神戸市のプライマリ・ケアの底上げを!家庭医の視点で都市部ならではの医療課題を解決。総合診療専門医プログラムを立ち上げ、後進育成にも力を注ぐ 松島 和樹

医師のキャリアコラム[地域に根ざした医療に奮闘する医師たち]

医療法人 川崎病院 総合診療科 医長

聞き手/ドクターズマガジン編集部 文/佐藤恵 撮影/太田未来子

複雑な問題が絡み合い孤立した医療難民を救う

家庭医に必要なのは、正解を追い求めることではなく、最善を考え抜く力。

総合診療医、家庭医というと、離島や医師不足の地域をイメージするかもしれない。しかし、都市部の市中病院で家庭医として働きながら、総合診療専門医プログラムを立ち上げた医師がいる。神戸市の川崎病院総合診療科医長、松島 和樹氏だ。

医療施設や医師の絶対数が多く情報にもアクセスしやすい都市部では、いわゆる“医療難民”は生まれにくいと思われがち。しかし松島氏は「医療の網の目から零れ落ちる人はいる」と言う※1

「心理社会的に複雑な方が多いですね。病気で仕事ができなくなって生活が困窮して孤立したり、もともと周囲との関わりが薄く、病気になっても支援を求められないケースは、都市部ならではかもしれません」

ある70代の女性患者は、大学病院で神経内科や循環器科にかかっていたが、足腰が弱くなったことで在宅診療に切り替え、松島氏が主治医になった。しばらくしてがんが見つかるも、すでに治療が難しい状態。最期を迎えるのは病院か自宅か――。焦点は発達障害の息子の存在だった。

「息子さんは、目の前で母親が亡くなる体験をしないと母の不在を認識できず、先の人生を歩めないと思いました。患者さんや訪問看護師と話し合って、自宅に決めました」

家庭医療学では、患者と家族の関係を考慮した家族志向ケアが求められるが、どこまで踏み込むかは難しい判断であり、常に正解がない。

「医学部に入り医師になるまでは、答えがある世界。ですが、医師になったとたんに正解がなくなります。家庭医に必要なのは、正解を追い求めることではなく、最善を考え抜く力です」

時に、治療においても「正解」が見つからないことがある。医学では解決できない状況に直面し、患者からネガティブな感情をぶつけられることもある。そんな時、「医師の存在そのものが治療になりうる」と松島氏は言う。

「患者さんはどんな感情になってもいいんです。もちろん、理不尽なこともありますが、医師は決して否定せずに受容の姿勢でそばに居続ける、その姿勢が大事だと思います」

“自分ができることは何でもやる”という心構えも家庭医には必要。取材の前日、担当患者の呼吸器疾患が重症化し、専門医が来て胸腔ドレーンの処置を行った時の様子を話してくれた。

「私は隣で患者さんの手を握っていました。手を触れることには人を癒やす力があり、それを通じて心に触れることが真のCareにつながると信じています」

※1 論文:Competency lists for urban general practitioners/family physicians using the modified Delphi method

緻密さと大胆さの合わせ技で専門医プログラムを形に

松島氏が家庭医を目指したのは医学部5年生の時。アメリカで家庭医の専門医資格を取得した先輩医師の講演を聞き、「全てを診られる医師になりたい」と一念発起。2013年から福岡の飯塚・頴田家庭医療プログラムで3年間の後期研修を行った。家庭医としての原点は、研修1年目で経験した在宅看取り。80代の末期がんの方の趣味がゴルフだと知り、セラピストが後ろから支えながらクラブをかまえると、患者は自分の足で立つことができた。

「ご本人の生き方や希望を尊重して、やりたいことをやりきって人生を終えていく。そんな患者中心の医療を目の前で見られたのは大きかった。自分の目指す医療はこれだと思いました」

故郷の神戸に戻り、家庭医として仕事をする中で、都市部を拠点とした総合診療の専門医プログラムの立ち上げに取り組み始めた。総合診療医、家庭医というと、へき地でしか学べないというイメージを払拭し、神戸でも本格的に学べる拠点を作りたかった。立ち上げの手法は、北海道家庭医療学センターのフェローシップで培ったビジネスセンスを活かしたプロジェクトマネジメントである。全体の構想を固め、基幹施設を決めるために複数の病院を見学した。その中で競合の有無や院内での協力の得やすさなどを考え、川崎病院に就職した。連携先に選んだのもこれまでに縁のあった施設だが、だからといって二つ返事で快諾されたわけではない。

「やはり、給与や待遇面は難航しました。それが決まるまでが一番しんどかった。どこも一流の施設なので、どうしてもここで、という思いで交渉を続けました」

一筋縄ではいかないプロジェクトであり、人脈がものを言う仕事でもある。ゆくゆくはこういうプログラムをつくりたいということを、折に触れて事務長や理事長などに伝える“根回し”も欠かさなかった。それでも、“根”が届かない人たちはいた。

「その時は、思い切ってぶつかっていきました。直接会いに行って『お願いします!』と。当たってダメなら次を考える。思い切りも必要です」

緻密さと大胆さ。両極の力をフル活用して邁進し、神戸総合診療専門医プログラムが形になったのが2023年。そして今年4月、定員である2人が採用された。

「学ぶ人がいて初めてプログラムが生きる。ようやく、ここからが本番です」

患者から学んで成長を続け 仲間を増やしてチームを強化

医師の学びに終わりはない。専門分野や守備範囲が固定されていない家庭医の学びとは、どうあるべきなのか。松島氏は、複数の医療機関で働きながらブラッシュアップすることが重要だと語る。

「家庭医は、患者層の異なる場に身を置き、患者さんから学ぶのが第一。壁にぶつかったり行き詰まったりしたその時々に必要な勉強を積み重ねることで成長できます」

そして、医師同士の対話も必要。研修医や専攻医が感じたこと、疑問に思ったことについて皆で話し合い、教える中で気付くこともあるという。「省察的実践家」という言葉があるが、総合診療医や家庭医は実践後の振り返りによって次の課題を見出し、その課題を実践につなげ、らせんを描くように成長していく。神戸総合診療専門医プログラムでも、毎週事例カンファレンスを行い、毎月振り返りを行うことで、学びと成長を手厚くサポートしている。

「患者の家庭や人生にも踏み込む医療を行うからこそ、結束力のあるチームを作って、多職種の力を借りながら良い医療を行っていこうと思いました」

過去に勤務していた病院では医療安全委員会の委員長を担い、その経験がチーム医療の重要性を認識する大きなきっかけになったという。

「医療安全の分野では『To Err Is Human:人は誰でも間違える』という言葉があります。間違いを正せるようなチーム作りが重要だということを多くのケースから学びました」

“地域に不足している医療ニーズに応えるのが家庭医の仕事”と言う松島氏が、現在力を入れているのは緩和ケア。病院、在宅どちらにおいても、患者の最期をできる限り本人の希望に応えられる形で支えたいと考えている。松島氏にはまだまだ挑戦したいことが多くあるのだ。

訪問診療に向かう様子。

山と海に囲まれ、都市と自然の共存に恵まれた神戸。神戸空港から市街に向かう臨港道路から夜景を眺めると気持ちがリセットされるという。

「疾患だけでなく、家族のことや、患者さんがどう生きたいかという想いも汲み取り、毎回答えのない課題に向き合う家庭医はしんどいこともあります。ですが、やっぱり楽しいんです」

そう語る背中は、日々新鮮なエネルギーに満ちている。

P R O F I L E
プロフィール写真

医療法人 川崎病院 総合診療科 医長
松島 和樹/まつしま・かずき

2011 神戸大学医学部 卒業/神戸市立医療センター中央市民病院 初期研修
2013 株式会社麻生 飯塚病院 後期研修
2016 淀さんせん会 金井病院 総合診療科/関西家庭医療学センター 金井病院 家庭医療センター長
2021 医療法人 川崎病院 総合診療科医長

資格

日本プライマリ・ケア連合学会 家庭医療専門医・指導医
日本在宅医療連合学会 専門医・指導医
日本内科学会 総合内科専門医

※こちらの記事は、ドクターズマガジン2024年5月号から転載しています。
経歴等は取材当時のものです。

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