Vol.026 必要とされる呼吸管理の範囲と医師の義務

~患者の呼吸不全の状況を的確に把握し、適切な対応を~

-平成13年(ワ)第9113号損害賠償請求事件、平成15年5月26日判決-
協力:「医療問題弁護団」後藤 真紀子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

Aは、平成9年5月はじめころから咳や痰が出始め、同月6日ころから微熱や食欲不振が認められるようになったため、個人病院で点滴治療を受けていた。次第に経口摂取ができなくなり、黄色粘稠痰の喀出も増加してきて症状が改善しなかったため、同月12日、B病院(大学病院)呼吸器外来を受診した。診察の結果、Aは肺炎と診断され、緊急入院することになり、C医師が主治医となった。
その後、B病院においては、Aに対して動脈血ガス分析検査を行い、その検査結果等にもとづいて100%酸素マスクにより酸素投与を行うなどしたが、Aは同月16日に呼吸停止・心停止状態に陥り、以後、Aはいわゆる植物状態となった。
Aの脳には高度の意識障害が残っており、運動機能については両上肢機能障害、体幹機能障害が認められ、寝たきりの状態であり、これらの症状は将来にわたって回復の見込みがないとされた。そこでAとその両親は、C医師が遅くとも平成9年5月15日までには、Aに対して機械的人工呼吸を行うべきであったのにこれを怠ったという呼吸管理上の過失があり、これによりAが無言無動状態に陥ったなどと主張して、B病院を開設する法人に対して損害賠償請求訴訟を提起するとともに、Aにおいて継続的診療契約にもとづき、適切な治療を受けつづける権利があることの確認を求める訴えを提起した。
なお本件では、(1)呼吸管理上の過失の有無、(2)呼吸管理上の過失とAの損害との間の因果関係の有無、(3)被告病院を開設する法人の継続的治療義務の有無が問題となった。

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判決

東京地裁 平成15年5月26日判決

(1) C医師の呼吸管理上の過失を認める

裁判所は、(1)の点につき、人工呼吸の開始基準は文献上、さまざまな見解があり、統一的基準が存在するものではないため、当該患者の原疾患や臨床所見、経過等を考慮したうえで総合的に判断すべきとした。
そしてAの臨床経過については、Aの動脈血炭酸ガス分圧(PACO2)は、5月14日の時点ですでに54.2mmHgと正常値を上回っていたうえ、5月15日午前中には61.3mmHgとさらに上昇し、同日午後4時の時点においても60.0mmHgと依然として高値を示していたのであって、Aは肺胞低換気を基礎として呼吸不全に陥っていたものと認められる。しかも、動脈血炭酸ガス分圧が高値である場合、呼吸回数は頻回となるはずであるにもかかわらず、Aはむしろ呼吸回数が減少しており、このことは呼吸筋の疲労蓄積により呼吸運動能力(換気能力)が低下したためであると認定した。
このように、Aは肺胞低換気の状態がつづいていたうえ、呼吸筋の疲労も蓄積している状態だったのであり、このような状態が継続していけば、動脈血炭酸ガス分圧がますます上昇し、呼吸運動や呼吸中枢を抑制し、ひいては呼吸停止にいたることが十分に予測できる状態であった。そして、肺胞低換気を改善するには人工呼吸が必要であり、人工呼吸を行わずに酸素投与のみをつづけると、最終的には呼吸停止にいたることが予測された。
裁判所は、これらを前提として、C医師は担当医師としてAが肺胞低換気の進行や呼吸筋の疲労による呼吸停止にいたった場合にはただちにこれを発見し、かつただちに呼吸回復の措置がとれるような体制をとらない限りは、遅くとも5月15日中には、人工呼吸をすべきであったと判断した。
C医師は、前記義務があるにもかかわらず、5月15日には、他病院で勤務してAの診察をせず、代診の医師から動脈血炭酸ガス分圧の結果等を聞き、経過観察の指示をしたのみで、急な呼吸停止に備えた体制をとることも、人工呼吸器を装着することも指示しなかった。その結果、Aにおいては、5月16日8時37分にはすでに心電図が呼吸停止・心停止に近い状態にあることを示し、午前8時42分、呼吸停止・心停止状態になった。
したがって、C医師には、Aに対して機械的人工呼吸を行うべきであったのにこれを怠ったという呼吸管理上の過失があったと判断された。

(2) (1)とAの損害との因果関係を認める

裁判所は、C医師の前記過失の結果、Aにおいては、5月16日8時37分には心電図が呼吸停止・心停止に近い状態にあることを示し、8時42分、呼吸停止・心停止状態になった。よって、少なくとも同日8時37分から気管内挿管が行われた同日8時44分ころまでの間は、Aの脳には十分な血流が確保されていなかったものと認められ、その後、鼠経動脈で脈拍を触知できる状態となった同日8時50分までの間は、Aの脳には十分な血流が確保されていなかった可能性が高く、その結果、低酸素脳症に陥り、無言無動となったものとして因果関係を認めた。
なお、被告はAの呼吸停止は、ADEMの発症によるものであるため、因果関係は認められないと主張したが、証拠上、ADEMの発症は認められず、仮にADEMが発症していたとしても、同月15日に患者に対して機械的人工呼吸が行われていれば、患者が呼吸停止に陥ることはなかったし、また、仮に機械的人工呼吸を行う代わりに、患者が呼吸停止にいたった場合にはただちにこれを発見し、かつ、ただちに呼吸回復のための措置がとれるような体制がとられていたら、患者に低酸素脳症が発生する前に呼吸回復が可能であったと考えられるのであるから、ADEMの発症は、担当医師の過失と患者の現在の状態との間の相当因果関係を否定する根拠とはならないと判断した。
そして、前記(1)の過失と相当因果関係のある損害として、治療費・入院費、過去及び将来の付添介護費、Aの逸失利益、慰謝料、両親の慰謝料を認め、合計1億6465万9931円の損害額を認定した。

(3) 被告病院の継続的治療の義務は認められない

将来の治療内容は、現時点では不明であると言わざるをえず、Aの権利内容が具体性を欠くこと、法律上、医師は診察治療の求めがあったときには、正当な事由がなければこれを拒んではならないものとされており、医師等は医療を受ける者に対し、良質かつ適切な医療を行うよう努めなければならないものとされていることから、さらに抽象的に将来適切な治療を受ける権利の確認をする必要性は認められないとして、確認の訴えを却下した。

判例に学ぶ

本判決からは、医療側の義務として以下のことを読み取ることができます。
肺炎と診断されて入院した患者に対して、医師は通常呼吸管理を行っていると思いますが、本件ではその呼吸管理の義務について、どの範囲から義務違反となるかということにつき述べられています。
特に、人工呼吸の開始基準について文献上はさまざまな見解があり、統一的な基準がないとしながらも、本件ではAの具体的症状から人工呼吸の開始時期を認定しており、ひとつの参考となると思われます。
具体的には、動脈血炭酸ガス分圧の推移及び呼吸回数について細かく検討しています。動脈血炭酸ガス分圧が高値である場合、通常呼吸回数が増えるべきところ呼吸回数が減少していることについて、呼吸筋の疲労蓄積、体力低下等により呼吸運動能力が低下したためであり、肺胞低換気となっているために換気の是正をすべき義務があるとしているのです。
これに対し、Aは若年者であるから体力低下や呼吸筋の疲労が急性呼吸不全を引き起こしたとは言い難い旨の反論がありましたが、裁判所はAの体格(特に体重の推移)、経口摂取の状況、発熱の状況を検討し、急性呼吸不全の可能性が十分にある旨認定しています。患者が若年者であるからといって、安易に呼吸運動能力の低下はないと診断しないで適切に状態を把握することが必要でしょう。
また、本件では、Aは自発呼吸が保たれている状況であり、筋弛緩薬で自発呼吸を止めたうえで人工呼吸器を装着しなければならないため、人工呼吸の必要性がないのではないか、また人工呼吸器による副作用が大きいのではないかという反論もありましたが、裁判所は、患者の自発呼吸を温存しながら人工呼吸器によって補助換気をすることは十分可能であるし、人工呼吸器による肺損傷等の副作用の可能性についても、頻繁に起こる副作用ではないことから、呼吸不全の患者をそのまま放置した場合の危険性とくらべればはるかに小さく、人工呼吸器を装着する必要性を否定する事情とはならないとしています。やはり、患者の呼吸不全の状況を的確に把握し、呼吸不全の状態が起こっていれば、積極的に人工呼吸器の装着を行うことが必要です。
そのためにも、動脈血炭酸ガス分圧の値が高値であれば医師としては、診察に戻って呼吸回数やそのほかの患者の状況を直接見たうえで、人工呼吸器の必要性を判断して適切な呼吸管理を行っていく必要があります。
仮に、別の病院において急患がいるなどの緊急の場合で、診察に戻れないというような場合であっても、代診の医師から聞き取った内容をもとに適切に指示し、呼吸不全を起こさないような体制をとらなければなりません。本件でも、C医師が直接呼吸管理を行わないまでも、代診の医師に指示をして、適切な処置が行われていたとすれば、C医師の過失はないものとして判断された可能性もあります。
なお、本件は事故が起きた病院で、Aの両親が同病院で継続的な治療を求めている事案であり、やや珍しい事案だと言えます。判決では、将来の権利を確認する必要性が認められず、請求は却下されていますが、その理由として、医師法の規定を引用しているところに注意をする必要があります。医師は、正当な事由がない限り、治療拒否をしてはならないのであり、治療の際には良質かつ適切な医療を行わなければならないという規定であり、この規定がある以上、本件においても、判決では却下となったからといって、病院は今後治療しなくて良いということにはならないのです。事故後の病院の誠実な対応が求められるところです。