医療側の診療上の債務不履行を認める
-B医師の過失-
・確定診断が難しい場合、可能性がある疾病の最悪の状態を考慮に入れて対応すべし
本件では、太郎の症状を「うつ病」と診断すべきであったかどうかについて結論の異なる複数の鑑定意見書が裁判所に提出された。これに対し、裁判所は複数の疾病のいずれかであるかについて確定的な診断が難しい場合、医師としては、そのときどきの症状についてできるだけ正確に情報を集め、そのときどきの症状にもっとも適した治療、投薬処方、そのほかの方法で対処すべき義務を診療契約上の債務として負っており、疾病診断が難しい症例であればあるほど複眼的診断を行い、そこから考えられるさまざまな疾病において最悪の事態をも考慮に入れたうえで、治療上の対処をすべきであるとし、太郎にはうつ病の可能性があったのだから、B医師は自殺の可能性を念頭に置いて対処すべきであったとした。
・適切な治療をしていれば自殺をしていない可能性があれば、不適切な治療と自殺との間に因果関係がなくても可能性を侵害したことにつき慰謝料請求権が認められる
裁判所は、「6~7月ころから太郎には自殺のまねごとをしようとするという変化が見られ、8月初旬以降、疲労の蓄積などによって太郎の精神状態が悪化し、錯乱状態の発生、入院治療の希望表明の変化があったのであるから、太郎をうつ病と診断する余地があったにもかかわらず、B医師が太郎本人に対する直接の診察をせずにヒステリー性格及びヒステリー症状と診断をしたことは適切な診断方法とは言えず、誤診の余地があり、そのために疾病の具体的状況に応じた適切な治療を受ける機会を失わせた可能性がある。これではB医師は太郎に対する診療契約上の義務を誠実に尽くしたとは言えないから債務不履行にあたる」と判断。そして、B医師が適切な治療方法等をとっていれば、太郎は自殺していなかった可能性があり、この可能性の利益を侵害したことについて、A病院の経営者に対し、合計600万円の慰謝料と弁護士費用60万円の支払いを命じた。
ただし、 太郎がC病院に入院した後は、太郎の治療と安全保護はC病院が負うのであり、B医師の債務不履行と太郎の自殺との間に因果関係は認められないとして、太郎の自殺による逸失利益や慰謝料等の支払い義務はないとした。
-C医師の過失-
・自殺の可能性を予見せよ
うつ病患者の自殺率は一般人口の自殺率の約36倍ないし56倍、重症うつ病患者の自殺率は一般人口にくらべて70倍から500倍との報告例があること、D医師は8月6日にうつ病だと診断しており、9月11日の太郎の入院に先立って妻や妻の父親から太郎が自殺するような言動をしたり、自傷行為をしたりしたことを聞いていたこと、太郎が入院に際してD医師に「入院して必ず病気を治す」とか「とにかく助けてください。死ぬつもりはないんです」などと言って懇願したりしたことに照らして、太郎の入院時D医師は太郎の自殺について予見可能な事情を認識していたとされた。
また、うつ病であると仮診断した患者について、十分な問診、そのほかの診察をせずに自殺の危険性がないと簡単に判断してはならないとした。
・自殺防止の義務
D医師は、保護室収容時に看護師に精神神経安定剤(セレネース、アキネトン、レポトミン)の注射を指示し、午後9時30分ころ興奮状態が鎮静しない太郎に対し催眠鎮静剤イソミタールの筋肉注射を行わせた。午後11時15分ころ巡回した看護師は、太郎がようやく静かになって布団の上に座っているのを目視したが、その後11時45分に太郎が自殺しているのを発見するまで巡回しなかった。
裁判所は、D医師は太郎の自殺が予見できた以上、自殺を防止して太郎の安全を図る義務があり、これは投薬処方だけに留まるものではなく、自殺衝動を抑制するにいたる身体抑圧の措置をとるか、監視の度合いを強化することによって太郎の自殺を防止する義務があったところ、D医師も看護師らも太郎の身体的抑圧の措置をとっておらず、午後11時15分から30分間巡回をせず、その間、太郎の顔の表情等の観察による意識の動勢の探知を怠ったことは診療契約上の債務不履行にあたるとして、C病院の経営者に対し、これにより生じた損害として合計6691万7469円(後述の3割減額後の金額)の支払いを命じた。
・患者の寄与度ないし過失相殺による減額
本判決は、D医師が十分な問診や診察ができなかったのは、太郎が入院時に酩酊して興奮状態にあったことや、太郎の妻らの入院要請が緊急なものであったこと、太郎にはうつ病の典型的症状が明確に顕れておらず確定診断が困難であったことなど、太郎自身の落ち度、素因、太郎の妻の事情を斟酌し、損害の3割を減額した。