなかで、日本はしっかりと役割を果たさなくてはなりません。今後は、感染症を専門としない人たちにも感染症医療の重要性を伝えていきたい」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2019年7月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

おおまがり・のりお
1997年 佐賀医科大学(現:佐賀大学)医学部医学科 卒業
1997年 聖路加国際病院内科 レジデント
2002年 The University of Texas-Houston Medical School 感染症科
2004年 静岡県立静岡がんセンター感染症科 医長
2007年 静岡県立静岡がんセンター感染症科 部長
2010年 静岡県立静岡がんセンター感染症内科 部長(部署名変更)
2011年 国立国際医療研究センター病院 国際疾病センター 副センター長
2012年 国立国際医療研究センター病院 国際疾病センター センター長
2012年 国立国際医療研究センター病院 国際感染症センター センター長
2017年 国立国際医療研究センター病院
     AMR臨床リファレンスセンター センター長 総合感染症科 科長