Vol.006 適切な手技を行ったことを記録に残す重要性

~空気抜き操作を5分程度しか行わなかった医師に損害賠償を命じた事例~

広島地裁 平成7年8月30日判決〈確定〉
広島地裁昭和62年(ワ)第813号事件
協力:「医療問題弁護団」宮田 百枝弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

A(手術当時60歳の女性)は、昭和37年ころ健康診断で心雑音を指摘され昭和58~59年には心臓弁膜症と診断され継続的に内服治療を受けていた。Aの心臓弁膜症は次第に悪化し、昭和61年4月、呼吸困難を訴えB病院内科に救急車で搬送されて入院した。検査の結果、Aの病名が大動脈弁狭窄症兼閉鎖不全症及び僧帽弁不全症であって弁置換術を受ける必要があると診断した。そして、弁置換術を受けるのに適当な病院としてC病院を紹介し、AはC病院に入院して治療を受けることになった。

C病院のD医師はA及びAの夫に対し、Aの疾患は外科的療法の適応であり、内科的療法では心不全を繰り返すこと・手術は生命に直接関与する危険性が10%あること・手術にともなう合併症(脳神経障害も含む)の危険等を説明して手術の承諾を得た。

昭和61年6月5日午前9時16分ころD医師が執刀を開始した。D医師は大動脈圧と左心室の圧力差を測定して大動脈弁置換術の適応を確認。10時50分ころ体外循環を開始し心臓の動きを止めて左房を切開し僧帽弁のチェックを行った結果、僧帽弁は温存可能とし大動脈弁置換術のみ実施することとした。大動脈弁置換術自体は順調に行われ、12時35分ころには大動脈切開口を縫合閉鎖。切開口閉鎖部分の上(大動脈基部)に空気塞栓を防止するための空気抜き口が設けられた。13時ころ左心を圧迫して大動脈基部の空気抜き口から左心内の空気を追い出すようにして大動脈遮断(クランプ)を解除して心臓の筋肉に血液を流し初め、心臓の細動とともに復温を開始した。その後、空気抜き口から空気が抜けやすいようにして左室及び左房に血液を充満させ、左房切開口を完全に閉鎖した。13時35分ころ血圧が80/50の数値を示し十分に脈圧が出たので、D医師は左房心尖部に残っている可能性のある空気は脈圧によって大動脈基部の空気抜き口から圧出されたものと判断したが、さらに心臓をゆすったり体位を変えたりして残っている可能性のある空気が出やすいようにしたうえ遅くとも13時40分までには空気抜き口を縫合閉鎖した。空気抜き口を閉鎖した直後、D医師は冠動脈に空気が走ったのを認めたので、まだ残っている空気があってそれが脳に行く危険性があると考え、麻酔医に対して注意を促した。すると、しばらくして(遅くとも13時40分までに)D医師は、麻酔医から瞳孔に異常が認められる旨の報告を受けたので脳に対する空気栓塞が発生したと考え、脳循環を良好に保つために十分な流量と血圧を出して補助循環を行うことで対処。その結果、14時30分ころには瞳孔がほぼ正常に戻ったので、14時50分ころ補助循環を終了した。

Aは、17時30分ころ手術室から搬出されそのまま集中治療室に搬入された。Aは麻酔による鎮静状態をつづけていたが、翌6日午前7時45分ころから全身に痙攣が出るようになり、以後一度も意識を回復することのないまま手術から22日後脳機能障害により死亡した。

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当事者の主張

<原告の主な主張>

空気抜き操作には、心臓が停止したままの状態で行う第1段階と脈圧が出た段階で行う第2段階の操作とがあり、第1段階の空気抜き操作だけでなく、第2段階の空気抜き操作も十分行わなくてはならず、第2段階の空気抜き操作が不十分であったD医師には過失が認められる。

すなわち、左房を切開する場合、肺静脈に空気が逆流混入する可能性が高いのであるから、空気抜き操作も特に慎重に行われるべきである。 そして、第1段階の操作だけでなく、脈圧が出た段階で行う第2段階の空気抜き操作も十分に行う必要があり、大動脈基部に設けた空気抜き口は心拍動が十分回復するまで脈圧が出てから30分程度は開けたままにして空気抜き操作を継続すべきであった。

<被告の主な主張>

第1段階の空気抜き操作を十分に行った場合、第2段階の操作は数分間行えば十分であり、仮にD医師が行った第2段階の空気抜き操作が数分間のものであったとしても過失は認められない。すなわち重要なのは、脈圧が出てくる前の第1段階の空気抜き操作であって、第2段階の空気抜き操作は最終的なものであって数分間行えば十分である。本件手術において、D医師は13時ころから13時35分ころにかけて第1段階の空気抜き操作を十分行っている。

また、その後の第2段階の空気抜き操作についても、D医師はこれを30分程度はつづけている。仮に第2段階の空気抜き操作が30分程度つづけられた事実が証拠上認められないとしても、前記のとおり、空気抜き操作で重要なのは第1段階であってD医師がこれを十分に行っている以上、その後の第2段階の操作は数分間行えば十分であるから、原告らの主張している事実(第2段階の空気抜き操作を数分間しか行わなかったという事実)を前提としても、D医師には原告らの主張するような大動脈基部の空気抜き口の閉鎖が早すぎた過失はない。

判決

D医師に過失があると認める


<空気抜き口の閉鎖が行われた時刻について>

被告の主張に対して裁判所は、第1段階の空気抜き操作は適切に行われたが、第2段階の空気抜き操作は13時35分から長くても5分程度しか行われなかったと判断した。すなわち、第2段階の空気向き操作についてD医師は、13時35分ころに脈圧がでた後も30分程度は空気抜き操作を行った旨主張しているが、本件手術においては遅くとも13時40分までには大動脈基部の空気抜き操作は長くても5分程度しか行われなかったものと認めるのが相当であると判断した。

なぜなら30分程度の空気抜き操作を行ったと主張するD医師の証言内容はあいまいであり、証拠として採用できなかったからである。第1にD医師自身、冠動脈に空気が走ったのを認めたのは空気抜き口を閉鎖した直後である旨を証言しているところ、証拠中の麻酔記録によると瞳孔の異常が認められたのは13時35~40分の間であり、しかも冠動脈に空気が走ったのを認めたD医師が麻酔医に対して注意を促したところ、その後に麻酔医から瞳孔の異常を報告されたのは証拠上明らかであるから、遅くとも13時40分に麻酔医によって瞳孔の異常が報告された時点ではD医師が空気抜き口を閉鎖していた・第2に被告は、「手術記録は外科医が行う手技をまとめて書くものであって時間を追って書くものではない」旨主張するが、本件の手術記録は「この時点で」どのような処置を行ったというように時間的関係を意識した記載がなされているのであるから、被告の一般論としての主張は上記認定の妨げにはならいない・第3にD医師は左房圧モニターラインを設置した時間と空気抜き口を閉鎖した時間とは近似した時間であると証言しているところ、証拠中の看護婦が記載した手術経過記録によると左房圧モニターラインを設置した時刻は13時32分であることが認められるので、この時刻に近接した時間帯に空気抜き口が閉鎖されたと認めるのが自然であるとされる。


<空気抜き口からの空気抜き操作にかける時間が適切であったか否かについて>

操作時間の適切さについて裁判所は、第1段階の空気抜き操作が十分行われていたとしても、第2段階の空気抜き操作を十分に行わなくてはならないと判断を下した。

すなわち、鑑定書・証言によれば、本件手術のように左心系に切開口を有する心臓手術の場合、それ以外の心臓手術の場合とくらべて、空気栓塞が発生しやすいとされていることから空気抜き操作もより慎重かつ十分に行う必要があり、第2段階の空気抜き操作にかける時間としては、第1段階における空気抜き操作が十分行われていることを前提に30分は必要であると認めるのが相当である。そうであるとすると、本件手術の場合、脈圧が出始めたのが13時35分ころであるから少なくとも14時すぎころまでは大動脈基部の空気抜き口を開けたままにしておいて空気抜き操作をつづけるべきであったと言わざるをえない。それにもかかわらず、遅くとも13時40分ころまでには空気抜き口を閉鎖してしまったD医師には空気抜き口の閉鎖が早すぎた過失があるものを認めるのが相当であるとした。

判例に学ぶ

この事案において医師は、第1段階の空気抜き操作も第2段階の空気抜き操作も十分に行ったと主張しました。ただ、第1段階の空気抜き操作を十分行ったことについては、手術記録に記載されている経過を詳細に説明して主張しているのに対し、第2段階の空気抜き操作については、30分行ったと主張しているのみです。医師は、第1段階の空気抜き操作を十分行っていた場合には第2段階の空気抜き操作は数分で足りるとも主張していますので、第2段階の空気抜き操作を補充的なものと位置づけ軽視していたとも思われます。

しかし、裁判所は第2段階の空気抜き操作について、医師の証言(空気抜き口を閉鎖した直後に冠動脈に空気が走ったのを認めた旨の証言)と麻酔科医の記録及び看護記録の記載を合理的に解釈して、瞳孔の異常が報告されたとき(13時40分)にはすでに空気抜き口を閉鎖していたのであるから、空気抜き操作は結局5分程度しか行われなかったと判断し、第1段階の操作を十分に行ったとしても、第2段階の操作を十分に(少なくとも30分程度)行わなければならず、5分程度しか行わなかった医師には過失が認められるとしました。

なお、本件判決が被告の主張を退けた理由のひとつとして、第2段階の操作が30分程度行われたことが手術記録になんら記載されていなかったことがあると思われます。逆に言うと、医師は、適切な手技を行ったことを記録に残しておかなければ、患者から訴えられた場合、反証が困難になるので注意が必要でしょう。