Vol.024 精神科患者の自殺に対する医師の責任

~自殺の危険性の適切な判断と適切な処遇の必要性~

-東京高等裁判所平成13年7月19日判決、第16民事部判決、平成12年(ネ)第1657号、平成12年(ネ)第3272号損害賠償請求控訴・附帯控訴事件-
協力:「医療問題弁護団」小倉 京子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

太郎は、平成5年2月、頭痛と肩こりを訴えてA病院精神科に通院し始め、B医師の治療を受け始めたが、同年3月から睡眠障害を訴えるようになった。そのため、B医師はうつ病を疑った。同年8月、太郎がちょっとしたことでイライラしたり、自殺を試みたりするような行為をしたので、太郎の妻と母親が心配し、A病院まで赴いてB医師に相談するなどしたところ、B医師は太郎の症状はヒステリー性人格及びヒステリー症状であると診断。太郎は入院を希望したが、A病院には入院設備がなかったため、B医師はC病院宛てに、診断名を「ヒステリー」とする紹介状を書き、太郎はこの紹介状を持参してC病院に行きD医師の診察を受けたところ、D医師は「うつ病」と診断して入院治療を行うことにしたが、太郎はこれを拒否した。
同年9月11日、太郎の妻と妻の父親は、C病院を訪ねてD医師に会い、太郎が自殺しようとしたり自傷行為をしたりすることを話した後、C病院に太郎を連れて行きD医師の診察を受けさせ、太郎は同日C病院に入院した。D医師は、太郎が不穏な状態であったため、同日午後6時30分ころ保護室(隔離室)に収容した。太郎はその夜11時ころまで興奮して保護室のドアを叩くなどしていたが、午後11時45分ころ、着ていたTシャツを脱いで保護室ののぞき窓の格子にくくりつけ、これを首に巻きつけて首を吊って心肺停止状態になっているところを看護師に発見され、蘇生措置がとられたが午後11時50分に死亡が確認された。
太郎の妻子らは、B医師及びD医師には太郎の自殺を防止する措置をとるという診療契約上の債務不履行があったとして、A病院及びC病院の経営者に対し損害の賠償を求めた。

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判決

医療側の診療上の債務不履行を認める

-B医師の過失-
・確定診断が難しい場合、可能性がある疾病の最悪の状態を考慮に入れて対応すべし

本件では、太郎の症状を「うつ病」と診断すべきであったかどうかについて結論の異なる複数の鑑定意見書が裁判所に提出された。これに対し、裁判所は複数の疾病のいずれかであるかについて確定的な診断が難しい場合、医師としては、そのときどきの症状についてできるだけ正確に情報を集め、そのときどきの症状にもっとも適した治療、投薬処方、そのほかの方法で対処すべき義務を診療契約上の債務として負っており、疾病診断が難しい症例であればあるほど複眼的診断を行い、そこから考えられるさまざまな疾病において最悪の事態をも考慮に入れたうえで、治療上の対処をすべきであるとし、太郎にはうつ病の可能性があったのだから、B医師は自殺の可能性を念頭に置いて対処すべきであったとした。

・適切な治療をしていれば自殺をしていない可能性があれば、不適切な治療と自殺との間に因果関係がなくても可能性を侵害したことにつき慰謝料請求権が認められる

裁判所は、「6~7月ころから太郎には自殺のまねごとをしようとするという変化が見られ、8月初旬以降、疲労の蓄積などによって太郎の精神状態が悪化し、錯乱状態の発生、入院治療の希望表明の変化があったのであるから、太郎をうつ病と診断する余地があったにもかかわらず、B医師が太郎本人に対する直接の診察をせずにヒステリー性格及びヒステリー症状と診断をしたことは適切な診断方法とは言えず、誤診の余地があり、そのために疾病の具体的状況に応じた適切な治療を受ける機会を失わせた可能性がある。これではB医師は太郎に対する診療契約上の義務を誠実に尽くしたとは言えないから債務不履行にあたる」と判断。そして、B医師が適切な治療方法等をとっていれば、太郎は自殺していなかった可能性があり、この可能性の利益を侵害したことについて、A病院の経営者に対し、合計600万円の慰謝料と弁護士費用60万円の支払いを命じた。
ただし、 太郎がC病院に入院した後は、太郎の治療と安全保護はC病院が負うのであり、B医師の債務不履行と太郎の自殺との間に因果関係は認められないとして、太郎の自殺による逸失利益や慰謝料等の支払い義務はないとした。


-C医師の過失-
・自殺の可能性を予見せよ

うつ病患者の自殺率は一般人口の自殺率の約36倍ないし56倍、重症うつ病患者の自殺率は一般人口にくらべて70倍から500倍との報告例があること、D医師は8月6日にうつ病だと診断しており、9月11日の太郎の入院に先立って妻や妻の父親から太郎が自殺するような言動をしたり、自傷行為をしたりしたことを聞いていたこと、太郎が入院に際してD医師に「入院して必ず病気を治す」とか「とにかく助けてください。死ぬつもりはないんです」などと言って懇願したりしたことに照らして、太郎の入院時D医師は太郎の自殺について予見可能な事情を認識していたとされた。
また、うつ病であると仮診断した患者について、十分な問診、そのほかの診察をせずに自殺の危険性がないと簡単に判断してはならないとした。

・自殺防止の義務

D医師は、保護室収容時に看護師に精神神経安定剤(セレネース、アキネトン、レポトミン)の注射を指示し、午後9時30分ころ興奮状態が鎮静しない太郎に対し催眠鎮静剤イソミタールの筋肉注射を行わせた。午後11時15分ころ巡回した看護師は、太郎がようやく静かになって布団の上に座っているのを目視したが、その後11時45分に太郎が自殺しているのを発見するまで巡回しなかった。
裁判所は、D医師は太郎の自殺が予見できた以上、自殺を防止して太郎の安全を図る義務があり、これは投薬処方だけに留まるものではなく、自殺衝動を抑制するにいたる身体抑圧の措置をとるか、監視の度合いを強化することによって太郎の自殺を防止する義務があったところ、D医師も看護師らも太郎の身体的抑圧の措置をとっておらず、午後11時15分から30分間巡回をせず、その間、太郎の顔の表情等の観察による意識の動勢の探知を怠ったことは診療契約上の債務不履行にあたるとして、C病院の経営者に対し、これにより生じた損害として合計6691万7469円(後述の3割減額後の金額)の支払いを命じた。

・患者の寄与度ないし過失相殺による減額

本判決は、D医師が十分な問診や診察ができなかったのは、太郎が入院時に酩酊して興奮状態にあったことや、太郎の妻らの入院要請が緊急なものであったこと、太郎にはうつ病の典型的症状が明確に顕れておらず確定診断が困難であったことなど、太郎自身の落ち度、素因、太郎の妻の事情を斟酌し、損害の3割を減額した。

判例に学ぶ

入院中の精神科患者の自殺については多くの判例があります。本判決とそれらの判例からは、医療側の義務として次を読み取ることができます。

・自殺の危険性の適切な判断

医師は十分な問診、診察を行い、患者の症状や言動を観察するなどして、できるだけ症状についての正確な情報を集める必要があります。そして、家族から聴き取った情報等も考慮して、そのときどきの症状に応じた適切な診断を行わなければなりません。確定診断が困難な場合は、可能性のある疾病の最悪の状態を考慮し、自殺の危険性についてできるだけ正確な診断を行うことが必要です。

・危険の程度に応じた適切な処遇

自殺の危険性が高いと診断される場合は自殺防止のため、保護室への隔離や投薬以外にも患者の身辺に自殺の道具として使用できるような物を置かないように注意深く点検したり、抑制帯を使用する場合は容易に解けないように装着したり、厳重に監視したり、頻繁に巡回するなどの自殺防止策をとるべきです。自殺の道具として使用できる物を患者の身辺に置いたため患者がこれを利用して自殺を図ったり、医療側が十分な監視や巡回を怠ったすきに自殺を図った場合には、医療側に過失ありとされる可能性は大きいと言えるでしょう。
では、もし患者に自殺の危険性があってもそれが低く、治療上、開放的な処遇が適切だと判断して、開放病棟に入院中または外出許可を得て外出中に、患者が自殺してしまった場合はどのような責任が問われるのでしょうか。治療の点からは、自殺の可能性が低いのに保護室や閉鎖病棟に収容して厳重な監視下に置くよりも、開放病棟で行動を観察しながら薬物療法及び精神療法をつづけることに合理性が認められることもあるでしょう。自殺の危険性が低いとした判断に誤りがなく、かつ治療の点から開放病棟において処遇したり、近所まで短時間の外出を許可したりすることに合理性があると認められる場合は、過失はないものとして判断される可能性が高いと言えます。