Vol.019 手術手技の過誤を争点とする医療訴訟の実際

~鑑定結果に依存せず、具体的な事実・医学的知見についてきめ細かな主張を~

協力:「医療問題弁護団」松田 耕平弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

手術は患者の身体や生命に緊急の危険性が生じている場合に行われることが多く、その性質も身体への侵襲行為が中心であるため、これに関する医療事故が生じやすい領域であり、手術手技の過誤(以下「手技ミス」)を争点とする裁判例は多数あります。
手技ミスには、具体的な手術手技の過誤を過失と構成する場合(狭義の手技ミス)と、手術方法の選択の過誤(広義の手技ミス)を過失と構成する場合とがありますが、本稿では狭義の手技ミスを争点とした裁判例を扱うことにします。
現在、手術の模様をビデオ等の映像媒体に記録する例も増えつつありますが、多くはいまだに手術記録等に簡易に記載されるにとどまっていて、患者側にとっては手術中に具体的にいかなる手技が行われたかを可視的に把握することはきわめて困難な現状となっています。
そのため、手技をめぐる裁判は、他の医事紛争にくらべて過失の立証(手技ミス)が難しく、裁判上認定されることは難しいと言われています。では、実際にはどうなのでしょうか、以下、手技ミスが争われた裁判例をもとに検討します。

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事件概要

Aは、昭和52年ごろから右側顔面けいれんに罹患し、昭和54年6月ごろから某国立大学医学部附属病院麻酔科で顔面神経ブロック法の治療を受けていたが、その効果が持続しなくなり、症状も悪化してきたことから、昭和57年1月、同病院の脳神経外科において診察を受け、顔面けいれんの根治手術である脳神経減圧手術(以下「本件手術」)を受けた。
脳神経減圧手術は、脳幹からの起始部において脳動脈が顔面神経に接触してこれを圧迫することによって生ずる顔面けいれんを根治するために、脳動脈を神経から剥離して症状を消失させるという手術。耳の後ろから切開して硬膜に達し、硬膜内において小脳に脳ベラをかけるなどして手術部位の視野を確保し、顕微鏡下でその神経と動脈の接触部分を剥離する操作が行われる。
本件手術には6時間を要したが、Aには手術後まもなく血圧上昇、意識レベルの低下、呼吸状態の悪化がみられた。手術終了から約8時間後のCT撮影で小脳部に血腫ができ、ヘルニアが生じていることが確認され、Aは危篤状態となった。翌日未明、頭蓋内圧を減圧する手術が行われたが、その後、Aは一度も意識を回復することなく手術から2ヵ月後に死亡した。
Aの遺族らは、手術担当医及び国を相手として、本件手術中の手技上の過失及び説明義務違反を理由に不法行為にもとづき、約1億665万円の損害賠償の支払いを求めて提訴した。

判決

<第一審>(神戸地裁平成6年8月26日判決)
<第二審>(大阪高裁平成7年12月1日判決)

原告らの主張を棄却


原告らは、本件手術は長時間におよび、出血量も多かったが、その手術と時間的に近接して脳内血腫が発生したこと、血腫が生じた位置が手術部位と近接していること、本件手術の硬膜内操作に長時間を要しているうえ、出血が器具の操作中と解される時間内に記録されていることなどを指摘したうえ、(1)本件手術は、小脳橋角部の顔面神経の起始部を露出して行うが、起始部を小脳片葉が覆っているため、片葉に脳ベラをかけてこれを牽引して右部分を露出する必要があるところ、被告医師は脳ベラで小脳を強く圧迫する等の操作の誤りにより小脳に出血を生じさせた過失、(2)本件手術中に、前下小脳動脈を剥離する作業中に誤ってこれを損傷し、その結果として出血させ、その止血が不十分であったため、手術直後から出血を生じさせた過失、(3)本件手術特有の危険性についてAやその家族に説明を怠った義務違反がある、などを被告らの主な過失として主張した。
これに対し、一、二審は、ともに原告らの請求を棄却した。鑑定結果等をもとに、手術部位と血腫の位置がただちに近接しているとは言い難く、手術部位から出血したことを認めるに足りる証拠もなく、予期せぬ高血圧性の脳出血が血腫の原因になったと推測することも不自然でなく、血腫の位置から想定する限り、脳ベラ操作の誤りがあったことを認めるに足りる証拠はなく、手術器具による血管損傷があったと推認することも相当ではないとした。
これらの判決に対し、原告らは、脳ベラによる過剰牽引や器具による血管損傷により脳内血腫等が生じた高度の蓋然性が認められるのに、きわめて小さい蓋然性しか認められない手術直後の高血圧性脳内出血や動脈硬化による血管破綻がかなりの高確率で発生するかのような推論を行って因果関係を否定したのは、経験則違反である等を理由に上告した。


<最高裁>(平成11年3月23日第三小法廷判決。判例時報1677号P54、判例タイムス1003号P158掲載)

審理をさらに尽くす必要があるとして高等裁判所へ差し戻し


本件手術と血腫発生の時間的・場所的近接性や、Aは高血圧症ではないと以前から診断されており、偶然、本件手術中ないし直後に、しかも手術部位に近接した場所に高血圧性脳内出血等が発症する確率はわずかにすぎないこと、神経減圧手術中の操作によっては小脳内血腫が生ずる危険性が指摘されていることなどを総合すれば、本件の脳内出血等は、「本件手術中に何らかの操作上の誤りに起因するのではないかとの疑いを強く抱かせるものであると考えられる」とし、原審はこれらの疑わしい諸事実を前提にしながら、高血圧性脳内出血や動脈硬化による血管破綻が血腫の原因となっていると推測しても不自然ではなく、その可能性が否定できないなどとして、突発的な原因によることが具体的に立証されているわけでもなく、偶然手術中にこれらが起こる可能性などきわめて低いと言わざるをえないのに、この可能性が否定できないとしたのは血腫の原因の認定にあたって前記の諸事実の評価を誤ったものであると判示した。


<差し戻し審>(大阪高裁平成13年7月26日判決。判例タイムス1095号P206掲載)

「手術操作に過誤があったとは認められない」とし手技ミスの主張については、被告の過失を否定


最高裁判決が示していた再鑑定等が実施され、再鑑定等では双方の主張に沿う、相反する内容の専門家の意見が出された。
そして、本件手術操作と脳内血腫との間の因果関係の有無について詳細な検討を加え、相反する内容の鑑定等についてもその判断過程、他の証拠との整合性等を精査し、他原因による出血の可能性を排斥したうえで、Aの死因となった脳内血腫は本件手術中に後下小脳動脈を移動した際、あるいは脳ベラで小脳及び後下小脳動脈本幹を圧排した際に、壁在血管が遊離した可能性がもっとも高いと言えるが、硬化性病変を有する動脈を転位したり、ある程度圧迫したりすれば、壁在血管が遊離し、末梢動脈の塞栓症を生じる危険性は常に存在するのであるから、ただちに不正な操作がなされたと推定することはできないとし、本件手術における脳ベラの具体的操作内容は判定できないが、いずれにせよこれがAの心身状態に悪影響を与えたことは考えられないとして、被告らの過失を否定した。
しかし、原告らが別個の過失として主張していた、家族らの同意を得たうえで小脳半球切除術を実施すべき義務があったのにこれを怠った過失があるとして、その限度で損害賠償責任(1700万円)を認めた。

判例に学ぶ

冒頭でも触れましたが、手術は、密室性の高い医療の中でももっとも密室性が高く、記録が残っていないことも多いため、患者側が医師らの具体的な手技を証明することはきわめて困難です。そのような実情を考慮して、本件における最高裁判所判決は、手術中の手技一つひとつについて具体的に証明する必要はなく、「通常人をして、当該結果の発生が、手術中の何らかの操作上の誤りに起因するのではないかとの疑いに疑義を差し挟まない程度の高度の蓋然性」を証明すれば足りるとして、患者側と医療側との実質的な平等化を図ったものと言えます。
この「高度の蓋然性」を証明する際に考慮すべきポイントは、最高裁判決に従えば、(1)手術部位と病変部位との場所的近接性、(2)手術と症状発生との時間的接着性、(3)他原因による損害発生の可能性、(4)当該手技に当該結果を発生させる性質があるか否か、(5)当該手技に必要以上に時間がかかっているか等の諸要素です(その他では、執刀医の手術経験数、専門分野か否か等を考慮した裁判例もあります)。これらの事実が、カルテや手術記録、医学文献及び鑑定等によって詳細かつ緻密に認定されたうえで、手術手技上の過失の有無が判断されることになります。
最高裁判決は、一、二審がこれらの諸要素を考慮せずに、「可能性の低い事実にもとづいて判断しているのは経験則に反する」として、事実を再度判断させるために事件を高等裁判所に差し戻し、差し戻し後の高裁判決は、そのような観点から詳細な事実認定を行ったうえで、血腫が手術中の器具の操作上の誤りに起因する高度の蓋然性は認められないと判断しました。
一般に、患者やその家族は、「手術によって病気が良くなる」と思って手術を受けますが、手術の結果、思いもよらずに患者の病状が悪化した際、「こんなはずではなかった」という思いが生まれ、医事紛争に発展します。しかし、先に述べたように、手技をめぐる紛争は前記諸点が問題となることから、医療側が、手術自体の危険性に加え、これらの点について丁寧に説明し、患者や家族の納得を得れば紛争に発展する可能性は減少すると思われます(実際に、手技ミスを争点とする裁判の多くは説明義務違反も争点のひとつとなっています)。
なお、本件では、最高裁判決は、一、二審が判断の拠り所とした鑑定結果について、鑑定結果の体裁、形式等からその問題点を指摘し、カルテや手術記録等の記載を子細に検討したうえで、鑑定結果にただちに依拠することはできないと判断した点でも意義がある判決だと言えるでしょう。