事件1. 精神疾患のある腎不全患者と透析導入時の医師の裁量範囲
-宮崎地方裁判所平成8年3月18日第1審判決- 判例タイムズNo.927、1997.3.15
-福岡高等裁判所宮崎支部平成9年9月19日判決- 判例タイムズNo.974、1998.8.15
本件は、地域の中核病院である県立病院の担当医が透析導入を必要とする腎不全患者に精神疾患(重度の精神分裂病との診断)が並存することを理由に透析療法の適応がないとして透析導入を断り、その結果、まもなく患者が慢性腎不全に起因する心不全で死亡した事案である。
患者は、本件事故当時42歳の女性Xで、中卒後就職していたが20代で精神症状が発症し親元にひきとられていた。その後も実家にひきこもって精神的に不安定な状態がつづいていた。平成元年頃、Xは糖尿病と尿路感染症に罹患し、他のA病院に入院してインスリン持続投与を受けて症状は改善され、平成2年7月末頃には、糖尿病対策として指示された食餌制限を守りインスリン注射をつづければ、通院治療で足りるほどになった。しかし、全身状態が良くなるにつれ、Xは医師らの指示を守らないようになり、思うままに飲食するなど、医師らから理解力と自己管理能力の不足を指摘されていた。医師らは家族と相談したが、患者自身には自己管理が期待できず、また諸事情から家族にも常時患者の面倒をみる余裕がなく、Xはそのため糖尿病と精神疾患両方の対処が可能な別のB病院に転院して治療を継続した。そして平成3年1月頃(以下の日付は平成3年を省略)には、身体的にも精神的にも、退院可能で日常的な介助も不要なほど容態は良くなったが、本人の希望で入院が継続された。5月には水腎症を発症したが、バルーンカテーテル留置による尿排出を要するとの診断で、また別の泌尿器科C病院に転院して治療を受け、水腎症は消失したものの腎機能が低下してくるとともに、精神症状も悪化してきた。そこで、2ヵ月ほどの入院の後、またB病院に戻された。担当医は血液検査の結果等から7月頃には顕著な腎機能低下が認められ、血液透析を視野に入れた治療と精神科的保護環境の双方が必要であるとの考えから、7月11日に県立病院である被告病院Cに連絡して受け入れを求めた。
翌日12日に来院した患者らに対して、被告病院では血圧、脈拍、聴打診、眼瞼結膜等の表面的な診断をしたのみで、透析は容易なものではないからB病院に戻るよう指示した。そして、B病院への連絡票には、「血液透析療法の適応につきましては、当科ではその最低条件として、(1)本人が透析の必要性を了解し、自己管理を含めスタッフの指導を受け入れること、(2)外来通院透析の確保、としています。この二点の確認ができなければ透析できません」として、家族がどうしてもというのなら再検討するので連絡するよう回答が記載されていた。B病院では、とりあえず同医院で可能な限りのバルーンカテーテルによる導尿、利尿剤投与等の措置を採る一方で、透析可能な病院を当たったがにわかに見つからず、その後の数日間に患者の意識は清明であったものの全身倦怠感、嘔気嘔吐、口唇、鼻孔からの出血、便の出血傾向等の症状が認められ、BUNが122、血清クレアチニン値が11.7、血清ナトリウム値122、血清カリウム値5.8という検査結果であった。7月16日には、顔面に著明な浮腫で満月様、いつ尿毒症症状が発症してもおかしくない容態となった。
そこで、B病院としては、家族が付き添いをすれば被告病院でも受け入れるのではないか、との考えから家族と連絡をとり、患者の受け入れを被告病院に再度要請した。そして、患者Xは7月17日に被告病院に来院して家族とともに受診し、担当医に血液透析導入を依頼。入院して検査を受けたところ、BUN109、血清クレアチニン値12.1、血清ナトリウム値112、血清カリウム値5.2、翌日18日には、BUN127.5、血清クレアチニン値11.6、血清ナトリウム値110、血清カリウム値5.3であった。
同日、被告病院担当医は、「本人が透析に対する理解力がないので当院の透析適応にあてはまらない」として、血液透析を導入しないことを決めた。
これに対して、B病院側は再度血液透析導入を要請したが、被告病院はこれを拒否したため、B病院がまた患者を受け入れた。7月19日の午後0時29分に患者はB病院に到着したが、午後1時半には、呼名反応、痛覚反応、瞳孔反射のいずれもマイナスとなっており、その状態のまま、患者は翌日20日午前6時45分に死亡した。死因は、慢性腎不全による腎機能喪失を主因とする心不全であった。
そこで患者の遺族らが、(a)最初の来院時の7月12日の時点で患者を入院させて血液透析を導入すべきであった、(b)7月17日の時点ではただちに透析を導入すべきであったのにこれを怠った、という2点の注意義務違反を主張して損害賠償請求訴訟を提起した。
被告病院側は、透析療法施行のうえでは、患者側の自己管理能力と医療側への協力が絶対的に必要であったところ、受診時の患者の対応ぶりからその適応が認められないと判断したのであり、過失はないと主張した。