麻酔を施行する際に、患者の直前の全身状態を把握することの重要性

~患者の状態に合わせて柔軟かつ慎重に~

-平成6年(ワ)第795号損害賠償請求事件、札幌地裁平成14年6月14日判決-
協力:「医療問題弁護団」高橋 真司弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

X(当時48歳・男性)は、平成3年11月25日にY病院内科を受診したところ結膜黄疸及び皮膚黄染が認められたために、同日Y病院に入院。同年2月7日に胆石症(ミリッツィ症候群)と診断され、手術目的で外科に転科した。
同年3月14日、A医師が麻酔を担当して、脊髄硬膜外麻酔と全身麻酔の併用下(2%キシロカイン12ミリリットル、イソゾール14ミリリットル)で、Xは胆のう摘出術及び総胆管切開・Tチューブドレナージ術の手術(第1手術)を受けた。
同月29日、Xに腹痛、嘔吐感の症状が出現し、腹部レントゲン検査で小腸内ガス像及びニボー像が確認された。30日以降も、Xには腹痛、吐気、嘔吐等の症状が見られ、4月1日、Y病院医師はXをイレウスと診断した。同月2日以降も大量の嘔吐等の症状がつづき、同月4日にはさらに症状が悪化し、腸の通過障害が改善されず、Xは自制できない腹痛等を訴えるにいたり、同日、A医師が麻酔を担当し、イレウスの手術を行うこととなった(第2手術)。
第1手術と同様の麻酔法を選択し、A医師が麻酔薬(2%キシロカイン10ミリリットル、その約3分後にイソゾール10ミリリットル)を注入したところ、その約10分後に血圧が測定不能となり、さらにその約9分後に心停止が確認された。その後、心拍が再開したものの、心停止による脳虚血によって大脳皮質障害をきたし、Xは現在まで植物状態に陥ったままとなっている。
なお、Xは、第2手術の翌日である5日に他病院に搬送され、イレウス手術を受けている。
Xの妻子らは、(1)第2手術を遅延させた過失、(2)第2手術までの全身状態管理を怠った過失、(3)麻酔医においてXの全身状態を十分に把握すべきであるのにこれを怠った、また、十分な輸液を行うなどの方法によって全身状態を改善したうえで硬膜外麻酔を施行するか、硬膜外麻酔を避けて全身麻酔のみにより麻酔を施行すべきだった、さらに、患者の全身状態を観察したうえで追加量を決定するなど慎重な方法をとるべきであるのに急速に麻酔薬を注入したという麻酔施行上の過失の存在を主張した。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

判決

(1)、(2)の過失を否定
(3)の過失を認める


Y病院は、(3)に関して「A医師は、第2手術前、口唇の乾き等の脱水を示す症状がなかったため、担当医は著明な脱水症状はないと判断した。A医師は主治医から血液検査における白血球数及び電解質の数値に異常がないことなど、これまでの経緯について説明を受け、さらに自らXの腹部の状態、顔色、痛みの有無等について確認をし、著明な脱水状態が認められないことを確認している。血圧の低下に対しては血管収縮薬で対応できるし、A医師も第1手術より麻酔薬の量も減らし慎重に麻酔を施行したもので当時の医学水準に準拠した適切なものである」などと主張した。
これに対し、裁判所は「第2手術前日と心停止後の第2手術日の血液検査における数値やイレウスの悪化、第2手術後のXの状態などから、本件麻酔施行時には前日の血液検査時より格段に脱水の程度が進行していたと推認するのが相当であり、第2手術時に血液生化学検査を行っていればXが相当程度の脱水状態にあることを認識することができたと推認することができる。
Y病院の医師には、本件麻酔施行に先立ち硬膜外麻酔を施行する上で禁忌であるとされる高度の脱水状態に陥っていないかどうか等、Xの脱水状態の程度を確認するために、Xに血液生化学検査を行うほか、Xの全身状態を改めて慎重に診察し、とりわけXがどの程度の脱水状態に陥っているかを十分に検査し診察すべき注意義務があるが、Y病院の医師は、生化学検査等をして改めて診察しなかったため、Xが相当な程度の脱水状態に陥っていたことを看過した過失がある。
A医師は、Xの第2手術日までの症状を詳細に把握していなかったが、この点は、A医師の過失あるいは主治医がA医師に情報を伝達することを怠った過失によるものというべきである。
また、Xに対して本件麻酔を施行するに当たり、最初にキシロカイン2ないし3ミリリットルを試験量として注入し、その後3ないし4分待ち、Xの状態に異常が認められないことを確認した上で、必要量のキシロカインをXの状態をみながら緩徐かつ慎重に注入し、その後5ないし10分程度待ち、麻酔の効果及び範囲を確認し、Xの状態に異常が認められないことを確認した後に、必要量のイソゾールをXの状態をみながら緩徐かつ慎重に注入すべき注意義務があるにも関わらず、A医師はこれを怠り、麻酔薬を急速に注入した過失がある」と判断した。
また、因果関係についても、Y病院の担当医師に、Xが相当な程度の脱水状態にあることを看過し、ともに脱水状態にある患者の血圧を著明に低下させる危険のある麻酔薬をいずれも急速に注入したという過失があり、そのわずか約10分後にXの血圧が測定不能になり、さらにそのわずか約9分後にXの心停止が確認され、心停止による脳虚血を原因とする大脳皮質障害にいたったもので、脱水状態の患者に対して血圧を低下させる作用のある麻酔剤を急速に注入した場合に予想される典型的な転帰をたどったということができるのであるから、他に特段の事情の認められない限り、その過失と結果の発生との間には相当因果関係があると推認するのが相当であるとして、因果関係を認めている。
そして、損害賠償としてXの損害1億802万2750円、Xの妻の損害300万円、Xの子の損害200万円を認めた。

判例に学ぶ

本事例からまず言えることは、麻酔施行の前提として、麻酔を施行する直前の患者の全身状態の把握の重要性です。特に、麻酔の投与により、ショック状態等重篤な危険が生じる可能性がある場合には、積極的にその可能性を排除すべく患者の全身状態の確認作業を怠ってはいけないということです。
本事例では、麻酔医は、主治医から前日の血液検査の結果や、それまでの治療経過等の説明を受け、口唇等を確認したと主張していますが、それだけでは全身状態の把握は、不十分だったとされています。
仮に、手術前日の血液検査等から、麻酔に対して禁忌とされる全身状態にないと判断される場合であっても、その後、症状が進行するなど、手術施行時までに全身状態に変化が生じている可能性があり、麻酔に対して禁忌とされている全身状態の可能性がある場合には、血液生化学検査等を実施し、禁忌とされている全身状態にないことを確認すべきと言えます。
また、判決中で、裁判所は、主治医が十分な情報伝達をしなかったことが主治医の過失と考えられる点についても言及しています。
すなわち、麻酔医の側から情報を取得して患者の全身状態の把握に努めるだけでなく、主治医の側から積極的に麻酔医に対し、診療に関する詳細な情報を提供して、患者の異常や異常の可能性について麻酔医が認識できるようにすべきと言うことができます。患者ごとに全身状態は当然異なりますが、その全身状態の把握を怠ったと評価されると、事故の結果に対して責任を課される場合があるのです。
さらに、本判決では、麻酔の施行法についても具体的に言及されています。判決の中に記述されているとおり、まず試験量を注入し、患者に異常のないことを確認し、必要量を患者の状態を見ながら緩徐かつ慎重に注入し、その後併用する麻酔薬をさらに注入する場合にも、麻酔の効果及び範囲を確認した後に必要量を患者の状態を見ながら緩徐かつ慎重に注入すべき注意義務があるとされました。その中で、試験量や異常を確認するまでの待つ時間についても、具体的に示されています。麻酔薬の注入に関しては注入後、一定の時間を待って、患者に異常がないことや麻酔の効果などを確認しながら、患者の状態を見て、慎重に投与すべきということです。
また、本事例では因果関係が認められていることも参考になります。
すなわち、心停止等が生じた原因については、患者の身体におけるさまざまな状態が重なっているとも考えられますので、科学的に何が原因かということを究明することは不可能に近いことかと思われますが、ある行為により予想される典型的な転帰をたどり、行為とその結果発生とが時間的に接近している場合には、本事例のように相当因果関係があるものと推認され、特段の事情がない限り、法律上は因果関係があるものとして生じた結果の責任を負担させられうるということです。
基本的なことだと思いますが、各患者の全身状態の把握の重要性、各科の担当医同士の連絡や情報提供の重要性、危険性のともなう行為について患者の状態を確認しながら柔軟かつ慎重に診療を行うべきということをあらためて認識させられると思います。