Vol.023 MRSA院内感染と医師の責任

~MRSA感染は、菌の検出のみならず、他検査結果や全身状態で判断される~

協力:「医療問題弁護団」末吉 宜子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

1980年代中盤以降、抗菌薬が効かない細菌が登場し、社会に大きな衝撃を与えました。それがMRSAです。侵襲の大きな手術をしたあとであったり免疫疾患を持っているなど、抵抗力の弱い患者が罹患すると重篤な感染症を引き起こし、死亡にいたることもあります。
そのため、多くの病院でMRSA感染症に対する対策をとってはいるようですが、患者側からすると、手術自体は成功したのにMRSA感染によって様態が急変し死亡にいたった場合は納得がいかず、病院側に過失があったとして裁判に訴えるケ-スが多くあります。
そこで、MRSA感染によって医師の責任が争われた裁判ケ-スをもとに、どこが争点だったのかを検討してみたいと思います。

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事件内容

患者Aは平成3年2月、胸の痛みのために他病院を受診し、狭心症の疑いがあるとしてB病院の受診を勧められた。そのためAは、同年3月4日から6日までB病院に入院して検査を行ったところ、冠状動脈疾患、陳旧性心筋梗塞、左心室瘤などの診断を受け、冠状動脈バイパス手術及び左心室瘤除去手術を受けることとなった。
Aは同年5月28日、手術のためにB病院に入院し、6月12日、C医師の執刀により本件手術を受けた。それに先立つ6月8日から、Aは咳と喉の痛みを訴え、咽頭に軽度の発赤があった。同月10日、Aの喀痰検査を行ったところMRSAが検出され、ゲンタマイシン、ミノサイクリンに感受性があり、パンスポリン及びペントシリンには感受性が弱いと判明。その結果は本件手術後の6月13日午後13時ごろ、第一外科に報告された。
Aは13日午前9時の時点では38.7度の発熱があり、15日になっても37.7度から38.4度であり、16日からは38.5度以上となった。白血球は14日には1万2000を超えていた。
C医師らは、術後管理として、6月13日から同月15日までセフェム系の抗生物質であるパンスポリン及び合成ペニシリン系のペントシリンを、同月16日にはパンスポリン、セフェム系の抗生物質であるケフドール及びアミノ酸糖体系ゲンタシンを投与した。16日及び17日に行った培養検査で、喀痰及びスワンガンツカテーテルの先端部から事前の検査で検出されたMRSAと同種類のMRSAが検出された。
Aは同月18日午後0時30分、B病院において腎不全により死亡した。
Aの遺族らは、「術前にMRSAによる上気道炎に感染していたのであるから、除菌を完全に行ってから本件手術を行うべきであった」、また、「手術を行った場合には、術後のMRSA感染症の発現・憎悪を予見し、バンコマイシン等の処置をとるべきであった」、「Aの死はMRSA感染を原因として高熱を出し、それを原因とするショック状態で腎不全を引き起こして死亡した」と主張して、合計約3億円の損害賠償請求を行った。

第1審判決

(大阪地裁平成10年4月24日判決。判例タイムズ1027号234頁掲載)

担当医の過失を認める


一審判決は、(1)B病院では軽度でも感染症の所見があれば緊急等の場合を除いてMRSA感染の有無を確認し、感染が判明すればこれを治療したうえでないと本件手術のような侵襲の大きな手術を行わないとの原則が確立していた、(2)Aの病状は安定しており喀痰検査の結果を待てないほどの緊急性を要するものではなかったうえ、AにはMRSA感染症を疑うべき症状が発現していた、(3)C医師には喀痰検査の結果を確認して、MRSA感染が判明した場合にはこれを治療したうえ本件手術を実施し、かつ手術後はMRSA感染や憎悪を予見し、感受性を有する抗生剤の速やかな投与をなすべき注意義務があったのにこれを怠った過失がある、(4)その結果、Aは本件手術前に感染したMRSAから術後感染症を起こして敗血症となり、腎不全を直接の原因として死亡した、と判示し、総額約1億5000万円の損害賠償を命じた。

第2審判決

(大阪高裁平成13年8月30日判決。判例タイムズ1094号207頁掲載)

原判決を取り消し、原告の請求を棄却


二審判決は、以下のように判示し、損害賠償を命じた一審判決を取り消した。
(1)Aが本件手術前にMRSA感染症に罹患していたとは認めがたい。MRSAは常在菌であるから、喀痰から発見されたからといって保菌者であると言えても、それのみでただちにMRSA感染症に罹患していたとは言えない。Aが6月9日に上気道炎を発症していたとしても、発熱のほかは特に異常も認められず、その程度はきわめて軽微で本件手術当日には消失していた。しかも6月10日に採取された喀痰からMRSA菌以外の常在菌三種が同量検出されており、その喀痰はMRSA感染症による炎症のため生じた膿性のものではない、(2)6月16日までのAの状態は、重要臓器に障害の兆候や血行動態及び循環動態に異常が認められないことなどから、Aが本件手術後、MRSA感染症による敗血症を生じていたとは認めがたく、敗血症が原因で死亡したとは言えない、(3)6月17日にAが痙攣を起こし、脳症状を呈して急激に全身状態を悪化させているのは、脳梗塞もしくは心筋梗塞等の既往の障害が絡んだ突発性の原因と考える方が現実的である、(4)医師が喀痰検査の結果を待たずに本件手術を実施した点も、上気道炎がなければ咽頭培養によってMRSAのスクリーニング(術前検査)を行うことは保険で認められていないこと、保菌状態がわかっても明確な感染兆候がない場合には、手術を回避する必要はないこと、等から担当医師に過失はない、と判示して一審を取り消し、患者側の請求を棄却した。

判例に学ぶ

本事件は、一審と控訴審とでまったく異なる判断がなされました。その違いは、一審では「本件手術前にMRSAに感染していた、死亡直前の全身状態の悪化はMRSA感染症からくる敗血症によるものである」と認定したのですが、控訴審では「本件手術前にはMRSAには感染していなかった、本件手術後もMRSA感染症からくる敗血症を生じていたものではなかった」と認定したところにあります。
本件では、手術前に行った喀痰検査にMRSAが検出され、手術後に行われた喀痰検査でも同じMRSAが検出されたことから、一審ではMRSAに感染していたと認定したものと思われますが、控訴審では手術前の全身状態からすると、MRSAに感染していたと考える兆候はなく、単にMRSAの保菌者であったにすぎないと判断しました。敗血症を生じていたかどうかの認定についても、一審は死亡直前の全身状態の悪化が敗血症によるものと認定したのに対し、控訴審は重要臓器が障害されている兆候がなかったこと、全身状態は死亡の前日までは異常が認められなかったこと等から敗血症には罹患していなかったと認定しました。MRSAに感染していたかどうかは、菌が検出されたことだけでなく、ほかの検査結果や全身の状態から総合的に判断する必要があるということです。
もうひとつ、判断が分かれた背景として、一審判決では、B病院がMRSA感染症への対策の必要性を十分に認識していたことを重視したのではないかと思います。B病院では、手術前に軽度でも感染症の所見があれば、緊急の場合を除き、MRSA感染症の有無を確認してからでないと大きい手術は行わないとの原則が確立していました。しかし本件では、手術前に行った喀痰検査の結果が出る前に手術を行っており、亡くなった患者さんの遺族としては、原則どおり喀痰検査の結果が出てMRSAに感染していないことが判明してから手術が行われれば納得できたのかもしれません。
ところでMRSA感染をめぐる裁判例には、大きく分けて感染させたことの責任が争点となっているものと、感染後の治療責任が争点となっているものがあります。
判例の傾向としては、感染責任については相当な消毒体制をとっていることを前提としたうえで、MRSA感染の具体的な危険性を予見できたかどうかの観点から医師の責任の有無をとらえています。MRSAに感染したとの事実のみでは、医療機関の責任を認めるものではありません。しかし、感染経路が不明であっても感染の可能性のある経路について、それぞれの段階で相当な消毒体制をとっていたかどうか、感染の危険性を予見できたかどうか、ということを検討すべきである、と判示した判決もあります(東京高裁平成10年9月30日判決。判例タイムズ1042号210頁)。MRSAは感染すると治療・救命が困難であることから、医療機関としては感染可能性のある経路ごとに注意義務があるということでしょう。
また、MRSA感染後の治療責任については、入院中の重症仮死の新生児がMRSAに感染したケ-スで、患児の感染症の原因菌がMRSAである可能性が予見できた段階で、薬剤感受性検査に従って抗生物質を選択すべき注意義務があったとして、感受性のあったバンコマイシンを投与すべきであったのにこれをしなかった過失を認定したものがあります(山口地裁平成10年6月30日。判例タイムズ1015号212頁)。