「消えかかる患者の命を救いたい」 救急医療の最前線で活躍するフライトドクター 番匠谷 友紀

公立豊岡病院組合立 豊岡病院
但馬救命救急センター 医長
[Challenger]

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/安藤梢 撮影/緒方一貴

国内トップのドクターヘリ搬送件数を誇る公立豊岡病院の「但馬救命救急センター」。年間に受け入れるドクターヘリの搬送は2000件を超える。"日本一忙しいドクターヘリ" としても知られている同センターで、熱い想いを胸にヘリに乗る女性医師がいる。センター立ち上げ当初からのメンバーでもある、救急医の番匠谷友紀氏だ。
救急医療の最前線で、日々患者の命と向き合う番匠谷氏に、病院前診療が果たす役割や救急医としてのやりがいなどを伺った。

ヘリポートから検査室へ直行 一秒でも早く治療を始める

2010年、兵庫県豊岡市にある公立豊岡病院に、北近畿エリア初となる救命救急センターが開設された。「但馬救命救急センター」がカバーするのは、京都北部から鳥取東部までのいわゆる"医療過疎地"と呼ばれる広い医療圏だ。年間に受け入れる救急搬送は1万6000件。そのうちドクターヘリでの搬送は2000件を超えている。

「ドクターヘリの導入後、救命率は向上しています。院内体制の整備にも力を入れてきた成果です」

そう話すのはセンターの立ち上げから関わる救急科の番匠谷友紀氏。救急症例を一手に引き受ける救命救急センターとして、いかに多くの患者を救うか。"最後の砦"が果たす役割は大きいという。

「通常、ドクターヘリで搬送された患者さんは救急初療室に入り、処置を終えてから検査をしますが、私たちは搬送中に初療をして、到着後はCT室に直行します。他科との連携が必要ですし、院内の受け入れ態勢も整えておかなければならない大変さはありますが、確実に時間短縮につながり、救命率も上がっています」

フライトドクターから検査の指示が入れば、5分後には検査を始められる体制が整っている。そうした努力が実を結び、同センターでは開設以降、一度も救急搬送を断っていない。

フライトドクターが1日にドクターヘリに乗る回数は平均5、6回。多い時には1日10回以上も乗ることがある。現在、26人いる救急科の常勤医のうち17人が月に4、5日の当番日を受け持つ。今でこそ全国から学びに来る若手医師たちが引きも切らない同センターだが、開設当初はわずか9人の医師で対応していた。

「当直日には救急搬送からウオークインで来た患者さんまで、全ての症例を一人で診ていました。当直明けがドクターヘリの当番日だったので、全部終わるころには疲れ果てて家に帰る体力さえも残っていないことが多々ありました」

言葉とは裏腹に、そう振り返る表情は不思議と明るい。

「つらいというよりは楽しかったです。手術をする機会も増え、それまでアシストがメインだった血管内治療も自分でやるようになり、できる手技が増えていく充実感がありました」

忙しい日々ながらも救急医としての力を着実につけ、夢中で走り続けた番匠谷氏。彼女のモチベーションになっていたのは、どんな想いだったのだろうか。

産婦人科から救急科へ 救えなかった患者への想い

学生時代に目指していたのは産婦人科医。その気持ちが変わったのは、研修医2年目の時に、ある患者と出会ったことがきっかけだった。救急科での研修中に産科病棟で急変があり、慌てて駆けつけると患者は大量出血で心肺停止直前の状態。出産後の弛緩出血が原因で、出血性のショックを引き起こしていた。

「上級医と一緒に初療にあたり、ICU(集中治療室)で治療を続けましたが、亡くなってしまいました。不妊治療の末にやっとできた赤ちゃんで、まだ抱っこもしていなかったのに助けることができなかった……。今でもその患者さんの名前はもちろん、CT画像も鮮明に覚えています。そのくらいショックでした」

産婦人科での研修だけでは救急症例に対応する機会は少ない。もしまた同じような患者に出会ったら、助けることができないと思った番匠谷氏は、症例が豊富な救急科で全身管理の経験を積もうと決心する。初めは2年で産婦人科に戻るつもりだったが、気付けば「救急医としてもっと患者を助けたい」という想いが強くなっていた。

「私たちがいなければ助からなかった患者さんを救った時には、一番やりがいを感じます。しかしたとえ、軽い症状で救急外来に来た患者さんでも、熱を下げてほしいなど、目的があって来られるので、1回1回の診療でそれに応えられることもまた喜びです」

つらい別れの場面に立ち会うことも多い救急医。くじけそうになったことは何度もあるという。

「『お前じゃなかったら救えたよ』と上司から言われて、辞めた方がいいのかなと思ったこともあります。でも、結局は続けるしかない。それ以外に、その方たちの無念を受け止め、次の患者さんに活かすことができないからです。当時はひどいと思った上司の言葉も、経験を積んだ今なら、悔しさから出た言葉だったと分かります」

フライトドクターに必要な迅速な判断力と視野の広さ

現在、但馬救命救急センターのセンター長を務める小林誠人氏との出会いも、番匠谷氏に大きな影響を与えた。小林氏はJR福知山線列車脱線事故で現場責任者を務めるなど、数々の災害現場、多数傷病者対応を経験している救急医のスペシャリストである。当時、小林氏が所属していた大阪府済生会千里病院千里救命救急センターに、番匠谷氏が研修を受けに行ったのが初めての出会いだった。千里救命救急センターは救急搬送が多く、扱う疾患も幅広い。さらに、全国的にも導入されたばかりのドクターカーで、病院前診療に積極的に取り組んでいた。

「一番驚いたのがスピード感。京都の救命救急センターでは救急科の人員が少なかったので、他の診療科の先生に専門治療を頼まなければなりませんでしたが、千里病院では自分たちでカテーテル治療まで行っていました。救急科の医師がサブスペシャリティを発揮することで、確実に救える命が増えると実感しました」

その後、但馬救命救急センターの開設を任された小林氏から、立ち上げメンバーとして抜てきされた。ドクターヘリに乗るのは初めての経験だったが、フライトでペアを組んでいた小林氏からはチーム医療の大切さを学んだと話す。

「小林センター長が救急隊の方と積極的にコミュニケーションをとっている姿が印象的でした。一人ひとり名前で呼び掛けて、同じチームのメンバーとして接する。救急医だけでは患者さんを救うことはできないのだと、私の意識も変わりました」

ドクターヘリの役割は、患者の状態を安定させたうえで迅速に搬送すること。一刻を争う治療が必要な患者にはその場で手術を行うこともあるが、いち早く病院に運ぶことが最大の任務だという。

「病院前診療でできることは限られています。現場で不要な処置をしていると、搬送に時間がかかってしまう。安定化して搬送するために、どういう処置がどこで必要なのかを判断するのがフライトドクターの仕事です」

現場での滞在時間を短くするためにできるだけ機内で治療を行い、わずかな時間のロスもなくしていく。同センターのドクターヘリでは、気管挿管の75%以上は機内で行われる。

「フライトドクターには判断力に加えて、視野の広さが求められます。患者さんの処置をしながら、救急隊やフライトナースの動きにも目を配る。冷静に全体を眺めて、誰に何をしてもらうのがベストか優先順位を決めて指示を出す必要があります。でも一番大事なのは熱い気持ち。それがなければフライトドクターは務まりません」

出産後も救急医として活躍 後輩が働き続けられる環境を

昨年10月に第1子を出産して、6月に復帰したばかりの番匠谷氏。これまで周りには産休後に復職した救急医はいなかったが、「仕事がない人生は考えられない」と、子育てとの両立に奮闘している。現在は時短勤務で当直とオンコール対応は免除されているものの、ドクターヘリの当番は他の医師と同じように担当する。産休中に日本外傷学会外傷専門医の資格を取得し、今秋には救急科の指導医資格を取得するなど、スキルを高める努力も欠かさない。

「人員が少ない病院では難しいかもしれませんが、救急科はオンとオフの切り替えがはっきりしているので、意外と女性医師でも働きやすい環境だと思います。今まで漠然と、女性医師は男性医師に比べ、患者さんへの思い入れが強いように感じていたのですが、子どもを産んでみて、患者さんへの気持ちは子どもへの愛情と同じだと気付きました。救急の現場で泣いてしまう医師もいますが、それは患者さんを想う気持ちから。助けたいという気持ちさえあれば、救急医に向いていると思います」

産休明けでドクターヘリに乗ったのは1年振りだったというが、不安はなかったのだろうか。

「8年間で積み重ねた経験は身に染みついているので、戻ったらすぐに勘を取り戻せる自信はありました。後に続く後輩たちのためにも、救急科の女性医師が結婚・出産を経ても辞めずに続けられるような環境づくりに貢献していきたい。まずは私自身が先頭に立って、その姿を見せていくことが目標です」

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2019年12月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

P R O F I L E

ばんしょうたに・ゆき
2005年 滋賀医科大学卒業、京都第二赤十字病院 研修医
2007年 京都第二赤十字病院 救急科
2010年 公立豊岡病院 但馬救命救急センター

資格
日本救急医学会 救急科専門医、日本集中治療医学会 専門医、日本外科学会 専門医、日本外傷学会 外傷専門医、日本航空医療学会 認定指導者、日本救急医学会 救急指導医、日本DMAT隊員、臨床研修指導医