目指すのは"光合成のような外来"―― 土谷 薫

日本赤十字社 武蔵野赤十字病院
消化器科 副部長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/横井かずえ 撮影/皆木優子

ラジオ波焼灼術(RFA)の治療実績では全国で10本の指に入る武蔵野赤十字病院。肝臓疾患で高い実績を誇る消化器科の土谷薫副部長は、学生時代に出産、40歳を過ぎてからの留学などを経験し、自身を「王道から外れた存在」と評しつつも、肝臓専門医として技術の研鑽に努めてきた。

女性医師のロールモデルとされることを嫌い、ひたむきに患者と向き合い最善の治療法を提供することにやりがいを感じる土谷氏に、肝臓専門医としての想いを伺った。

泉院長の下でラジオ波焼灼術を研鑽

2000年に消化器科へ入職後、肝臓疾患を得意とする周囲の医師たちから刺激を受け、肝臓専門医としての道を歩んできた。中でも最も強く影響を受けたのが、ラジオ波焼灼術(RFA)の第一人者である泉並木院長だ。同院の肝がんラジオ波治療は1500例以上に上り、全国でも毎年トップ10入りする実績を誇る。土谷氏は泉院長から直々に指導を受け、自身もラジオ波治療の技術を磨いてきた。

「C型肝炎に対する治療法は、新規抗ウイルス薬が登場したことによって大きく前進しました。これにより肝がんにまで進行する患者が減り、ラジオ波の手術件数自体は全国的にも減少傾向にあります。現在はラジオ波、肝動脈塞栓術(TAE)、化学法、リザーバー肝動注化学療法、放射線治療(定位照射)を組み合わせることで、トータルでの肝がん治療を行っています」

ラジオ波によって短期間の入院でがんを確実に死滅させることが可能になり、肝がんの5年生存率は70~80%にまで上昇した。高度に進行した肝がんに対しては、高精度放射線治療や分子標的治療薬による化学療法など、生活の質を保ちながら生存期間を延ばす治療を患者と相談しながら進めていく。肝がんに対する化学療法の進歩は著しく、新規分子標的治療薬や免疫チェックポイント阻害薬、あるいはこれらの組み合わせによる臨床治療の受託も多い。

「私が入職したころは、肝がんといえば抗がん剤が効かず、転移すれば非常に予後の悪い病気でした。現在はスクリーニングシステムが発達して早期発見が可能になったことや、治療装置・治療支援機器の改良によって治療成績は大きく向上し、予後も延びています」

肝がんは極めて高頻度で再発が起こり、治療方法はステージではなく肝機能に左右されるのが特徴だ。アルコール性肝障害や糖尿病などの合併症があるケース、非アルコール性脂肪肝炎から進行するケースなど原因はさまざまで、肝がんの治療のみならず生活スタイルも含めたコントロールが必要になる。

もともと「患者とじっくり向き合いたかった」という土谷氏は、10数年にわたる付き合いになることもある現在の診療にやりがいを感じている。

「肝がんの治療をすることは、すなわち肝臓の治療をすること。私たちの目標は、肝がんや肝硬変などの病気があっても、できるだけ健康な人と同じように生活を楽しめるようサポートすることです。可能な限り良い状態で予後を延ばしていけば、家族や友人と共に、その人らしい生活を続けることができます」

患者こそチャレンジャー 本気の生活改善をサポート

患者と真摯に向き合う中で、病気を通じて互いの絆を深めていく家族の姿に遭遇することも少なくない。

「多くの患者さんは前向きで、チャレンジャーです。これまでできなかった禁酒や薬、食事のコントロールや運動療法にも挑戦するわけですから。患者さんが主体となって治す病気ですから、生活改善に本気で取り組んでもらえるようサポートするのが私の役割です」

わが国のラジオ波治療は手術件数、技術レベルでも世界トップレベル。現在は副部長という立場で、診療科のマネジメントや後進の指導にあたることも多い土谷氏は、技術の伝承にも力を入れている。

「早期発見ができるようになったとはいえ、まだまだ肝がんの患者さんはたくさんいます。都市部だけではなく全国どこにいても標準化された治療ができるように、熟練した技術を持つ医師を増やしていくことは重要です」

両親・祖父母共に医者の家に育ち、自然と医師の道へと進んだ。数ある診療科の中、なぜ消化器内科を、そして肝臓専門医を選んだのだろうか。

「内科でありながら外科の要素を持つところに魅力を感じました。化学療法は長期で治療成績を捉えていくのに対し、内視鏡などは治療の結果がはっきりとした形で現れる。その双方を経験できるのが魅力ですね。消化器内科の医師たちは明るく、外科的なキャラクターが多かったのも理由の一つです。肝臓は再生能力のある数少ない臓器で、何歳になっても改善していく可能性を秘めている。今は肝臓を専門に診察することができ、本当に恵まれた環境だと感謝しています」

40歳にして留学を決意 周囲からは猛反対も

2015年からウィーン医科大学消化器内科に留学し、がんのバイオマーカーなど基礎研究に従事した。留学を決意した時は、周囲から猛反対を受けたと明かす。

「一般病院の医師で、しかも40歳を過ぎて留学して何の意味があるのかと、周囲は大反対でした。ですが入職してずっと一つの病院に勤務して、自分自身の視野が狭くなっているのを感じていました。何かを変えたいと思い、留学を決意したのです」

留学先のウィーンでは、現地の医師免許すら持たない一人の女性として予想以上の困難が待っていた。一番は言葉の壁だ。大学勤務の初日、英語が話せないオーストリア人の病院スタッフに言葉が全く通じず、白衣をもらう手続きすらままならなかったと振り返る。

「ドイツ語の語学学校にも通いましたが、ペアの発音練習の時に、誰も私と組んでくれないのです。ショックでした。普段、患者さんには『聞きたいことがあれば、なんでも聞いてくださいね』と言っているのですが、本当に弱い立場になると、人は聞きたいことすら聞けなくなるのだと知りました」

海外での経験は、医師としてはもちろんのこと、人間として一回り大きく成長する糧となった。

「学会でも動じなくなりました。一般病院勤務の女性医師ということで、これまでは少なからず肩身の狭い思いをすることがありましたが、『日本語が通じるだけで幸せ』と、ある意味で開き直ることができるようになりました」

仕事と家庭の両立を阻むのは 悪意ではなく想像力の欠如

肝臓専門医として邁進する一方で、医学生時代に出産を経験し、一児の母という顔も持つ。土谷氏に限らず同院には女性医師が多く在籍していて、常勤医228人中女性医師が69人を占めている(2019年2月現在)。消化器科でも17人中、女性医師が5人で、そのうち2人が産休明けの勤務体系で勤務中だ。

日本赤十字社は、職員の育児と仕事の両立を支援している企業として、次世代育成支援対策推進法に基づく認定(次世代認定マーク「愛称くるみん」)を受けている。院内保育所の整備や育児短時間勤務制度を整え、産後は柔軟な勤務体系からフルタイムへシフトしていくことが可能だ。こうした制度は女性医師に限らず、男性職員が利用することもでき、介護や子育てに活用できる。

病院独自の支援制度のほか、現在は学会等でもさまざまな女性支援策を講じており、そうしたシステムは積極的に活用した方がいいと土谷氏はアドバイスする。

「5年、10年とキャリアを積み上げてきた先生が出産で1、2年休んだだけで、研修医が行うような仕事ばかり回されるのはおかしな話。とはいえ子供の病気など、出産前と全く同じように働くことは不可能です。モチベーションを維持しつつ家庭と両立させるのは、なかなか難しいです」

家庭と仕事の両立を困難にさせているのは、多くの場合、"悪意"ではなく"コミュニケーション不足"や"想像力の欠如"であるとも指摘する。

「上司や男性医師が産後の女性医師に簡単な仕事ばかり振ったとすれば、それは決して悪意ではなく、むしろ善意の結果なのです。ですがそれが女性医師に居心地の悪さを感じさせることもある。その中間にいる私たち世代は、双方の調整をしていく役目を果たす必要があると感じています」

王道から外れても構わない 患者と向き合う日々に喜び

「子供のいる医師は内科医には向かない」といわれながらも消化器内科医を志し、「40歳過ぎての留学は意味がない」と反対されても押し切って留学。自分自身のことを「王道からは外れている」と語る土谷氏。「やりたいことは口に出してみれば、何とかなるもの」と楽観的だ。

「周囲と比べない、真面目になりすぎない。特に女性医師は真面目で責任感が強い人が多いように感じます。ですが完璧である必要などありません。私はママ友もいないし、おしゃれなホームパーティもやりませんが、患者さんと向き合い楽しく過ごしています。臨床医であれば自分の患者さん、研究者なら自分の研究を大切にしていけば道は開けると信じています」

患者と向き合う日々、喜びを感じているという土谷氏の外来を訪れる患者は明るく、前向きだ。ラジオ派の治療が終了した後には「先生、また再発したら焼いてくださいね」と元気に退院していく患者が多い。

「医師なのに非科学的だといわれるかもしれませんが、自分は運が良いと思っています。その運の良さを共に働く医師にも患者さんにもシェアしたいと思っています」

今後の展望は、論文数を増やしていくこと、新薬の効果を実臨床の場で検証していくこと、ドイツ語・英語を継続して学ぶことと、尽きることが無い。「自分に足りないところは、いくつになっても伸ばしていきたい」と語る土谷氏が目指すのは"光合成のような外来"だ。

「患者さんが病気で感じている不幸せを幸せに還元してお返しできればといつも願っています」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2019年9月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

つちや・かおる
1998年 群馬大学医学部 卒業
1998年 日本赤十字社医療センター 臨床研究医
2000年 武蔵野赤十字病院 消化器科
2009年 山梨大学医学系大学院 先進医療科学 修了
2011年 武蔵野赤十字病院 消化器科 副部長
2015年 ウィーン医科大学 消化器内科 留学
2017年 武蔵野赤十字病院 消化器科 副部長(復職)