Vol.004 疾患が重篤で献身的診療であっても責任否定の根拠とはならない

~火傷に対する抗生外用剤塗布・撒布の副作用が問題となった事件~

福岡高裁第1民事部平成2年6月29日判決
昭和61年(ネ)第757号・昭和62年(ネ)第106号 損害賠償請求控訴・同附帯控訴事件
(判例タイムズ741号211頁)
協力:「医療問題弁護団」宮城 朗弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

昭和53年1月24日、自宅の火事のために10歳男子が全身の76%に、そのほとんどが第3度熱傷の潰瘍を生じていた。最初は他院で応急処置を受けた。約1ヵ月後に皮膚移植手術を受けるために被告病院に転院。この段階では顕著な緑膿菌感染が認められ、敗血症罹患のおそれもあった。そのため、感染対策として、バラマイシン軟膏等の外用剤を長期間継続して塗布・撒布して常用。退院時にいたるまで計5回に分けて、関節・腹部・背部等の網状植皮手術を施行した(その間、局部麻酔による表皮植皮手術は10回施行)。男子は、同年7月12日前後ごろから耳の異常を訴えた。その後も聴機能低下が増悪(ただし、両親の話では6月ごろから難聴の兆しがあったというようなコメントもある)。8月に入ってから、耳鼻科で精密検査。両側感音難聴。皮膚科では、ただちに抗生外用剤の使用中止。外用剤の種類を変えるとともに耳鼻科の指示による治療を行うが、その後も軽快せずにむしろ進行して両耳聴力喪失。不可逆的な生涯疾患として症状固定にいたる。その後、患者の両親が患者の法定代理人となるとともに自らも原告となって訴訟を提起した。

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原審判決

―福岡地裁久留米支部 昭和61年12月3日判決―
(昭和56年(ワ)第333号 損害賠償請求事件(判例タイムズ639号202頁)

担当医の過失を肯定


<原告患者側の主張内容>
1. 患者の聴力喪失の原因は、緑膿菌感染防止の目的で長期間継続投与されたバラマイシン軟膏・コリマイフォーム・ポリミキシンB等の副作用である。

2. これらのアミノ配糖体系抗生物質(以下「問題薬剤」と呼ぶ)がいずれも難聴等の聴力障害を引き起こす副作用を有することは当時から広く知られていた。これら薬剤の能書には、「難聴・腎障害があらわれる可能性があるため長期間連用を避けること」等の副作用の記載がある。海外には外用による症例報告もある。また、実際にも被告病院では、本件に先立って問題薬剤の他の患者への投与によって難聴の副作用を生じており、担当医はその事実を知っていた。

3. 本件当時、緑膿菌感染症対策としては、腎臓や聴覚障害の副作用を有しない他の薬剤(サルファマイロンクリーム・シルバーサルファダイアジン等。以下「代替薬剤」と呼ぶ)が存在した。最初からこれらを用いるか、途中で切り替えを検討すべきであった。

4. 問題薬剤の広範囲な皮膚面への長期連用は、外用としてであっても聴力障害等のリスクがあることを予見し、絶えず聴力検査を施行し、危険を発見した場合にはただちに対処すべきであったにもかかわらず、被告病院担当医らはその義務を怠った。


<被告病院側の反論>
1. 転院前に応急処置を受け、1ヵ月間入院していた前医においても抗生物質が多量に投与されていたのであるから、その影響も考えられる。

2. 当時の医学界の一般的知見は、皮下注射1週間以上では発生するが、外用では発生しないというものであった。外用による難聴発症の症例報告文献も当時(国内には)存在しなかった。能書の記載はきわめて稀な症例との認識にすぎない。したがって、難聴発生の副作用は予見不可能であった。

3. 転院当時、患者は広範かつ重篤な熱傷を受けて、緑膿菌による高度の汚染があり、これを抑制しなければ敗血症合併による死亡は必至であった。そして、本件当時、臨床現場には問題薬剤以外に有効な対処方法は存在しなかった。原告の指摘するサルファマイロンクリームは激烈な疼痛があって小児や重症の熱傷患者にはショックのおそれもあるので、当時の文献上も使用されていない。シルバーサルファダイアジンクリームは一部臨床医で試験中の研究段階であった。市販は昭和57年からである。

4. 聴力障害は7月19日に気づき、すぐに耳鼻科に照会したが、施術後の全身状態の悪さから移動できず聴力検査が不可能であった。したがって、その時点で即座に難聴を発見することはできなかった。また、特に感染の強い体表の一部分以外は薬剤を変更している。そして、8月18日には聴力検査を行い、初めて難聴と診断されたので、抗生物質系薬剤の投与はすべて中止された。

5. かりに担当医に過失があったとしても、転院当時の患者の熱傷のもともとの重篤さ・抗生物質による難聴の副作用の個体差・予見/予防の困難性・担当医らによる長期にわたる献身的治療と救命等の諸事情から、損害額の8割を減額すべきである。


<原審判決の認定・判断>
以上の原告・被告双方の主張に対する原審裁判所の見解は次のとおりである。

1. 被告病院における投与量・時期・副作用である難聴の発症時期等を勘案すると、本件難聴は問題薬剤の外用による副作用である(被告病院における診療行為が原因となっている蓋然性が高く、転院前の前医における診療のためとは認め難い)。

2. 当時問題薬剤が有効な緑膿菌対策として一般に使用されていたこと・被告病院においては外用投与による副作用の実例がなかったこと・当時一般に入手できる範囲内では外用による難聴の症例報告がなかったこと等からして、問題薬剤を継続的に外用投与したことやこのような診療方針そのものは過失とは言えない。

3. しかし、能書記載や海外の症例報告等の証拠に照らすと、全面的に予見不可能であったとの被告病院側主張は採用できない。代替薬剤の存在について、大学病院に所属する被告は知りうる立場にあった。

4. それではどのようにすれば良かったのかという点については、7月19日に聴覚異常を認識した時点において、担当医はただちに聴覚精密検査と外用全面中止・代替薬剤への切替を行うべきであった。しかるに、聴覚検査施行を8月18日まで漫然と遷延させた点に過失が認められる。担当医らは当面の植皮手術の成否と緑膿菌対策に没頭するあまり予見しえたはずの難聴の副作用発症を看過した。

5. 事実経過については被告らにも宥恕すべき事情がある。他方で、原告側も重度の火傷を克服して生命が助かったのだからある程度の不本意な結果は受忍すべきである。


以上の判断内容にもとづいて、第1審判決は担当医の過失を肯定して被告病院側に責任があると認め、しかし認めた損害額については患者本人に対しては36%程度(請求額:1億706万円・認容額:3882万円強)、両親に関しては30%弱程度の限度で認容した。

控訴審(病院側控訴・患者側附帯控訴)

―福岡高判 平成2年6月29日―
(昭和61年(ネ)第757号・昭和62年(ネ)第106号損害賠償請求控訴・同附帯控訴事件)
(判例タイムズ741号211頁)

病院側の責任を認めつつ賠償額を減額


<控訴理由(被告病院側の新主張)>
1. 問題薬剤の能書記載は、昭和52年7月~昭和53年2月ごろから始まった。昭和53年2月の本件当時においては、一般の医師はこれを熱傷に対して外用塗布投与する場合にも難聴が発生するとの認識はなかった。外用塗布した場合の問題薬剤の吸収率は、全身投与(注射・経口投与)の場合の1/10程度である。

2. 外用塗布による難聴の副作用についての国内症例報告は、昭和57年の症例が昭和59年及び昭和60年に学会発表されたのが初めてである。予見不可能である以上は聴力検査を事前・定期に実施したり、本人・家族、看護婦らに注意するように予め指示するような注意義務はない。

3. 本件当時、代替薬剤を入手できる立場になかった。これらは、昭和45年頃から治験薬として研究対象となっていたが、特に私立病院のような場合、一部研究用として使用する他は、医療保険の適用がないので困難な状況があった。これら代替薬剤が厚生省により医薬品として登録されたのは昭和56年~57年頃であった。

4. 患者は当時満10歳の小児であり、全身76%に3度の熱傷を負って死亡率が100%に近い状態であった。第一次死亡原因のショックは切り抜けたが、腎機能は危険状態で緑膿菌が熱傷部全般に及んでいた。これを放置すれば敗血症性ショックを併発して死に至る。緑膿菌対策をまず最優先させるのが当時の医療の水準であった。

5. 担当医らが患者の難聴を発見したのは、4回目の植皮術の翌日である7月19日時点であった。その時点で直ちに問題薬剤の投与中止をしなかったのは、患者が小児であり、かつ全身麻酔による植皮術直後で緑膿菌感染症対策として外用投与を続行せざるをえなかったからである。

6. ただちに聴力検査を施行しなかったのは、移植皮膚の定着を確認して移動の上検査する体力的・症状的条件が整っていなかったからである。検査が可能となった8月18日の段階では、耳鼻科の聴力検査を施行の上で、問題薬剤の外用投与を全面中止している。


<患者側の再反論>
1. 薬剤について、担当医が最も信頼できる資料は製薬会社が作成した能書である。能書こそが、薬理学上の知見・さまざまな動物実験の成果・世界的規模での副作用情報等を踏まえた記載がされているのであるから、医師が投与にあたって能書記載を遵守するのは当然である。患者には能書に従って適正な投与を受ける診療契約上の権利がある。能書記載さえあれば、症例報告が存在しないことは申し開きにならない。

2. 入院中には緑膿菌感染の危機にさらされておらず、生命の危険はなかった。担当医は、緑膿菌感染防止対策としてではなく潰瘍面被覆を目的として問題薬剤を使用していたのであって、生命か聴力かという二者択一的な状況下で投与されたものではない。本件当時も、各大学病院においては、問題薬剤以外の副作用のない各種代替薬剤が使用されていた。担当医が代替薬剤を用いなかったのは難聴発生の予見を持たなかったからに過ぎない。現に8月18日以降は他の薬剤に切り替えている。潰瘍面被覆であれば、他の薬剤で事足りた。


<控訴審判決の認定・判断>
控訴審の判断も、認定がかなり詳しくなった以外は、基本的には第1審と枠組みとしてはあまり変わらない。病院側の責任を認めつつ、賠償額については、若干の減額が行われた。判断内容のポイントは次のとおりに要約される。

1. 重症熱傷患者は以前は受傷直後のショックによる死亡が最も多かったが、本件当時においては全身管理についての医療水準が向上した結果、熱傷創の感染(特に緑膿菌)に続発する敗血症が主たる死因となっている。その結果、熱傷創の最終的治療である植皮完了まで緑膿菌対策を継続することが本件当時の医療水準である。そして問題薬剤は緑膿菌感染対策として有用であった。

2. (イ)能書には、「使用上の注意」(ただし注射)として、「経口以外の投与法により、腎または神経系に重篤な副作用があるので、本剤以外に使用する薬剤がない場合にのみ使用すること」・「副作用」として「まれに難聴……等の症状があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には投与を中止すること」との指摘がある。(ロ)1回の最高投与量を制限する能書記載の趣旨は、炎症局所への高濃度または広範囲にわたる投与の場合には、吸収されて腎障害・神経障害等の副作用が生ずる可能性を否定できなかったからである。担当医らはこれらの認識は持っていた。(ハ)昭和47年刊行の南山堂「臨床皮膚化学」には、同系統の薬剤であるネオマイシンの経皮的吸収による難聴発症の症例報告等があり、これは各大学に備え付けられていた等の状況もある。(ニ)本件当時から緑膿菌対策としては、各大学・各病院において、各種の治療法が使用されていた。本件当時の皮膚科専門誌には、これら多様な治療方法の紹介記事が存在した。

3. しかし、重症かつ広範囲の熱傷患者に対して、問題薬剤を相当の期間にわたって連用するについては、担当医は、能書記載を踏まえて難聴等の副作用発現可能性を念頭に置きつつ(イ)耳鼻科医師と緊密な連携を保ちつつ可能な限り早期に聴力検査を行うこと(ロ)担当医自身のみならず、看護婦・患者本人・家族・付添人に対して観察指示をすることにより副作用の早期発見に努めること(ハ)その結果、患者の聴力異常を発見した際には、ただちに可能な限りの措置を講じて重篤な聴力障害への進行を阻止すること(ニ)問題薬剤の連用可能期間の限界に常に留意して、より副作用の少ない代替薬品を入手するように研究努力して、必要に応じ速やかにこれを使用できるようにしておくとの注意義務が認められる。

4. 結論として、控訴審裁判所が、担当医らの過失と認めた点は、以下の諸点である。

●担当医らは、問題薬剤に代わりうる緑膿菌対策の代替薬剤の検討を全くしていなかった(初めから問題薬剤の使用しか念頭になく、別の処方の可能性を検討した痕跡が認められない)。

●問題薬剤の長期連用に踏み切りながら早期の聴力検査を施行しなかった(常に能書記載の副作用を念頭に置いて、少しでも異常が認められれば聴力検査を行うべきであった。

●聴力検査をより早期に施行していれば、聴力異常を発見して問題薬剤の投与を早期に中止できた。

判例に学ぶ

以上の第1審・控訴審の審理経過から、皮膚科診療の場合に限らず、次のようなエッセンスを汲み取れるのではないかと考える。

1. 医療機関が臨床現場において求められる医療の水準を定める根拠としては、能書(添付文書)・文献・症例報告等さまざまなものが考えられるが、とりわけ、能書記載からの逸脱はそのまま医療水準からの逸脱に直結し、被害の発生が予見不可能という点につき、よほど有力な立証が医療側から提示されない限りは過失が認められる可能性が高い。

2. もっとも、能書記載にも様々な内容があって、使用方法・用量・適応・禁忌・副作用など色々であるが、それが本件のように「副作用」であり、しかもそれが稀な症例であるような場合には問題となってくる。その場合にどのような判断枠組みが用いられるかと言うと、それは第1審・控訴審に共通する裁判所の認識として、当然ながら、その使用自体は過誤にはならないが、副作用の危険が稀にしてもある場合には、担当医は万が一の副作用の兆候が認められた場合には即座にこれに対応できなければならず、しかるべき処置の遅れは許されない。

3. いかに全体としては誠実かつ献身的な診療行為が行われていようとも、また患者の疾患がもともと重篤で生命の危険を献身的診療によって回避したという経緯はあるにしても、そのような状況と、現にある過誤は過誤として別問題なのであって、全体としての誠実性は責任否定の根拠とはならず、賠償額減額の理由になりえるにすぎません。

4. そして一度、このような判断枠組みによって担当医の診療過誤があると評価された場合には、当の被害がその過誤の結果として生じたのではない(法的には「因果関係」の問題とされる)、という医療側の反論は余程確固たる立証が行われるのでなければ採用されにくい。例えば、本件の場合、裁判所が問題とする7月12日の時点で聴力検査→外用剤中止ということがもし行われていたとして、しかし、その時点で実はもう遅かった、またはその時に中止していても既に聴力に不可逆の侵襲が生じてしまっていた、という可能性が理論的にはあり、そうである可能性も決して低くはないと考えられる。しかし、だからと言って責任否定という結論にはならない。7月12日の時点であれば聴力異常の副作用の兆候に気付いていた→であるなら投与中止・薬剤切替等のしかるべき措置が可能であった→そのような過誤が現にある以上は、その過誤が無かったとしても損害は発生していた、あるいはそれ以外の原因によって被害は発生した、との反論は基本的に認めてもらえない、という点を留意する必要があろう。