A医師の経過観察義務違反を認める
1. 本件医療事故の原因について
本件医療事故の原因について、判決はY病院側の主張を退け、A医師が多量のサイレースを投与したうえ、ヒルナミンを併用投与したため、Xが呼吸停止等の状態に陥ったとして薬剤投与にその原因を認めた。
すなわちサイレースの能書の記載では、サイレース1アンプル中には、フルニトラゼパム2mgが含有されており、その用量は通常成人に対する全身麻酔の導入としては体重1kg当たり0.02ないし0.03mg、局所麻酔時の鎮静としては体重1kg当たり0.01ないし0.03mgとすること、一般的注意として麻酔中は気道に注意して呼吸・循環に対する観察を怠らないこと、重大な副作用として0.1ないし5%未満の頻度で無呼吸、呼吸抑制、舌根沈下が現れ、そのほかにも循環器の副作用として同じ割合で血圧低下、徐脈、頻脈等が現れるとされている。他方においてヒルナミンは、能書において、1アンプル中に塩酸レボメプロマジン27.77mg(レボメプロマジンに換算して25mg)を含有し、通常成人にはレボメプロマジンに換算して1回25mgを筋肉注射すること、ヒルナミンは中枢神経抑制剤の作用を延長し増強させるため、麻酔剤等の中枢神経抑制剤の強い影響下にある患者に対しては投与してはならないこと、ヒルナミンを中枢神経抑制剤と併用すると相互に作用を増強することがあるので減量するなど慎重に投与すること、重大な副作用として血圧の変動等の発現に引きつづき高熱が持続し、意識障害、呼吸困難等へ移行し死亡する例もあること、循環器の副作用として、血圧降下、頻脈等が見られることがあるので観察を十分に行い慎重に投与すべきであること及び過量投与により傾眠から昏眠までの中枢神経系の抑制、血圧降下等の症状が現れることが明らかにされている。
ところが、A医師はXに対し、サイレースを10mg(体重1kg当たり0.18mg)という能書記載の6倍にも相当するきわめて多量な投与を行っており、かつ、その間に併用されたヒルナミンの投与量も1回分としては相当量を上回っていることから、サイレースの薬効が増強され、呼吸停止等の重大な副作用をもたらす可能性があり、しかも併用投与後70分後の酸素飽和度が低下した例が報告されていることから、Xの呼吸停止等の状況に陥った原因はA医師が投与したサイレース及びヒルナミンであると認定した。
2. A医師の過失(予見可能性)について
判決は、A医師がXが呼吸停止等の状態に陥ることについて予見可能であったか否かについて、当時の医学文献では、サイレースの重大な副作用として、無呼吸、呼吸抑制及び舌根沈下が現れ、そのほかにも循環器の副作用として血圧低下や徐脈及び頻脈が現れること、ヒルナミンを中枢神経抑制剤と併用すると、相互に作用を増強することがあることなどが明らかであったことや、A医師がサイレースの能書の記載内容を知っており、臨床経験からサイレース投与の際に無呼吸、呼吸抑制及び舌根沈下、血圧低下、頻脈が生じることをしばしば経験している等から、A医師は本件のように多量のサイレースとヒルナミンを併用投与した場合には、併用投与後相当時間経過後においてもその副作用が発現することがあると当然予見できたと認定した。
3. 経過観察義務違反について
A医師の経過観察義務違反について、判決は「能書に定められた上限を遙かに超える大量のサイレースを、しかもその作用を増強される効果を有するヒルナミンと併用して(しかもその投与量は一回分の相当量を上回っていた)使用したのであるから、人の生命及び健康を管理すべき義務にある者として、最善の注意を払ってサイレース投与による副作用の発現を予見し、副作用が発現した場合には速やかに対処できる監視態勢をとるべき注意義務が存したと認められる」としたうえで、その監視態勢については、当時の医学文献においてモニタリング等の経過観察の有効性について報告されているとして、モニタリングによる経過観察の必要性を認定し、Y病院精神科にはテレメーター方式の心電図モニタが備えられており、Xが心電図モニタを装着していれば脈拍等の異変をいち早く発見できた蓋然性が高く、実際にも心電図モニタにより経過観察を行うことが可能で、かつ、その経過観察により本件発症のような事態を防ぐことが可能な状況にあったのだから、A医師はモニタリングによる経過観察、または少なくともこれとほぼ同程度の頻回の監視による経過観察を行うべきであり、これをしなかったA医師に対して経過観察義務違反を認めた。