Vol.016 個人病院医師が、適時・適切な医療機関へ患者を転送する判断時期の重要性

~個人病院医師に、急性脳症の患者の転送義務が認められた事例~

-最高裁判所第三小法廷平成15年11月11日判決 平成14年(受)第1257号損害賠償請求事件(判例集未掲載、最高裁判所ホームページ掲載)-
協力:「医療問題弁護団」長谷川 史美弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

高度な医療機器による精密検査を行う設備がなく、入院加療も行えない個人病院の医師は、その医院で対処しえない患者については、これらの治療を行える医療機関に患者を転送する義務があることは当然である。しかし、具体的にいつの時点で患者を転送すべきかは難しい判断であろう。
判例は、具体的にどのような状況での転送義務を認めているのであろうか。また、急性脳症のように予後が一般に重篤であり、早期転送によっても必ずしも後遺症を防止しえたとは限らない事案についても医師の責任が認められるのであろうか。

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診療の経過

患者Xは昭和63年当時小学校6年生で、昭和61年2月から開業医であるY医師の診察を受けており、本件までの約2年半の間に発熱、頭痛、腹痛等を訴えて、計25回以上受診していた。
被告のY医師は、昭和43年3月に大学医学部を卒業した医師で、昭和59年7月に内科・小児科を診療科目とする医院を開設(以下本件医院)している。なお、この医院はいわゆる個人病院(診療所)であり、患者を入院させる施設はなく、1階が診察室、2階に外階段で通じる処置室があった。
診療経過は、以下のとおり。

Xは昭和63年9月27日ころ発熱し、同月29日午前にYを受診。YはXに37.1℃の発熱、軽度の咽頭発赤、右前けい部圧痛を認め、上気道炎、右けい部リンパせん炎と診断して投薬。Xはその指示どおりに薬を服用したが症状が改善せず、同月30日午後7時ごろにYを再受診した。Yは、Xに39℃の発熱、へんとうせんの肥大・発赤を認め、へんとうせん炎を病名に追加した。そして10月3日に来院するよう指示し帰宅させた。
10月1日になると、Xの発熱はやや収まり、かゆを食べたが、10月2日(日)には朝から食欲がなく、昼から再び発熱し、むかつきを訴えた。同日午後2時ごろ、本件医院が休診だったため、Xは母親とともに本件医院ではなく総合病院(以下A病院)で救急の診察を受け、鎮痛剤を処方される。だが、同日午後8時ごろから腹痛を訴え、午後11時30分ごろ大量の嘔吐。その後も吐き気は治まらなかった。
そのため翌3日午前4時30分ごろ、A病院で救急の診察を受けた。同病院の医師は腸炎と診断し、また虫垂炎の疑いもあるとして本件医院での再受診を指示した。
Xは母親に付き添われて同日午前8時30分ごろにYを受診。YはA病院での診療の経過を聞いたうえで、急性胃腸炎、脱水症等と診断。本件医院2階の処置室のベッドで同日午後1時ごろまでXに700㏄の輸液を行った。この間の2階への階段の上り下りは母親がXを背負って行った。Xは点滴開始後も嘔吐しており、症状は改善せず。Yは嘔吐がつづくようであれば午後も来診するように指示して帰宅させたが、Xの嘔吐は帰宅後もつづいた。
Xは同日午後4時ごろ、Yを再度受診し、午後8時30分ごろまで本件医院2階のベッドで700㏄の輸液を受けた。しかし、点滴開始後も嘔吐は治まらず、軽度の意識障害を疑わせる言動がみられた。これに不安を覚えたXの母親はYによる診察を看護婦を通じて求めたが、Yは外来患者の診察中であったため、すぐには診察しなかった。その後、Yは点滴の合間にXを診察したが、そのときは脱水症状、左上腹部に軽度の圧痛を認めた。また、Xは午後7時30分ごろ、母の不在中に尿意を催した際、職員の介助によりベッドで排尿するのを嫌がり、自分で点滴台を動かして歩いてトイレに行き、排尿後、タオルを渡してくれた職員に礼を述べたりした。Xは同日午後8時30分ごろの点滴終了後、母親に付き添われて1階に下り診察台でYの診察を受けたが、椅子に座れず診察台に横になっていた。そして点滴前に37.3℃あった熱が点滴後は37.0℃に下がり、嘔吐もいったん治まり、午後9時ごろに母親に背負われて帰宅した。Yは、このままXの症状の改善がみられなければ入院の必要があると判断し、入院先病院あての紹介状を作成した。Xは帰宅後も嘔吐の症状がつづき、熱も38℃に上がり、同日午後11時ごろには母親に苦痛を訴えた。
翌4日早朝からは母親が呼びかけてもXが返答をしなくなった。一方、YはXの状態が気になっていたため、X方に電話をかけ、Xの容態を知ったためすぐに来院するよう指示をした。Xが同日午前9時前ごろにYを受診した際には意識が混濁した状態で、呼びかけても反応がなかった。同日、Yの紹介により、XはD病院に緊急入院し、急性脳症の疑いとして治療を受けたが、その後も意識が回復せず平成元年2月20日、原因不明の急性脳症と診断された。
Xはその後、急性脳症による脳原性運動機能障害が残り、身体障害者1級と認定された。現在も日常生活全般にわたり常時介護を要する状態にある。平成13年5月には精神発育年齢が2歳前後で言語能力もないなどとして、後見開始の審判を受けている。

本件は、XがYに対し、(1)適時に総合医療機関に転送すべき義務を怠ったため、Xに重い脳障害を残した。(2)仮にYの転送義務違反とXの重い脳障害との間に因果関係が認められないとしても、重い脳障害を残さない相当程度の可能性が侵害された、として不法行為にもとづく損害賠償を求めたものである。

原審の判断

原審は、以下の理由を述べて医師の責任を否定した。

 


1. 10月3日午後4時ごろから同日午後9時ごろまでの間の診察中の点滴時におけるXの言動は、意識レベルの低下の兆候ないし軽度の意識障害の発現とも考えられるが、その後、Xが自分で点滴台を動かしてトイレに行き、タオルを渡してくれた職員に礼を述べたことなどに照らすと、意識障害ないし意識レベル低下の兆候であったと断定するには疑問がある。
2. 前記診察終了時には、嘔吐がいったん治まっていたことに照らすと、同診療終了時までに急性脳症の発症を疑って他病院に転送する義務があったと認めることはできない。
3. 仮に転送義務があったとしても、転送義務違反と後遺障害との間に因果関係を認めることはできない。

判決

医師Yの転送義務違反を認める


以下の理由により、裁判所は本件病院医師Yの責任を肯定した。
1. 初診から5日目の10月3日午後4時ごろ以降の診察を開始する時点で、それまでの自らの診断及びそれにもとづく治療が適切なものでなかったとの認識が可能であったにもかかわらず、午前と同様の点滴を、常時その容態を監視できない2階の処置室で実施した。その点滴中にもXの嘔吐は治まらず、またXに軽度の意識障害等を疑わせる言動に不安を覚えた母親がYに診察を求めるなどをしたことからすると、Yとしてはその時点でXの病名は特定できないまでも、本件医院では検査及び治療の面で適切に対処できない、急性脳症等を含むなんらかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことをも認識できたとし、この時点で急性脳症等を含む重大で緊急性のある病気に対しても適切に対処しえる高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関への転送義務を肯定した。
2. 適時に適切な医療機関へXを転送し、同医療機関において適切な検査、治療等の医療行為を受けさせていたならば、Xに重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは、YはXが前記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償する不法行為責任を負う。そして、前記相当程度の可能性の存否についての審理が不十分であるとして、本件を原審に差し戻した。
なお、本判決は前記の「重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性」の存否について、本来、転送すべき時点におけるXの具体的症状に即して、「転院先での適切な検査、治療を受けた場合の可能性の程度を検討すべきものであり、原判決の引用する統計によれば、急性脳症は生存者中63%に中枢神経後遺症が残ったが、残りの37%(死亡者を含めた全体の約23%)には中枢神経後遺症が残らなかったこと、完全回復をした者が全体の22.2%であり、残りの77.7%の数値の中には、Xのような重大な後遺症が残らなかった軽症の者も含まれていると考えられることからすると、これらの統計数値は、『相当程度の可能性』が存在することをうかがわせる事情というべきである」としている。

判例に学ぶ

個人病院ですべての疾患に対応することは不可能である場合に、いつの時点で高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関へ転送する義務があるかは、重要かつ難しい問題であると言えます。本判決は、その病名が特定できない場合でも、それまでの経過からみて、それまでの診断及びそれにもとづく治療が適切でなかったことを認識することが可能であり、かつ、当該個人医院では検査及び治療の面で適切に対処できない、なんらかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことをも認識することができた場合には、その時点でただちに適切に対処しえる高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関への転送義務があるとしました。個人病院の医師には、転送の判断が遅れることによって重大な結果が惹起されないよう、適切な判断が求められるところです。
また、急性脳症のように最善の治療を行っても予後不良の例がある疾患であっても医師の責任が免責される理由にはなりません。適時に適切な医療機関へ患者を転送し、同医療機関において適切な検査、治療等の医療行為を受けさせていたならば、患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性があるときは責任が肯定されることになります。