Vol.040 ハイリスク群の患者に対する医師の注意義務

~肝細胞がんでは効率的なスクリーニングを~

-横浜地裁平成17年9月14日判決-
協力:「医療問題弁護団」梶浦 明裕弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

A(被告センター初診時53歳)は、平成7年3月、肩部痛を訴え神奈川県内の病院を受診、入院したところ、胸部レントゲン写真上で肺に異常影が見られ、肺がんが疑われた。Aは、同院の紹介により、平成7年3月28日に神奈川県が設置運営する被告センター呼吸器科を受診し(同月30日に転医)、同年4月5日に入院した。
被告センターでは、肺がんの有無の精査のため気管支鏡検査の実施に先立ち、感染症があった場合の他患者への感染防止対策を目的とし、Aに対しHCV(C型肝炎ウイルス)抗体反応検査を実施。4月7日、前記検査結果報告によりAがC型肝炎ウイルスに感染していることが判明し、その旨がAの診療録に複数ヵ所にわたって記載された。
その後、被告センターでは気管支鏡検査等を行ったが、肺がんを疑わせる所見は得られなかったため、被告センター医師らは、肺の異常影は慢性炎症によるものであった可能性が高いとして、4月27日にAを退院させ、以後、定期的に外来を受診するよう指示した。
Aはその後、定期的に被告センターB医師の診察を受けたが、B医師は、AがC型肝炎ウイルスに感染していることを認識していなかった。
平成10年5月ころ、Aに下肢浮腫、腹部膨満(腹水)、肝臓硬化、眼球亜黄疸化等の症状が現れ、CT検査などを行った結果、肝細胞がんの発症が強く疑われたため、B医師は平成7年6月2日にAをがんセンターに紹介して転医させた。
がんセンターのC医師は、Aについて肝右葉にびまん型腫瘍があること、門脈が塞栓していること、及び食道に発達した静脈瘤があることを確認し、肝細胞がんの末期状態であって生命予後が期待できない状態だと診断した。6月18日に、Aは食道静脈瘤破裂により大量に出血し、輸血及び食道静脈瘤結紮術を受けたが、翌日死亡した。そこで、Aの相続人(妻及び長男)が、神奈川県に対し、被告センター医師らが患者のC型肝炎ウイルスの事実を見落とし、適切な専門医への転医を勧告すべき義務を怠ったことによりAの死亡の結果が生じたものである等と主張して、債務不履行責任にもとづき損害賠償を請求した。

関連情報 医療過誤判例集はDOCTOR‘S MAGAZINEで毎月連載中

判決

訴訟における主たる争点は、(1)被告センター医師らは、AのC型肝炎ウイルス抗体陽性の事実に気づいて、AをC型肝炎の治療に適した医療機関に転医させるべき診療契約上の義務を怠ったか、(2)債務不履行とAの死亡との間に相当因果関係はあるかという2点である。

(1)転医義務について

被告の債務不履行を認める


本判決は、「Aは平成7年3月30日には被告センターに転医することになったのであるから、遅くとも同日までには、被告とAとの間で、Aの疾患に対する診断及び治療等をすることを内容とする診療契約が成立したと認められ、被告センター医師らは、前記診療契約に基づき、人の生命及び健康を管理する業務に従事する者として、診療当時の臨床医学の実践における医療水準を基準として危険防止のために経験上必要とされる最善の注意を尽くしてAの診療に当たる義務を負担したものというべきである(最高裁平成7年6月9日第二小法廷判決)。そして、被告センターがAの疾患に対し自ら適切な診療をすることができない場合には、前記診療契約上の義務を自ら履行することができないため、被告センター医師らは、代わって、必要に応じてAに対して適切な治療ができる、ほかの医療機関に転医をするよう勧告すべき義務を診療契約上負担するものである」と示し、被告センター医師らが前記診療契約にもとづき、自ら適切な治療を行うことができないものとして、Aに対し転医を勧告すべき義務を負担していたか否かを次のように検討している。
「1.医学的知見のとおり、進行したC型肝炎(C型肝硬変)は死亡の可能性がある危険な疾患であり、C型肝炎は放置すると時間の経過により段階的に悪化して、いずれはC型肝硬変段階に達するものであるからC型肝炎患者にとっては自己のC型肝炎がどの進行ステージにあるかを知ること自体が重要な意味を持つものであって、C型肝炎患者に対しては、その希望に応じてC型肝炎の進行度を調べる検査を受けさせる必要がある。2.医学知見のとおり、C型肝炎にはインターフェロン療法や肝庇護療法等、C型肝炎を治癒させ、またはその進行を遅らせるとされる種々の治療法が存在するから、当該患者の肝炎の進行度と当該患者の年齢に応じ、これらの治療法が必要な範囲で実施されるべきであるとともに、C型肝炎が進行して肝硬変(F4)段階またはそれに近い段階にあれば、肝細胞がん発症の危険性があるから、当該患者に定期的な主要マーカー検査及び画像検査を受けさせ、肝細胞がんの発見に努めるべきであり、さらに、もし肝細胞がんが発見された場合には、これを治療すべく種々の治療法を受けさせるべきである。そして、3.Aについては平成7年3月28日時点で、臨床化学検査の結果、GOT、GPT、γ-GTP、AL-P、TTT、Ch-E及び総コレステロールがいずれも基準値外の数値を示し、『太鼓のばち指』がみられるなど、肝機能が悪化していることを強くうかがわせる所見が得られていたのであるから、Aは前記の種々の検査及び治療を受けさせる必要性及び緊急性が特に高い患者であった。他方、4.前記1.及び2.の検査及び治療を行うに当たっては、専門的な医療技術及び医療知識等を要するが、被告センターは循環器科及び呼吸器科を標榜科目とする医療機関であり、前記検査及び治療のための人的物的設備が十分ではなかった。これらの事実に照らすと、被告センター医師らはAのC型肝炎について自ら適切な診療を行うことができないものとして、Aに対し、肝臓疾患を専門としC型肝炎、肝硬変及び肝臓がんの検査及び治療を十分に行うことができる設備を有する専門医療機関へ転医するよう勧告することが必要であったと認められ、被告センターは、AについてC型肝炎ウイルス抗体反応検査結果が陽性であることが判明した平成7年4月7日以降、AについてC型肝炎に感染していること及び転医しなかった場合に予想される予後等を説明し、前記のような医療機関への転医を勧告すべき診療契約上の義務を負担していたと認められる」。
さらに、判決は、被告センター医師らが転医勧告義務の履行を遅滞したか否かについて次のように検討をしている。
「~前略~しかし、平成7年5月25日ころには、Aが肺がんに罹患している可能性は低いものとされ、B医師は肺の経過観察に併せて肝障害の治療にも当たることとして肝庇護薬を投与し始めたのであって、前記の医学的知見のとおりアルコールのみを原因とする肝障害とC型肝炎感染をともなう肝障害とでは行うべき検査及び治療法並びに予後が著しく異なるのであるから、B医師はC型肝炎ウイルス感染の有無を当然確認すべき状況にあり、かつ、AのC型肝炎感染の事実についての診療録記載状況にかんがみて、AのC型肝炎感染の事実を当然認識してしかるべき状況にあったものと認められる。したがって、B医師は遅くとも前記時点でAがC型肝炎に感染していることを認識し、Aに対してこれを説明して肝疾患専門医への転医を勧告すべきであったと認められる。~中略~よって、被告センターのB医師には転医勧告義務を怠った過失があり、これは被告の債務不履行に当たる」。


(2)相当因果関係の有無

相当因果関係を認める


判決は、Aの死因を判示し、B医師が転医勧告義務を怠らなかった場合にがんセンターに転医したであろう時期を特定した。
そのうえでがんセンター(ないし同等レベルの医療行為を行いうる医療機関)に転医していた場合、行われていたであろう検査、治療及び療養指導等を詳細に示した。具体的には、1.インターフェロン療法、2.肝庇護療法、3.瀉血療法、4.適切な禁酒指導(絶対的禁酒指示)、5.肝細胞がん発見のための検査等、6.肝細胞がんが発見された場合の治療等、7.食道静脈瘤の検査及び治療等を詳細に説示し、またそれらの有効性についても肯定的に判示した。
以上を重要な前提事実として、本判決は、相当因果関係を肯定した。

判例に学ぶ

肝細胞がんにおいては、B型及びC型の慢性肝炎、肝硬変の患者が罹患した割合が約90%を占めており、とりわけC型の慢性肝炎、肝硬変患者はそのうちの70%以上です。つまり、B型、とりわけC型の慢性肝炎、肝硬変患者は、肝細胞がんのハイリスク群であると言われています。このように肝細胞がんについては、明確なハイリスク群の設定が可能であるため、効率的なスクリーニングが可能だとされています。以上は、(社)日本肝臓学会の「慢性肝炎診療のためのガイドライン」や日本肝臓研究会編の「慢性肝炎の治療ガイド」などにより明確にされておりまた、日本肝臓研究会により「全国原発性肝がん追跡調査報告」というかたちで大規模な調査も行われています。
このように一定の基準が示されている分野では一般的に裁判所はその基準に乗りやすい、つまりそのような基準が医師の注意義務の内容を形成しやすいと言えるでしょう。本件でも患者が「C型肝炎ウイルスに感染していることが判明し、その旨がAの診療録に複数ヵ所にわたって記載された」という事実があり、それが結論に大きな影響を与えています。
本判決の意義は、患者が別の疾患(本件では肺がん)の検査で医療機関を受診した場合でも、C型肝炎ウイルス抗体反応検査結果が陽性だと判明し、肝機能悪化の所見が得られていた以上、別の疾患に罹患している可能性が低くなった時点で、医療機関が患者について「C型肝炎に感染していること及び転医しなかった場合に予想される予後等を説明し、前記のような医療機関への転医を勧告すべき診療契約上の義務」を怠った過失があるとしたことにあると思います。
また、本判決からすると、一般論としても医師がハイリスク群患者であることを認識していた場合(ただし、認識可能性があれば足りる)、一定の頻度で肝がんのスクリーニングを行うべき義務、あるいは自ら行えない場合は転医義務があるということも導かれるでしょう。
近年、本裁判例のほかにもハイリスク群患者(B型肝炎患者)に対する検査不履行及び肝がん見落としを肯定して賠償を命じた札幌地裁平成17年11月18日判決がなされました。本判決も、札幌地裁の同判決も、約3000万円の賠償を命じています。今後は、とりわけハイリスク群の患者に対する医師の注意義務(スクリーニング義務、転医義務)は高度なものが要求されるようになるでしょう。