医療過誤における慰謝料は、死亡や傷害による精神的苦痛に加えて、医療機関の対応に不誠実なものがあればこれを考慮のうえ算定される。過去の事例としては次のようなものがある。
1. 事実解明を妨害する行為:事故を記録しなかったり、カルテ改ざんや証拠保全に協力しないなど、証拠を隠す行為
(1)極小未熟児に対する光凝固法治療を前提とする説明義務・転院義務の有無が争われた事件
<名古屋高裁昭和61年12月26日判決、昭和56年(ネ)第291号慰藉料等請求控訴事件(判時1234号P.45)>
この事案での説明義務・転院義務は否定されたが、未熟児網膜症を白内障と誤診して適切な指示をせず、カルテを改ざんするなどして粗雑、ずさん、不誠実な医療をしたことの責任として、病院側に対し本人300万円、両親各150万円の慰謝料の支払いが命じられた。カルテ改ざんの内容は、実際は半年後の来院を指示してカルテに「半年後に来る」と記録したのに、その前に「1m、数m~」(筆者注:「m」は、「ヵ月」の意)と書き加えたというもので、被告医師は1ヵ月後の来院を指示したと強弁していた。判決は、「医療契約の内容には、医療水準の如何に関わらず緻密で真摯かつ誠実な医療を尽くすべき約が内包されている。医師は不誠実な医療対応自体につき、精神的苦痛の慰藉に任ずる責がある」と判示している。
(2)未熟児網膜症で失明した極小未熟児に対する酸素管理義務違反が争われた事件
<仙台高裁平成2年8月13日判決、昭和63年(ネ)第74号損害賠償請求控訴事件(判タ745号P.206)>
酸素管理自体については、失明との間に因果関係があるとはいえないとして責任が否定されたが、看護師任せの酸素管理、カルテの書き換え・抹消につき、誠実義務違反として慰謝料300万円が認められた。カルテの書き換え・末梢が指摘されたのは保育器内の酸素濃度の記録であり、前の記載が判読不能な程度にまで抹消し、新たに濃度を書き加えたり、抹消したままにしておき、その時期及び理由について被告からは首肯するに足りる合理的な説明がなかった。このような末梢・変更は、診療録の記載について定めた医師法24条1項の規定の趣旨に反するもので、患者の医師に対する信頼を著しく損なわせる行為だと判決は述べている。
以上、(1)と(2)はいずれも医療過誤責任はなくても、不誠実な医療自体に慰謝料支払いが命じられたというものである。
(3)PTCA(経皮的冠動脈形成術)施行時、バルーンカバーをはずし忘れたままカテーテルを冠動脈内に挿入したためPTCAが不成功となり、その後CABG(冠動脈バイパス手術)の施行を受けた患者が陳旧性心筋梗塞による身体障害者等級3級の後遺障害を負った事件
<青森地裁平成14年7月17日判決、平成10年(ワ)第90号損害賠償請求事件(最高裁ホームページ下級裁主要判決情報)>
判決は後遺障害が労働能力喪失率56%であること、これに加えて被告が事実を秘し、患者に具体的な経過についての説明をしなかったこと、訴訟に至ってもバルーンカバーを取り忘れた医師を明らかにしないなど、きわめて不誠実ともいうべき対応に終始したなどの事情も考慮して、本人慰謝料として1200万円を認めた。
(4)胃ガン手術後、腹腔内膿瘍による敗血症で死亡した事件
<東京地裁平成15年3月12日判決、平成8年(ワ)第6899号損害賠償請求事件(判例集未搭載)>
細菌性腹膜炎が発症しているのに、医師の過失により適切な治療を受ける機会を奪われて死亡するに至ったことに加え、診療録の不備や証拠保全手続きにおける被告の不誠実な対応が事実関係の究明を妨げ、原告らの精神的な苦痛を強める結果になったことは否定できないとして、慰謝料としては2500万円が認められた。本件での診療録の不備としては、入院翌日のカルテには腹膜炎を疑わせる腹部理学所見(圧痛、筋性防御、ブルンベルグ徴候等)が記載されているのに、その所見に関するその後の日を追った記載がないこと、腹腔内貯留液の肉眼的所見、自覚症状の詳細、全身的所見、超音波検査・レントゲン検査等の諸検査の結果に関する判断など、診断に必要な記載が欠落しており、医師が患者の症状の原因をどのように捉え、どのように診療計画を立てたのかがまったく示されていない、以前の胃ガン手術時の診療録は比較的克明に記載されているにもかかわらず、再入院時の本件診療録の記載はずさんで、患者がショック状態に陥った以降は自動血圧計と酸素飽和度モニター記録の転写と注射指示に終始するものであること、診療録・看護記録・診療報酬明細書で投薬量の記載が相違していること、数十ヵ所にわたり、修正液で消去し加筆した部分があること、証拠保全の際にはレントゲン写真等の画像は35枚で全部であると説明して裁判所に提示しているが、診療報酬明細書の記載によると、他にレントゲン写真71枚、CT写真5枚が撮影されていたと認められること、被告病院から転送先の紹介状に記載された診療経過と本件診療録の記載との間に整合性がないことなど、詳細にわたって不備を示す具体的事実が指摘され、診療録が相当程度改ざん、もしくは抜粋されたものである疑いが強いとされた。
2. 過誤後の不誠実な態度:明白な過誤の責任を否定したり、患者・家族らに対する侮辱的態度
看護婦が患者・家族からAB型であると聴取したのみで軽信し、被告医師が血液検査をせずにAB型の血液輸血を指示し、B型の患者が死亡した事例
<岡山地裁昭和63年3月22日判決、昭和47年(ワ)第698号損害賠償請求事件、昭和63年(ワ)第130号損害賠償等独立当事者参加事件(判時1293号P.157)>
不適合輸血と死亡との因果関係は否定されたが、不適合輸血による症状で与えられた苦痛と、医師の不誠実な態度に対して患者への400万円の慰謝料が認められた。被告医師の不誠実な態度とは、転院先病院の診療録や鑑定によって不適合輸血の可能性がきわめて大きいことが明らかになってからさえ過誤を否定したこと、手術直前に急遽大学病院に麻酔医の派遣を要請し、当該麻酔医には簡単な説明をしただけで全身麻酔と輸血の実施を依頼し(麻酔医はAB型と判定されていると誤診したが、無理からぬものがあったと判示されている)、輸血用血液は被告医師自らが看護婦に指示して取り寄せたにもかかわらず、不適合輸血を麻酔医の全面過失にしようとしたこと、慰藉の努力を敢えてせず、岡山医師会からの慰藉勧告にも応じていないなどの態度であり、これが斟酌されて前述の慰謝料が算定された。