Vol.018 医師による医薬品投与後の経過観察義務について

~医療慣行に従った医療行為を行っても、注意義務を尽くしたとはただちには言い難い~

-東京高等裁判所平成13年9月26日判決(判例タイムズ1138号235頁)-
協力:「医療問題弁護団」高井 章弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

本件事例は、精神科において能書記載の投与量の上限よりはるかに多い量の鎮痛剤の投与を受けた患者が、その後、蘇生後脳症(低酸素脳症)となり植物状態になった医療事故において、医師の医薬品投与後の経過観察義務の内容が問題となった事例である。
重篤な副作用がある医薬品の投与においては、医師は適切に、その後の経過観察を行わなければならないが、能書に記載された投与量の上限をはるかに超える量が投与されるなどの事情がある場合には、医師に対してどのような内容の経過観察義務が課されるのであろうか。

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事件内容

 患者Xは平成元年3月に大学を卒業後、平成6年6月ころから母親に対する依存的かつ攻撃的な言動が目立つようになり、落ち着きなく異常行動を示すようになった。同年9月ころ、Xは精神科病院を受診し、希死念慮を訴えたためうつ病との診断を受けた。さらに平成6年12月、患者XはY病院精神科を受診し、躁うつ病(抑うつ型)との診断を受け、Xの診断名に境界性人格障害が追加された。Xはその後もY病院精神科にて通院治療を受けていた。
平成7年2月11日深夜、患者Xは自宅において母親に対し暴言を浴びせ、物を投げつけるなどし、不穏・興奮状態がつづいた。Xの母親が110番通報する事態にいたり、翌日の午後3時20分ころ、警察官にともなわれてXはY病院精神科救急外来に来院した。Y病院精神科では、当直医Aと看護婦Bが対応し、警察官の同席のうえでXの診療が開始された。A医師はXの状況から入院の必要性があると判断し、Xの母親の同意を得てXを医療保護入院させることにした。

 A医師が、午後4時ころにXの血圧・脈拍を測定したところ、血圧は収縮期血圧が110mg、拡張期血圧が70mgであり、脈拍は1分間あたり102回であった(なおXは身長180cm、体重54.6kg)。その後、鎮静、入眠を目的として、A医師はXに対し、サイレース2アンプル(フルニトラゼパム4mg含有)を緩徐に静脈注射した。しかし、Xが起き上がろうとしたりするので、A医師はさらにサイレース1アンプル(フリニトラゼパム2mg含有)を緩徐に静脈注射した。Xが傾眠状態になったことから、A医師はXをベッド上で胴抑制、四肢抑制、ベストによる上半身抑制を行ったが、午前4時30分ころ、Xが興奮して暴れ出したため鎮痛効果のあるヒルナミン2アンプル(塩酸レボメプロマジン50mg含有)及びヒルナミン投与による副作用防止のためのアキネトン1アンプルを筋肉注射した。
しかし、Xはなおも怒声をあげていたため、午後4時45分ころ、サイレース2アンプル(フルニトラゼパム4mg含有)を緩徐に静脈注射した。その後、午前5時ころになってXは傾眠がちになってきたので、A医師らは保護室を退室した。B看護婦が、午前5時20分ころ再び保護室に入室し血圧・脈拍を確認したところ、収縮期血圧が116mg、拡張期血圧が60mg、脈拍は1分間当たり126回、呼吸は整であった。
ところが、A医師が午前6時ころ、Xのバイタルサインを確認したところ、拍動を触知できず、呼吸も感じられない状態であり、両眼とも対光反射が確認できなかった。
A医師は、ただちに救命救急センターに連絡し、Xに対して心マッサージ、人工呼吸当の蘇生措置を施した結果、自発呼吸が認められるようになったが、Xは同救命救急センターにて、蘇生後脳症(低酸素脳症)の診断を受け、植物状態となり回復が困難な状態となってしまった。

判決

A医師の経過観察義務違反を認める

1. 本件医療事故の原因について

 本件医療事故の原因について、判決はY病院側の主張を退け、A医師が多量のサイレースを投与したうえ、ヒルナミンを併用投与したため、Xが呼吸停止等の状態に陥ったとして薬剤投与にその原因を認めた。
すなわちサイレースの能書の記載では、サイレース1アンプル中には、フルニトラゼパム2mgが含有されており、その用量は通常成人に対する全身麻酔の導入としては体重1kg当たり0.02ないし0.03mg、局所麻酔時の鎮静としては体重1kg当たり0.01ないし0.03mgとすること、一般的注意として麻酔中は気道に注意して呼吸・循環に対する観察を怠らないこと、重大な副作用として0.1ないし5%未満の頻度で無呼吸、呼吸抑制、舌根沈下が現れ、そのほかにも循環器の副作用として同じ割合で血圧低下、徐脈、頻脈等が現れるとされている。他方においてヒルナミンは、能書において、1アンプル中に塩酸レボメプロマジン27.77mg(レボメプロマジンに換算して25mg)を含有し、通常成人にはレボメプロマジンに換算して1回25mgを筋肉注射すること、ヒルナミンは中枢神経抑制剤の作用を延長し増強させるため、麻酔剤等の中枢神経抑制剤の強い影響下にある患者に対しては投与してはならないこと、ヒルナミンを中枢神経抑制剤と併用すると相互に作用を増強することがあるので減量するなど慎重に投与すること、重大な副作用として血圧の変動等の発現に引きつづき高熱が持続し、意識障害、呼吸困難等へ移行し死亡する例もあること、循環器の副作用として、血圧降下、頻脈等が見られることがあるので観察を十分に行い慎重に投与すべきであること及び過量投与により傾眠から昏眠までの中枢神経系の抑制、血圧降下等の症状が現れることが明らかにされている。

 ところが、A医師はXに対し、サイレースを10mg(体重1kg当たり0.18mg)という能書記載の6倍にも相当するきわめて多量な投与を行っており、かつ、その間に併用されたヒルナミンの投与量も1回分としては相当量を上回っていることから、サイレースの薬効が増強され、呼吸停止等の重大な副作用をもたらす可能性があり、しかも併用投与後70分後の酸素飽和度が低下した例が報告されていることから、Xの呼吸停止等の状況に陥った原因はA医師が投与したサイレース及びヒルナミンであると認定した。

2. A医師の過失(予見可能性)について

 判決は、A医師がXが呼吸停止等の状態に陥ることについて予見可能であったか否かについて、当時の医学文献では、サイレースの重大な副作用として、無呼吸、呼吸抑制及び舌根沈下が現れ、そのほかにも循環器の副作用として血圧低下や徐脈及び頻脈が現れること、ヒルナミンを中枢神経抑制剤と併用すると、相互に作用を増強することがあることなどが明らかであったことや、A医師がサイレースの能書の記載内容を知っており、臨床経験からサイレース投与の際に無呼吸、呼吸抑制及び舌根沈下、血圧低下、頻脈が生じることをしばしば経験している等から、A医師は本件のように多量のサイレースとヒルナミンを併用投与した場合には、併用投与後相当時間経過後においてもその副作用が発現することがあると当然予見できたと認定した。

3. 経過観察義務違反について

A医師の経過観察義務違反について、判決は「能書に定められた上限を遙かに超える大量のサイレースを、しかもその作用を増強される効果を有するヒルナミンと併用して(しかもその投与量は一回分の相当量を上回っていた)使用したのであるから、人の生命及び健康を管理すべき義務にある者として、最善の注意を払ってサイレース投与による副作用の発現を予見し、副作用が発現した場合には速やかに対処できる監視態勢をとるべき注意義務が存したと認められる」としたうえで、その監視態勢については、当時の医学文献においてモニタリング等の経過観察の有効性について報告されているとして、モニタリングによる経過観察の必要性を認定し、Y病院精神科にはテレメーター方式の心電図モニタが備えられており、Xが心電図モニタを装着していれば脈拍等の異変をいち早く発見できた蓋然性が高く、実際にも心電図モニタにより経過観察を行うことが可能で、かつ、その経過観察により本件発症のような事態を防ぐことが可能な状況にあったのだから、A医師はモニタリングによる経過観察、または少なくともこれとほぼ同程度の頻回の監視による経過観察を行うべきであり、これをしなかったA医師に対して経過観察義務違反を認めた。

判例に学ぶ

 重篤な副作用が生じる恐れがある医薬品の投与において、医師はその後の患者の状態について経過観察する必要があるとされています。
本件においては、能書に記載されている投与量の上限をはるかに超えて多量の投与がなされ、副作用を増強させる恐れのある医薬品を併用投与した場合の経過観察義務について、医師に対して厳格に判断しています。
 そもそも、医薬品の使用において医薬品の能書に記載された使用上の注意事項に従わなかった場合に、それによって医療事故が発生した場合には、医師が能書の記載に従わなかったことについて特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるべきとされています(最高裁平成8年1月23日判決〔判例時報1571号57頁〕。いわゆるペルカミンS事件)。
本件判決も多量のサイレースとヒルナミンを併用投与したことについて、前記最高裁の基準を用いたうえで、合理的根拠が認められないとし、A医師に対して予見可能性を認めています。そのうえで経過観察義務違反の認定においては、医師側から主張されたサイレース投与後は30分~40分の間隔で経過観察を行う方法が精神科救急医療における一般的傾向であって当時の医療水準からみて合理的であるという主張に対し、「人の生命及び健康を管理すべき義務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが、具体的な個々の事案において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。
そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に考えられるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない」と前記最高裁判例において明確にされた規範を明示しました。
そのうえで医師側が主張するような「平均的慣行にしたがった医療行為を行ったというだけでは、本件のような事例において、精神科救急医療の中心的存在に位置づけられる病院の医師に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできない」としました。
このように、重篤な副作用が認められている医薬品について、能書に定められ上限をはるかに超えて投与するなどした場合には、医師に課せられる経過観察義務の内容においても、より高度の医療水準を持って判断されることになります。なお、本件事例において判決は、Y病院に、Xに対して総額9138万1655円の損害賠償金を支払うよう命じております。