Vol.007 疾患が死にいたる危険性があれば、安易に経過を観察してはならない

~肺塞栓症の検査・診断義務について~

浦和地裁平成12年2月21日判決
平成7年(ワ)第327号 損害賠償請求事件(判例タイムズ1053号188頁)
協力:「医療問題弁護団」石井 麦生弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

平成4年3月22日午前3時ごろ、大学生Aは、友人Y1の運転する原動機付自転車(以下、「本件原付」)の後部荷台に同乗していたところ、Bが運転操作を誤って本件原付を転倒させたため、Aはその下敷きになった(以下、「本件事故」)。なお、Y1は飲酒していた。Aは、本件事故により、右足を負傷し、救急車でY2病院に運ばれたが、意識は清明だった。Aは、右下肢から右の踵までの痛みを訴え、他覚的にも右足首に腫脹が見られたため、診察をした医師は、転倒事故であることも考慮して、(1)右足関節・右下腿・骨盤・頭部のレントゲン写真撮影、(2)頭部CT検査を実施し、これらの所見から「右腓骨骨折、右足関節脱臼骨折」と診断した。同医師は、上記診断にもとづき、右下腿から右足首にかけて湿布をし、右下肢をギプスで固定した。

Aは、身長170cmで体重が82kgと肥満体であったが、幼少時の喘息のほかには、特に既往症はなく、血圧も正常であった。

その後、Aはそのまま入院となり、同月25日、整形外科担当医は「右腓骨骨折・右足関節脱臼骨折により全治6週間の見込み」と診断した。その後、遠位脛骨腓骨断裂が見つかったため、同月26日、Aは右足関節脱臼整復固定術を受けた(以下「本件手術」)。同月27日より、Aは松葉杖で歩行できる状態になり、ときに創痛や患肢痛があるも、自制の範囲内であった。

同年4月13日、整形外科担当医の指示により、Aは装具を着けての歩行練習を始め、同月17日には、単独歩行が可能となった。

ところが、同月18日午後2時頃、Aは「午前11時過ぎに散歩にでかけようとした際、呼吸ができないくらい胸が苦しくなり、現在も心臓が痛い」と訴えた。しかし、血圧及び心拍数は正常であった。内科担当のN医師は、起立性低血圧もしくは虚血性心疾患の可能性を疑った。

その後の症状・検査所見・治療の内容はおおむね以下のとおり。

同月19日:Aは「廊下歩行時に動悸があった」と訴え、不整脈が見られた。

同月20日:Aは「走った後のように苦しいです」と胸苦を訴えた。脈拍132/分、心拍数140/分。心電図所見では、aVR及びV1にST上昇、V1からV3に陰性T波。N医師は、硝酸薬フランドルテープを貼布した。

同月21日:心拍数120~130、頻脈が続く。血圧は正常。動悸と胸部不快感を訴える。心電図所見は、前日とほぼ同じ。午後5時、トイレ歩行時の心拍数は140台~150台。

そして、同日午後5時40分、Aが自力でトイレに向かうが、戻りが遅いため、看護師が様子を見にいくと、トイレで座り込んでいるAを発見した。Aは、意識はあるものの、顔色は蒼白で、チアノーゼが認められ、冷汗があり、呼吸苦を訴えていた。低血圧となり、脈拍も微弱。血液ガス分析の結果、炭酸ガス分圧は16.3mmHg、動脈血酸素分圧は78.5mmHgであった。

Aは、ときどき「苦しい」と大声をあげたが、午後6時ごろ、ストレッチャーで移動中に、けいれんを起こして四肢及び頚部が硬直し、呼吸を停止し、意識を消失した。そして午後8時10分、死亡が宣告された。N医師は、両親に解剖を勧めたが、両親はこれを断った。

N医師はAの両親に対し、「20日夕方から胸苦を訴え、心電図で狭心症のような変化が見られた。フランドルテープを貼って、心電図をモニターし観察していたが、21日午後5時50分になって、突然、大きな血管に脳塞栓が生じて、けいれん・呼吸低下・意識低下を起こし、手当のかいなく亡くなった」などと説明した。

そして、N医師は「Aが、原因不詳による急性心不全によって死亡した」旨の死亡診断書を作成した。

両親は、Y1及びY2を相手取り、両者の共同不法行為などを理由として、約6,984万円円の損害賠償を求める裁判を提起した。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

判決

内科担当医の過失を認める

裁判所は、原告ら(両親)の主張を認め、Y1及びY2に損害賠償を支払うよう命じた。ただし、過失相殺によって請求額は減縮されて認容されている。約3,372万円となった。


1.原告の主張(交通事故関連の主張は除く)

<被告の主な主張>
(1) 死因
Aの死因は肺塞栓症である。

(2) 注意義務違反(過失)
(イ)Aには、受傷後の安静臥床・肥満など、肺塞栓症の危険因子があった

(ロ)18日以降断続的に現れた諸症状(胸苦・不整脈・動悸・不安感など)は肺塞栓症の症状と合致する

(ハ)20日午後4時30分ごろに実施された心電図検査では肺塞栓症を疑わせる所見が現れていることから、Y2内科担当のN医師は遅くとも20日午後4時30分ごろにはAが肺塞栓症であることを疑って、ヘパリンを静注するなどして抗凝固療法を開始するとともに、肺塞栓症の鑑別診断に必要な諸検査を実施し、Aの諸症状の原因を究明して適切な治療をすべきだった。しかし、N医師は、肺塞栓症の可能性を疑わず、処置も検査も怠ったため、Aが死にいたった。


2.被告Y2の反論

(1) 死因
肺塞栓症ではない。主な理由は以下のとおり。

(イ)肺塞栓症の典型的な症状は、胸痛・呼吸困難・チアノーゼ・点状出血・脳症状・発熱・血痰であるが、Aに見られたのは、胸苦しさだけである

(ロ)肺塞栓症は、事故後ないし手術から1週間以内に発症することが多いが、本件は本件事故ないし本件手術の約3週間後に症状が出ている

(ハ)骨折部位とその態様からみて、死亡組織を塞栓子とする肺塞栓症をもたらすようなものではない

(2) 注意義務違反(過失)
N医師は、骨折や本件手術の合併症としてAが肺塞栓症を発症する可能性を念頭に置いていた。
しかし、Aの主訴は胸苦しさであり、肺塞栓症に典型的な症状である胸痛や血痰などは見られなかった。最終的には、呼吸不全が現れているが、その原因として考えられるものは肺塞栓症に限らない。
むしろ、突然の胸痛や呼吸不全からは、急性心筋梗塞などの虚血性心疾患を疑うのが一般的である。N医師は、虚血精神疾患の可能性を疑い、心電図検査を実施している。
心電図検査の結果、ST上昇という虚血性変化が見られ、心臓由来の病態の可能性を示唆していたので、N医師は硝酸薬のフランドルテープを貼布している。
このように、N医師は、Aの症状、検査結果に照らして、適切な診療行為を行っている。また、肺塞栓症は、臨床的にはまれな疾病であり、N医師がAの症状が肺塞栓症によるものであると診断できなかったとしても、過失とは言えない。


3.裁判所の判断

(1) 死因について
剖検が行われていないし、肺塞栓症の確定診断方法である肺血管シンチグラムや肺動脈造影の検査も実施されていないので、Aの死因に関する客観的な資料は存しない。しかし、以下のことなどから、Aは肺塞栓症を発症して死亡したと認めるのが相当であると判断した。

(イ)Aには肺塞栓症を発症させる危険因子が存した

(ロ)18日以降のAの症状は、肺塞栓症に見られる呼吸困難・胸痛・動悸・頻脈の症状と一致する

(ハ)20日及び21日の心電図所見は、肺塞栓症に典型的なSIQ?T?に類似した波形やV1~V3までに陰性T波が見られている

(ニ)21日実施の血液ガス分析結果では、炭酸ガス分圧及び動脈血酸素分圧がいずれも平常値より下回っていた

(ホ)歩行練習開始から5日後に突然胸苦を訴え、その3日後に死亡している


(2) 注意義務違反(過失)
心電図所見で、心筋梗塞を疑わせるようなST上昇が見られたとしても、他方で、肺塞栓症を疑わせる波形も見られる。Aに肺塞栓症の危険因子が存し、その諸症状が肺塞栓症の症状と合致しており、しかも、N医師自身が特に肺塞栓症と心筋梗塞を判別するための検査を実施していないところから、「ST上昇の所見があったことは、心筋梗塞の可能性を肺塞栓症の可能性に優先させる理由にならない」。

また、診療経過からみて、N医師が肺塞栓症の発症を疑っていたとは認められない。


(3) 結論
「20日午後4時30分ころまでに現れたAの症状や検査結果には、Aに肺塞栓症が発症していたことを疑わせる症状や検査結果が得られていたことが認められ、他方、肺塞栓症を積極的に否定する症状や検査結果が得られていたと認めることはできないから、N医師は、Aに肺塞栓症が発症していることを疑い、肺塞栓症の予防措置を採り、他の疾病との識別検査を行い、適切に肺塞栓症の治療を行う義務が生じていた」。この判決は、原・被告ともに争わず、確定した。

判例に学ぶ

患者の主訴や他覚所見・検査結果などから、複数の疾患が疑われた場合、その疾患が死にいたる危険性のあるものであれば、安易に経過を観察せずに鑑別診断と原因究明に努めるべきでしょう。

特に、本件で問題となった肺塞栓症は、致死性の疾患であると同時に、急激な転帰をたどるため、鑑別診断は速やかに行う必要があります。

なお、肺塞栓症に関する知見は、本件事案が起きた平成4年当時と比較して、飛躍的に進歩しています。過失の有無は、そのときどきの医学的知見を前提に判断されますので、常に「現在の知見」を身につける姿勢が求められます。

蛇足ですが、本件のように、複数の原因(交通事故と医療過誤)から結果が生じた場合、それぞれの行為者が連帯して損害賠償責任を負います。これを、共同不法行為責任と呼びます。