Vol.039 先天性障害児の出生と相当因果関係のある損害の範囲

~遺伝的疾患がある子どもを持つ両親に対する説明の在り方(2)~

-東京高等裁判所平成15年(ネ)第2910号、損害賠償控訴事件、平成17年1月27日判決-
協力:「医療問題弁護団」武藤 暁弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

今回の判例は、本誌2004年6月号において『遺伝的疾患がある子どもを持つ両親に対する説明の在り方』(東京地方裁判所、平成15年4月25日判決)として掲載された事案に関し、その後なされた高裁~最高裁判決について解説するものである。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

事案の概要

Xらの長男Aは、平成5年6月からYセンターに通院し、*ペリツェウス・メルツバッヘル病(以下、PM病)についての専門的知識を有する小児科のB医師の診察・検査を受けていた。同年7月、B医師はXらに対し、AはPM病の可能性が高いと説明した。
平成6年11月、XらはB医師に対し、次の子どもをつくりたいが大丈夫かと質問したところ、B医師は、「経験上、兄弟で同一の症状のあるケースはない。かなり高い確率で大丈夫。兄弟に出ることはまずない」と回答した。
平成7年6月、B医師は、AについてPM病と確定診断した。
平成8年7月、Xらに誕生した次男は健常児であったが、平成11年10月に誕生した三男はPM病と診断された。
そこでXらは、Yセンターに対し、精神的苦痛に対する慰謝料と三男の介護費用、家屋改造費などについて1億6500万円の損害賠償を求めた。
一審判決では、平成6年11月当時のPM病の医学的知見について、「もっとも大きな原因は伴性劣性遺伝とされ、PLP遺伝子の異常が見つかる症例が約20%存在し、PLP遺伝子の重複が関係している症例もあるらしいことはわかっていた。Xらの第二子以降の子が男子であれば、PM病を発生する危険が相当程度あった」とした。そのうえで、「Xらは患者ではなく診療報酬もとっていないので契約上の説明義務はないが、Yセンターが心身障害児等に関する相談を事業内容のひとつとしており、現に両親からの出生相談も患児の診察の際に対応していたこと、すでに障害を持った長男の介護・養育について重い負担を抱えている両親にとって切実かつ重大な関心事であったこと、Aの診療行為と密接に関連する質問だったことなどから、B医師は信義則上PM病に罹患した子どもの出生の危険性について適切な説明を行うべき法的義務があった」と認定した。
そして、B医師の説明は、PM病に罹患した子が生まれる可能性は低いという誤解を与える不正確なものであったとして、説明義務違反を認定した。
しかし、一審判決は「PM病の発症可能性は、かかる決断をするにあたってきわめて重要な要素ではあるが、子をもうけるか否かは、その1点のみを持って決まる問題ではなく、原告らの子を望む思いの程度や人生に対する考え方、態度にも深くかかわるものであって、第三者たるB医師の説明のみによって左右されるとも考えがたい」として、三男の出生と説明義務違反との因果関係を否定し、慰謝料1600万円、弁護士費用160万円を認容したにとどまった(より詳細な事案の概要及び第一審判決の内容は、本誌2004年6月号を参照されたい)。

*脳内の白質中の髄鞘の成分を構成する主な蛋白質のひとつであるプロテオリピッド蛋白(PLP)がうまくつくられないため、髄鞘が形成不全ないし脱髄を示すという、きわめて稀な中枢神経系の疾患。多くは進行性。特徴は、出生早期から眼振が目立ち、運動障害がつづき、知的発達障害もともないやすい。平成10~11年ころ、PLP遺伝子の重複がPM病発症例全体の50%に相当することがわかってきたが、発症しないこともあり、発症確率は不明である

判決

Yセンターに将来の介護費用等の賠償を命じる


高裁判決は、一審判決同様B医師の説明義務違反を認定したうえで、次のように判示した。
証拠によれば、Xらは次子をもうけたいと思っていたが、すでにPM病の疑われたAがいるXらにとっては、生まれてくる子どもがPM病でないかとの懸念が問題だった。B医師が、当時の医学的知見にもとづき、XらがPM病の因子を保有している可能性とその場合に生まれてくる子がPM病になる蓋然性の程度について正確な説明をした場合には、XらはPM病の子が生まれるのを避ける方法が見出されるまでは、子をもうけることを差し控えたものと認められる。
B医師が説明したことは、Xらが第二子以下の子をもうけようと判断したことに大きな影響を与える情報であったということができるから、Xらが強制されることなく自由な意思で子をもうけたことは、因果関係の認定判断を妨げるものではない。
三男の扶養義務者であるXらは、三男が生存し、かつ三男に対し扶養義務を負う期間、三男がPM病であるために要する介護費用等の特別な費用を、共同して負担することとなるから、そのうちの相当なものは、B医師の義務違反行為と相当因果関係のある損害と認めるべきである。
Xらの平均余命、PM病患者の短命傾向、Xらの高齢化にともない、将来、長男と三男をなんらかの施設に入所させ基本的な介護養育を受けさせることも考えられることなどから、三男の出生後20年間の限度で特別な費用(介護費用、建物設備等費用、介護ベッド代、車椅子代、おむつ代等合計4654万円)を損害として認める。
慰謝料は、Xら各600万円が相当である。
ただし、Xらも遺伝病ではないかという疑問を持っていたこと、B医師も遺伝病であることを否定まではしていないこと、B医師からXらに渡された論文に伴性劣性遺伝に関する記載があったこと、Xらも三男出生まで5年間あらためて相談しなかったことなどから、25%の過失相殺が相当であるとした。
結果、慰謝料900万円、介護費用等3490万円、弁護士費用440万円、合計4830万円が認容された。
Xらは、介護費用の算定基準が低廉であること、過失相殺割合が大きすぎることなどを理由に上告申立及び上告受理申立を行ったが、いずれも棄却・不受理となり東京高裁判決がそのまま確定した。

判例に学ぶ

確定判決と一審判決の最大の違いは、介護費用・建物改造費等の積極損害を、B医師の説明義務違反と相当因果関係のあるXらの「損害」として認容したことです。
Yは、Xらの請求は三男の出生自体を損害と評価するもので、生命の尊厳を無視するものであり公序良俗に反すると反論していました。一審判決も、この点を気にして、「三男の出生にともなって、原告らが事実上負担することになる介護費用等を損害と評価することは、三男の生をもって、原告らに対して、健常児とくらべて、前記介護費用等の出費が必要な分だけ損害を与えるいわば負の存在であると認めることにつながるものと言わざるをえず、当裁判所としては、かかる判断をして、介護費用等を不法行為上の損害と評価し、これとB医師の説明義務違反との間に法的因果関係があると認めることに躊躇せざるをえない」と悩みを見せていました。
一審判決が自己決定権侵害に対する慰謝料としては高額な認容をしたのも、介護費用等は認めない代わりに、このようなかたちでXらを救済しようとしたものと思われます。
しかし東京高等裁判所は、「(介護費用・家屋改造費等の)特別な費用を損害と認めることは、PM病の患者として社会的に相当な生活を送るために(Xらが)両親として物心両面の負担を引き受けて介護、養育している負担を損害として評価するものであり、(子どもの)出生、生存自体を(Xらの)損害として認めるものではない。前記のような費用を不法行為の損害と評価し、(B医師の)説明義務違反との間に法的因果関係を認めることが(三男の)生を負の存在と認めることにつながり、社会相当性を欠くということはできない」と判示しました。
この点は、日本国内ではおそらく初めての積極判断であり、欧米の裁判所・立法府でも見解が割れているところです。心理的抵抗感がぬぐえない人も数多くいるとは思います。しかし、先天的に重い障害を持つ子どもが出生した場合、その子どもが社会的・文化的生活を送るために扶養義務者の重い金銭的負担を必要とすることは、まぎれもない現実です。慰謝料を比較的高額にした程度ではとても救済できず、その子どもが将来、社会的・文化的な生活を送れないばかりか、その家族(両親、兄弟姉妹)のそれまでの社会的・文化的生活までも奪い、悲劇的な結果となるケースは十分に考えられます。それが果たして、その子どもの生を尊重していると言えるのか。非常に難しい問題です。高裁判決は目の前にいる患者とその家族を救うという現実的結果の妥当性を確保しつつ、理論的妥当性との調和を図ろうと、たいへん苦心されたものと思います。
民法は「損害の公平な分担」という不法行為法の基本理念にもとづき、「過失相殺」という概念を採用しています。積極損害も損害に含めたうえで過失相殺の法理を用いて調整するという本件高裁判決のような論理を用いたほうが、個々の事案に応じた妥当な結論を導きやすい、という考えもあるかもしれません。
本判決が、最高裁で確定したことにより、今後は、心身に障害を持って出生した子どもを介護・養育する「経済的な負担」を損害と評価することは、生命自体を負の存在と認めることにはつながらない、別次元の問題であるという考え方が広まっていくかもしれません。そうなれば医師の過失と因果関係のある損害に、精神的苦痛に対する慰謝料のみならず、将来の介護費用等の積極損害も当然に含まれ、個別の事案に応じた調整を図ることになっていくでしょう。