Vol.020 患者側が証明しなくてはならない因果関係の程度

~医師が実施すべき診療行為を行っていれば、不作為と結果の間の因果関係は認められる~

-最高裁判所平成11年2月25日判決、第1小法廷判決平成8年(オ)第2043号損害賠償請求事件-
協力:「医療問題弁護団」元橋 一郎弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件概要

肝臓病の専門医である被上告人は、約2年8ヵ月にわたって、肝硬変で通院していた患者に対し、エコーや腫瘍マーカー検査(以下AFP検査)をまったくしなかった。その後、患者は急性腹症を起こしたため他の病院で診療を受けたところ、進行性肝ガンが発見され、入院10日後に死亡した。
本件患者の妻子である上告人らは、被上告人は当時の医療水準に応じ、本件患者について適切に検査を実施し早期に肝細胞ガンを発見してこれに対する治療を施すべき義務を負っていたのに、肝細胞ガンを発見するための検査をまったく行わず、その結果、本件患者は肝細胞ガンに対する適切な治療を受けられないで死亡するにいたったとして、損害賠償金の支払いを求めた。
一方、被告はいつの時点でどのようなガンを発見することができたのか、どのような治療で治癒または延命できたのか、いずれも不明であるとして過失と死亡の間に因果関係がないため損害賠償の義務はないと争った。

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診療の経過

本件患者(53歳・男性)は、他病院からアルコール性肝硬変との診断を受け、肝臓病の専門医である被上告人を継続的に受診するようになった。受診開始時、本件患者には肝細胞ガンの存在は認められなかった(裁判所は一般的知見として、本件患者は年齢や性別、肝硬変に罹患していることから、医師として肝細胞ガン発見のための注意を怠ってはならない高危険群の患者に属していたと認めている)。
昭和58年当時、肝細胞ガンを早期に発見するための検査方法としてはAFP検査と、腹部超音波検査が有効だと認められていた。AFP検査は肝細胞ガンの大きさと検査による測定値が必ずしも比例せず、特に細小肝ガンの場合には検査による測定値が顕著な上昇を示すことは必ずしも多くないため、定期的に反復継続して検査を行い、その経過を観察することが重要だと認識されていた。また、AFP検査の有効性には限界があるので、腹部超音波検査の併用が必要だとされていたが、同検査も完全ではないため、定期的に両検査を実施し、肝細胞ガンの発生が疑われる場合には、X線による身体断面の画像の解析検査(CT検査)などを行う必要があるとされていた。
このほか、昭和58年当時、超音波検査装置等により検出可能な腫瘍の最小の直径は、1.5cm、腫瘍の体積の倍加速度については、症例ごとに大幅な差があるとされており、最短のものとしてこれを12日とする調査結果もあった。さらにこの時期、肝細胞ガンに対する根治的治療法の第一選択は患部の外科的切除術であるとされ、他にTAE療法や、エタノール注入療法が知られていた。
以上を前提に、裁判所は次の具体的事実を認定している。
被上告人は、肝臓病の専門医としてこれらの事情を認識しており、さらに他の病院において本件患者にAFP検査や腹部超音波検査等を受けさせることは、それほど困難ではない状況にあった。
被上告人は、診療開始から合計771回にわたり、本件患者について診療行為を行ったが、肝細胞ガンの発生の有無を知るうえで有効とされていたAFP検査、エコー検査、CT検査については、診療終了直前にAFP検査を実施したのみであった。
本件患者は、被上告人の診療を受けてから2年8ヵ月後、腹部膨隆、右肋部痛等の症状を発し、翌日朝、被上告人の診察を受けたところ、筋肉痛と診断され鎮痛剤の注射を受けたが、さらに翌日、容態が悪化し、被上告人の紹介により、他の病院において診察を受けた。その結果、肝臓に発生した腫瘤が破裂して腹腔内出血を起こしていることが明らかとなり、さらに、前記急性腹症の原因は肝細胞ガンであるとの確定診断がされた。
本件患者について肝細胞ガンが発見された時点においては、すでにいずれの治療法も実施できない状況にあり、本件患者は他院入院の10日後、肝細胞ガン及び肝不全により死亡した。

第1審及び控訴審判決

医師の過失と本件患者の死亡の因果関係を否定


本件患者は、被上告人の診療を受け始めた当時、肝細胞ガンの発生する危険性が高い状態にあったのであるから、当時の開業医の医療水準として、被上告人は自らこれを行うか、または本件患者に対して他の医療機関で受診するよう指示するなどして、少なくとも6ヵ月に一度はAFP検査及び腹部超音波検査を実施し、その結果肝細胞ガンが発生したとの疑いが生じた場合には、さらにCT検査等を行って、早期にその確定診断を行うようにすべき注意義務を負っていた。それにもかかわらず、被上告人は、診療終了直前にAFP検査を一度実施した以外は、本件患者について肝細胞ガンの発生を想定した検査を一度も実施していないから、被上告人は注意義務に違反したというべきである。当時の検査装置の性能において検出可能とされる腫瘍の直径が最小1.5cmとされていたことや、本件患者について肝細胞ガンが発見された当時の腫瘍の状態、肝細胞ガンの成長速度に関する知見を考慮すると、被上告人が右注意義務を尽くしていれば、遅くとも診療開始後2年数ヵ月後までには、被上告人は本件患者につき肝細胞ガンを発見し得る高度の蓋然性があったと認められる。
仮に遅くとも診療開始後2年数ヵ月後までに本件患者について肝細胞ガンが発見されたとした場合、実際の発見時における肝細胞ガンの状況及び当時の本件患者の肝臓の機能が比較的保たれていたことなどからみて、外科的切除術も適切な治療法として実施可能であったと認められる。そして、外科的切除術による治癒または延命の効果は、腫瘍の直径に応じて大きく異なるが、仮に本件患者につきこれが2cm未満の状態で発見されていたとすると、治癒するか長期にわたる延命につながる可能性が高かった。
しかしながら、右のように本件患者について延命の可能性が認められるとしても、いつの時点でどのようなガンを発見することができたかという点などの本件の不確定要素に照らすと、どの程度の延命が期待できたかは確認できないから、被上告人の前記注意義務違反と本件患者の死亡との間に相当の因果関係を認めることはできない。

もっとも、本件患者は、被上告人の前記注意義務違反により、肝細胞ガンに対するある程度の延命が期待できる適切な治療を受ける機会を奪われ、延命の可能性を奪われたものであり、これにより精神的苦痛を受けたと認められる。本件の事情を総合考慮すると、本件患者の右精神的苦痛に対する慰謝料については、300万円をもって相当と認め、他に弁護士費用として60万円をもって相当と認めた。

最高裁判決

被上告人の注意義務違反を認める


これに対し、最高裁判決は、原審の判断には法令の解釈適用を誤った違法があり、さらに審理を尽くす必要があるとして、本件を原審に差し戻した。
原審は、被上告人が当時の医療水準に応じた注意義務に従って本件患者につき肝細胞ガンを早期に発見すべく適切な検査を行っていたならば、遅くとも死亡の約6ヵ月前の時点で外科的切除術の実施も可能な程度の肝細胞ガンを発見しえたと見られ、右治療法が実施されていたならば長期にわたる延命につながる可能性が高く、TAE療法が実施されていたとしてもやはり延命は可能であったと見られる旨判断しているところ、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解した、いわゆる「ルンバール事件」の判示に照らしても、本件患者の肝細胞ガンが死亡の約6ヵ月前の時点に発見されていたならば、以後当時の医療水準に応じた通常の診療行為を受けることにより、同人は実際の死亡時点でなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性が認められると解される。そうすると、肝細胞ガンに対する治療の有効性が認められないというのであればともかく、このような事情の存在しない本件においては、被上告人の前記注意義務違反と、本件患者の死亡との間には、因果関係が存在するものというべきだとした。

判例に学ぶ

実施すべき治療を実施していなかったという医師の不作為の場合、実施すべき診療行為を行っていたと仮定したうえでの経過を想定し、想定した結果と現実の結果とをくらべて差が認められるときに、不作為と結果の間の因果関係が認められます。本来の治療行為を行っていたと仮定することは一般論的なものとなりやすく、事案に即した結果を仮定することは容易ではありません。しかし、実施すべきことを実施しなかったと認めながら、何も実施していなかったがゆえに、事案に即した結果を仮定できないとして、患者側が敗訴することは不合理です。
そこで最高裁判所は、患者に死亡が生じた時点に着目し、適切な診療行為が行われていれば、患者の死亡時点が遅れていただろうことの高度の蓋然性が証明されれば、因果関係は肯定されるとしました。本件では、患者の肝機能が肝硬変にもかかわらず比較的保たれていたと認定されています。このため、判決からは明確ではありませんが、被上告人は本件患者の肝細胞ガン発生の可能性を軽視していたのかもしれません。しかし、判決では本件患者の肝細胞ガン発生の危険性や検査義務が認定され、その義務に違反した非上告人の責任が問われています。
長期間にわたり、多数回通院していた患者が突然急病で亡くなった場合、一般に遺族としては納得できません。本件のように、専門医にかかっていたにもかからず、十分な検査がなされないで、その医師の専門分野での病気で死亡した場合、特に遺族が納得できないのは当然と言えます。本件の結論は、遺族の素朴な感情にも合致するという意味でも妥当なものでありましょう。