Vol.042 既往障害者に医療過誤で障害が生じた際の慰謝料の算定

~両者に系統の違いがあれば慰謝料の減額は認めないとしたケース~

-東京地裁平成18年4月20日判決-
協力:「医療問題弁護団」長尾 詩子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件概要

平成8年、X(本件当時60歳代女性)は、Y開設のB病院において、オリーブ橋小脳萎縮症(以下OPCA)と診断された。
その後、Xは平成12年に誤嚥性肺炎に罹患して、B病院に入院し、永久気管瘻を造設した。
平成14年3月22日、Xは胃瘻交換目的でB病院に入院して、退院日前日である3月31日午前10時31分ころに、2名の看護師の介助により、入浴することとなった。
その際、介助にあたった看護師のひとりが、Xに施された永久気管瘻の仕組みを理解しておらず、通常の気管切開と同じだと考え、入浴時の防水のため、Xの永久気管瘻に、通常貼付しているガーゼの上から、通気性のないサージカルドレープを貼付し、浴室に移動させた。
午前10時33分ころ、前記看護師とともに介助にあたっていたもうひとりの看護師が、Xの顔面が蒼白で自発呼吸がないことに気づいた。
そこで、同看護師はサージカルドレープを除去し、Xを病室に搬送して、心臓マッサージ、人工呼吸を行うとともに、当直医師に報告した。
担当の当直医師は救命措置等を施したが、Xは、無酸素脳症による意識障害に陥った。
平成15年12月31日、Xは、無酸素脳症による遷延性意識障害(後遺障害等級1級)として症状が固定し、将来における改善は見込めない状況となった。
そこで、X及びその家族(以下Xら)は、看護師がXに造設された永久気管瘻にサージカルドレープを貼付したことに過失が認められ、この過失によりXは無酸素脳症による遷延性意識障害に陥ったと主張して、B病院の開設者Yに対し、債務不履行、または不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権にもとづき、損害賠償を求めた。

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争点

本件においては、看護師に過失があることは争いとならず、本件事故によりX及びその家族が被った損害の有無及びその内容について、以下の点を中心に争われた。
まず、Xは事故前からOPCAに罹患しており、四肢の運動機能障害はあったが、意識は清明だった。このようなXが本件事故により、遷延性意識障害となったことについて慰謝料はどのように算定すべきかが争われた。
Yは、Xの事故前の運動機能障害は後遺障害等級1級に該当し、すでに、後遺障害等級1級に該当する障害を負っており、本件事故前後では後遺障害等級に変化はないから、理論的に後遺症慰謝料は発生せず、無等級としての慰謝料が発生するのみであると主張した。
これに対してXらは、運動機能障害はあったものの大脳機能には問題はなく、意識も清明だったにもかかわらず、Xは本件事故により、社会につながるために残された唯一の手段である大脳の機能までも失ってしまったものであり、本件事故により失われたものの価値は、きわめて大きいと主張した。
また、理論的にも、慰謝料は非財産的損害である精神的損害を填補するという性質上、その計数上の差を観念できないため、前記Yの主張は誤っていると主張した。
次に、Yは、XがOPCAという疾患によって、寝たきり状態であったことから、素因減額(*1)を行うべきであると主張した。

(*1)素因減額とは、被害者に対する加害行為と加害行為前から存在した被害者の疾患とが、ともに原因となって損害が発生した場合において、当該疾患の態様や、程度などに照らし、加害者に損害の全部を賠償させるのが公平に失するときは損害賠償の額を定めるにあたり、民法722条2項を類推適用して、被害者の疾患を斟酌するという理論



これに対し、Xらは、一般に素因減額が認められる事例というのは、患者の既往症が事故の結果に寄与している場合であって、本件は運動機能障害を持っていた患者が、本件事故により、高次脳機能すなわち精神機能に障害を負ったのであるから、既往症が事故の結果に寄与している場合とは言えず、まったく事案を異にするものであると主張した。
さらに、Yは、本件事故によりB病院に入院することになったのであるから、Xはホームヘルパーを雇わなくてよくなり、Xの家族も被害者の介護から解放されたので、損益相殺(*2)できるとの主張をした。

(*2)損益相殺とは、被害者が不法行為によって損害を被ると同時に、同一の原因によって利益を受ける場合には、損害と利益との間に同質性があり、その利益によって被害者に生じた損害が現実に填補されたと言うことができる限り、公平の見地から、その利益の額を被害者が加害者に対して賠償を求める損害額から排除すべきだという考え

判決

Yの債務不履行、不法行為を認める


判決は、Xの被害について、「Xの呼吸のための唯一の空気の通路を閉塞するという本件事故の態様やその結果の重大性をも併せ考慮すると、同人が被った精神的苦痛は甚大なものであった」と認定したうえで、慰謝料について「Xについては、本件事故の結果、従前問題のなかった大脳機能に重大な障害が新たに生じた以上、従前から、これと異質な運動機能に重度の障害を負っていたからといって、そのことから直ちに本件事故により新たに後遺症慰謝料が発生することはないとか、当然に大幅に減額すべきであると解することはできないというべきである」と、Xらの主張を支持する判断をした。
また、判決は、素因減額については、「本件においては、本件事故前から存在したXの疾患であるOPCAが本件事故と競合する原因となって、遷延性意識障害という損害が発生したと認めることはできない」と、既往症が運動機能障害であり、本件事故により発生したのが大脳機能障害であることを重視し、Xらの主張を認める判断をした。
さらに、損益相殺の主張については、Xらがホームヘルパーに対する支出をしなくなったことについてはB病院入院とは別にも理由があることを指摘しつつ、ホームヘルパーへの支出をしなくなったことを、仮に「利益」と見ることができたとしても、「その『利益』によってXらに生じた損害(精神的損害)を補填されたということもできない」と、明確に排斥した。

判例に学ぶ

後遺障害等級は、精神的損害を算定する際の基準のひとつとして、裁判実務においては利用されています。そして、たとえ事故により後遺障害等級1級の後遺障害を負ったとしても、すでに後遺障害等級1級の後遺障害を負っていたため、等級の差がなく、慰謝料は低いという後遺障害等級を機械的にあてはめる慰謝料算定は、従来からある考え方のひとつです。
しかし、医療事故に遭った患者及びその家族にとってみれば、もともと重度の疾患を抱えていたのだからという理由によって慰謝料が低く算定されるということは、なかなか納得しにくいことです。
特に、本件のように、以前から後遺障害等級1級の障害を抱えていたから、また後遺障害等級1級に該当する事故に遭ったのに、等級に差がないので慰謝料は低いという考えは、患者及びその家族にとってはまったく納得できないことでしょう。
そのような中で、本件判決は、少なくとも既往障害と医療過誤により生じた障害との間に系統の違いがある場合には、慰謝料の減額を認めないという判断をしました。
後遺障害等級を機械的にあてはめて慰謝料を算定する考え方に、一石を投じる判決として意義があります。
なお、Xらは本件事故当初、B病院医師が、Xの遷延性意識障害は、OPCAによるものであると説明をして事故の事実を隠していたことについて誠実性を欠く態度であるとして、慰謝料増額事由として主張しています。
判決では、この点について指摘することなく、ほぼXらの主張どおりの慰謝料金額を認めていますが、このような指摘を受けることがないよう、医師としては事故が起きたときには、事実を隠すことなく患者やその家族に説明することが、患者から不信を招かないためには重要でしょう。