Vol.011 患者の意思と異なる治療方針の説明義務について

~輸血拒否の場合~

-最高裁第3小法廷平成12年2月29日判決(民集54巻2号582頁、判時1710号97頁、判タ1031号158頁)-
協力:「医療問題弁護団」藤田 康幸弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者X(昭和4年1月5日出生)は、昭和38年から「エホバの証人」の信者であり、宗教上の信念からいかなる場合であっても輸血を受けることは拒否するという固い意思を有していた。Xは控訴審係属中の平成9年8月13日に死亡し、その後はXの相続人である夫X1、子X2~X4の4名が訴訟を承継した。

X1は「エホバの証人」の信者ではないが、Xの前記意思を尊重しており、Xの長男X2はその信者である。

Y1(国)が設置し、運営しているY病院に医師として勤務していた医師Y2は、「エホバの証人」の信者に協力的な医師を紹介するなどの活動をしている「エホバの証人」の医療機関連絡委員会(以下「連絡委員会」)のメンバーの間で、輸血をともなわない手術をした例を有することで知られていた。しかし、Y病院においては外科手術を受ける患者が「エホバの証人」の信者である場合、右信者が輸血を受けるのを拒否することを尊重して、「できる限り輸血をしないが、輸血以外に救命手段がない事態にいたったときにのみ患者及びその家族の諾否にかかわらず輸血する」という方針を採用していた。

Xは平成4年6月17日にA病院に入院し、同年7月6日、悪性の肝臓血管腫との診断結果を伝えられたが、A病院の医師から輸血をしないで手術はできないと言われたため、同月11日にA病院を退院し、輸血をともなわない手術を受けられる医療機関を探した。

平成4年7月27日、連絡委員会のメンバーがY2に対し、Xは肝臓ガンに罹患していると思われるので、その診察を依頼したい旨を連絡したところ、Y2はこれを了解し、右メンバーに対してガンが転移していなければ輸血をしないで手術することが可能であるから、すぐに検査を受けさせるよう述べた。

Xは平成4年8月18日にY病院に入院し、同年9月16日、肝臓の腫瘍を摘出する手術(「本件手術」)を受けたが、その間、X、X1及びX2は、Y2ならびにY病院に医師として勤務していたY3及びY4(以下総称して「Y2ら」)に対し、Xは輸血を受けられない旨を伝えた。X2は、同月14日にY2に対してX及びX1が連署した免責証書を手渡したが、右証書にはXは輸血を受けることができないこと及び輸血をしなかったために生じた損傷に関して医師及び病院職員等の責任を問わない旨が記載されていた。

Y2らは、平成4年9月16日、Xの手術において輸血を必要とする事態が生ずる可能性もあったことから、その準備をしたうえで本件手術を施行した。Xは患部の腫瘍を摘出した段階で出血量が約2245mlに達するなどの状態になったので、Y2らは輸血をしない限りXを救えない可能性が高いと判断して輸血をした。

Xの診療・手術に関与した医師は、担当医師団の責任者である教授Y2、助教授であるY3、主治医であるY4、Y5、麻酔医であるY6、Y7の6名であった。

Xは、Y1~Y7を被告として、(1)「輸血以外に救命手段がない事態になっても、輸血をしないこと」(「絶対的無輸血」)に合意したと主張して、債務不履行(契約違反)・不法行為による損害賠償、(2)その合意が成立していないとしても説明義務違反があるとして、不法行為による損害賠償を求めて提訴した。

なお、Xが主張した損害は精神的苦痛による慰謝料が1000万円、弁護士費用が200万円であった。

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地裁・高裁の経過

第一審の東京地裁(平成9年3月12日判決<判タ964号82頁>)は、絶対的無輸血の合意が成立したかどうかを判断せず、仮に成立していたとしても、公序良俗に反するから無効とし、「手術中、いかなる事態になっても輸血を受け入れないとのXの意思を認識したうえで、Xの意思に従うかのように振る舞って、Xに本件手術を受けさせたことが違法であるとは解せられない」などとしてXの請求を棄却した。

この地裁判決に対し、Xが控訴して控訴審の東京高裁(平成10年2月9日判決<判時1629号34頁、判タ965号83頁>)は、絶対的無輸血の合意は成立していないとしつつ、「輸血以外に救命手段がない事態になっても輸血を拒否する」との意思を表明している成人の患者に対しては、「輸血以外に救命手段がない事態になれば輸血する」との治療方針を採用した医師は、手術の同意を得るに際して、その治療方針を説明する義務があり、この義務を怠って手術をし、さらに輸血をしたときには、それにより患者が被った精神的苦痛につき賠償の義務を負うとした。そして、助教授であるY3、麻酔医であるY6とY7については説明義務を負う立場ではなかったとし、Y1、Y2、Y4、Y5の責任だけを認め、Xの請求を慰謝料50万円、弁護士費用5万円の限度で認めた。

この高裁判決に対して、Y1、Y2、Y4、Y5が上告した。その上告を前提として、X1~X4が附帯上告(相手方が上告をする限りにおいて上告するという手続き)を行った。

最高裁判決

Y2らの説明義務違反を認める


最高裁判決は、以下のように判断して高裁判決を維持し、Y1らの上告を棄却した。なお、X1らの附帯上告も棄却した。

本件において、Y2らがXの肝臓の腫瘍を摘出するために、医療水準にしたがった相当な手術をしようとすることは、人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者として当然のことだと言える。しかし、患者が輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血をともなう医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合には、このような意思決定をする権利は人格権の一内容として尊重されなければならない。

そして、Xが宗教上の信念からいかなる場合にも輸血を受けることを拒否するとの固い意思を有しており、輸血をともなわない手術を受けられると期待してY病院に入院したことをY2らが知っていたなど、本件の事実関係のもとでは、Y2らは手術の際に輸血以外には救命手段がない事態が生ずる可能性を否定しがたいと判断した場合には、Xに対して、Y病院としてはそのような事態にいたったときには輸血をする方針を採っていることを説明してY病院への入院を継続したうえで、Y2らのもとで本件手術を受けるか否かをX自身の意思決定に委ねるべきであったと解するのが相当である。

ところが、Y2らは本件手術にいたるまでの約1ヵ月の間に、手術の際に輸血を必要とする事態が生ずる可能性があることを認識していたにもかかわらず、Xに対してY病院が採用していた右方針を説明せず、X及びX1らに対して輸血する可能性があることを告げないまま本件手術を施行し、輸血をしたのである。

そうすると、本件において、Y2らは右説明を怠ったことにより、Xが輸血をともなう可能性のあった本件手術を受けるか否かについて意思決定をする権利を奪ったものと言わざるをえず、この点においてXの人格権を侵害したものとして、Xがこれによって被った精神的苦痛を慰謝すべき責任を負うというべきである。

判例に学ぶ

まず、最高裁が、宗教的信念にもとづき輸血をともなう医療行為を拒否する意思決定をする権利が、人格権の一内容として尊重されなければならないと判断したことは非常に重要です。自己決定権という言葉を使用していませんが、本件では患者の自己決定権を最高裁が明確に認めたと言えるでしょう。

しかし、この判決で判断の対象となった事実関係には、「事件内容」で紹介したように、やや特殊な面があります。Xの請求を否定した地裁判決ですら、「原告の意思に従うかのように振る舞って原告に本件手術を受けさせた」と述べています。本件に関する判例研究の中には「だまし討ちに近いケース」という評価もあるように、アンフェアな対応だったと言うべきでしょう。

医師の中には、このような事実関係を捨象して受け取り、過剰な不安感を持つ向きもあるようですが、事実関係を十分にふまえる必要があるでしょう。そして、たとえば、輸血せずに手術できると確信して手術したが予想外の出血のため輸血せざるをえなくなった場合や、交通事故の直後などで患者の意思を確認できない場合、あるいは患者に判断能力が欠けている場合などについては、この最高裁判決の射程距離外でしょう。