―福岡高判 平成2年6月29日―
(昭和61年(ネ)第757号・昭和62年(ネ)第106号損害賠償請求控訴・同附帯控訴事件)
(判例タイムズ741号211頁)
病院側の責任を認めつつ賠償額を減額
<控訴理由(被告病院側の新主張)>
1. 問題薬剤の能書記載は、昭和52年7月~昭和53年2月ごろから始まった。昭和53年2月の本件当時においては、一般の医師はこれを熱傷に対して外用塗布投与する場合にも難聴が発生するとの認識はなかった。外用塗布した場合の問題薬剤の吸収率は、全身投与(注射・経口投与)の場合の1/10程度である。
2. 外用塗布による難聴の副作用についての国内症例報告は、昭和57年の症例が昭和59年及び昭和60年に学会発表されたのが初めてである。予見不可能である以上は聴力検査を事前・定期に実施したり、本人・家族、看護婦らに注意するように予め指示するような注意義務はない。
3. 本件当時、代替薬剤を入手できる立場になかった。これらは、昭和45年頃から治験薬として研究対象となっていたが、特に私立病院のような場合、一部研究用として使用する他は、医療保険の適用がないので困難な状況があった。これら代替薬剤が厚生省により医薬品として登録されたのは昭和56年~57年頃であった。
4. 患者は当時満10歳の小児であり、全身76%に3度の熱傷を負って死亡率が100%に近い状態であった。第一次死亡原因のショックは切り抜けたが、腎機能は危険状態で緑膿菌が熱傷部全般に及んでいた。これを放置すれば敗血症性ショックを併発して死に至る。緑膿菌対策をまず最優先させるのが当時の医療の水準であった。
5. 担当医らが患者の難聴を発見したのは、4回目の植皮術の翌日である7月19日時点であった。その時点で直ちに問題薬剤の投与中止をしなかったのは、患者が小児であり、かつ全身麻酔による植皮術直後で緑膿菌感染症対策として外用投与を続行せざるをえなかったからである。
6. ただちに聴力検査を施行しなかったのは、移植皮膚の定着を確認して移動の上検査する体力的・症状的条件が整っていなかったからである。検査が可能となった8月18日の段階では、耳鼻科の聴力検査を施行の上で、問題薬剤の外用投与を全面中止している。
<患者側の再反論>
1. 薬剤について、担当医が最も信頼できる資料は製薬会社が作成した能書である。能書こそが、薬理学上の知見・さまざまな動物実験の成果・世界的規模での副作用情報等を踏まえた記載がされているのであるから、医師が投与にあたって能書記載を遵守するのは当然である。患者には能書に従って適正な投与を受ける診療契約上の権利がある。能書記載さえあれば、症例報告が存在しないことは申し開きにならない。
2. 入院中には緑膿菌感染の危機にさらされておらず、生命の危険はなかった。担当医は、緑膿菌感染防止対策としてではなく潰瘍面被覆を目的として問題薬剤を使用していたのであって、生命か聴力かという二者択一的な状況下で投与されたものではない。本件当時も、各大学病院においては、問題薬剤以外の副作用のない各種代替薬剤が使用されていた。担当医が代替薬剤を用いなかったのは難聴発生の予見を持たなかったからに過ぎない。現に8月18日以降は他の薬剤に切り替えている。潰瘍面被覆であれば、他の薬剤で事足りた。
<控訴審判決の認定・判断>
控訴審の判断も、認定がかなり詳しくなった以外は、基本的には第1審と枠組みとしてはあまり変わらない。病院側の責任を認めつつ、賠償額については、若干の減額が行われた。判断内容のポイントは次のとおりに要約される。
1. 重症熱傷患者は以前は受傷直後のショックによる死亡が最も多かったが、本件当時においては全身管理についての医療水準が向上した結果、熱傷創の感染(特に緑膿菌)に続発する敗血症が主たる死因となっている。その結果、熱傷創の最終的治療である植皮完了まで緑膿菌対策を継続することが本件当時の医療水準である。そして問題薬剤は緑膿菌感染対策として有用であった。
2. (イ)能書には、「使用上の注意」(ただし注射)として、「経口以外の投与法により、腎または神経系に重篤な副作用があるので、本剤以外に使用する薬剤がない場合にのみ使用すること」・「副作用」として「まれに難聴……等の症状があらわれることがあるので、観察を十分に行い、このような症状があらわれた場合には投与を中止すること」との指摘がある。(ロ)1回の最高投与量を制限する能書記載の趣旨は、炎症局所への高濃度または広範囲にわたる投与の場合には、吸収されて腎障害・神経障害等の副作用が生ずる可能性を否定できなかったからである。担当医らはこれらの認識は持っていた。(ハ)昭和47年刊行の南山堂「臨床皮膚化学」には、同系統の薬剤であるネオマイシンの経皮的吸収による難聴発症の症例報告等があり、これは各大学に備え付けられていた等の状況もある。(ニ)本件当時から緑膿菌対策としては、各大学・各病院において、各種の治療法が使用されていた。本件当時の皮膚科専門誌には、これら多様な治療方法の紹介記事が存在した。
3. しかし、重症かつ広範囲の熱傷患者に対して、問題薬剤を相当の期間にわたって連用するについては、担当医は、能書記載を踏まえて難聴等の副作用発現可能性を念頭に置きつつ(イ)耳鼻科医師と緊密な連携を保ちつつ可能な限り早期に聴力検査を行うこと(ロ)担当医自身のみならず、看護婦・患者本人・家族・付添人に対して観察指示をすることにより副作用の早期発見に努めること(ハ)その結果、患者の聴力異常を発見した際には、ただちに可能な限りの措置を講じて重篤な聴力障害への進行を阻止すること(ニ)問題薬剤の連用可能期間の限界に常に留意して、より副作用の少ない代替薬品を入手するように研究努力して、必要に応じ速やかにこれを使用できるようにしておくとの注意義務が認められる。
4. 結論として、控訴審裁判所が、担当医らの過失と認めた点は、以下の諸点である。
●担当医らは、問題薬剤に代わりうる緑膿菌対策の代替薬剤の検討を全くしていなかった(初めから問題薬剤の使用しか念頭になく、別の処方の可能性を検討した痕跡が認められない)。
●問題薬剤の長期連用に踏み切りながら早期の聴力検査を施行しなかった(常に能書記載の副作用を念頭に置いて、少しでも異常が認められれば聴力検査を行うべきであった。
●聴力検査をより早期に施行していれば、聴力異常を発見して問題薬剤の投与を早期に中止できた。