Vol.043 MRSA感染後の医師の処置義務

~一般的な治療方法と過失の根拠となる医療水準は異なる~

-最高裁判所第二小法廷平成18年1月27日判決、判例タイムズ1205号146頁-
協力:「医療問題弁護団」小川 朗弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件概要

本件は、被害者A(当時81歳)が脳梗塞の発作で、被上告人が開設するB病院に入院していたところ、 MRSAに感染し、全身状態が悪化して死亡した事案である。上告人である遺族らは、B病院のC医師に、(1)広域の細菌に対して効力を有する第3世代セフェム系のエポセリンやスルペラゾンを投与すべきではなかったのに投与して、AをMRSAに感染させた過失、(2)MRSAに感染した時点でバンコマイシンを投与すべきであったのに、これを投与しなかったことにより、AのMRSA消失を遅延させた過失、(3)多種の抗生剤を投与すべきではなかったのに、これを投与したことにより、AにMRSA感染症、肝機能障害、腎不全等を発症させた過失があり、その結果、Aを死亡させたと主張して、被上告人に対して損害賠償を求めた。

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事実経過

(1)抗生剤の投与の開始
Aは、平成4年11月3日に脳梗塞の発作を起こして傾眠状態に陥り、左半身に麻痺が認められたことからB病院に入院し、集中治療室において治療を受けた。Aは徐々に意識を回復し、同6日には集中治療室から一般病室に移った。同12月末ころ、Aに38度台の発熱が見られたことを契機に、C医師は抗生剤ケフラールの投与を開始した。

(2)第3世代セフェム系のエポセリン、スルペラゾンの投与
C医師は、翌平成5年1月11日に、同月7日に採取したAの喀痰から黄色ブドウ球菌が検出されたことから、Aの症状を呼吸器感染と疑い、抗生剤を広域の抗生剤である第3世代セフェム系のエポセリン1日2gに変更し、同月18日まで投与した。また、尿から緑のう菌が検出されたことから25日からは第3世代セフェム系のスルペラゾン1日1gを投与し、2月13日まで投与を継続した。

(3)バンコマイシンの投与の遅れ
C医師は長期間にわたって多種の抗生剤を使用したが、バンコマイシンについては、3月18日になって、Aの子であるDの要請を受けて院長と協議し、初めて投与を開始した。

(4)多種の抗生剤の投与と死にいたる経緯
C医師は、平成4年12月末ころ、Aに38度台の発熱が見られたことを契機に、抗生剤の投与を開始し、以後バンコマイシン投与を開始するまでの間に、エポセリン、スルペラゾンやバンコマイシンのほか、ビブラマイシン、ホスミシン、ミノマイシン、バクタ、アミカシン等を次次と種類を変えて追加投与した。途中、Aに薬剤性の肝障害と疑われる症状が出たり、また発熱の原因が抗生剤ではないかと疑ったことにより、一部の投与を中止したことがあったものの、発熱が継続し、Aの喀痰からMRSAや緑のう菌が引きつづき検出されると、また次の抗生剤の使用を開始するといった案配であった。そして、発熱や菌の検出が継続したことを理由にバンコマイシンの投与を中止した3月28日以後は、効果のある抗生剤を多種併用してみることとし、ミノマイシン、リファジン、ペントシリン、トブラシン等を投与し、途中4月27日にはやはり薬剤性の発熱を疑って投与を中止したものの、5月6日はアザクタムの投与を開始した。以後は、再び継続的に抗生剤を投与していたが、7月9日になってAが全身性強直性けいれんを起こしたのを契機に、C医師は抗生剤によるものと疑い、バンコマイシンとバクタの投与だけを継続することとし、また同月13日には家族の申し入れもあってすべての抗生剤の投与を中止した。
しかし、同月26日に採取したAの喀痰から12日以後消失していたMRSAの検出を認めると、再びバンコマイシンの投与を開始し、以後Aの尿がわずかしか出なくなったときにラシックスやイノバンを、Aの左半身にけいれんが出現した際にはタリビットを投与した。8月13日にAに発疹が見られたことからタリビットの投与を中止したが、発疹は全身に拡大し、C医師はMRSAによるアレルギー性腎不全、皮しんと診断してバクタとミノマイシンの投与を再開した。同月24日にはAに黄だんが出現し、C医師らはAの肝機能が低下していると診断してバクタの投与を中止したが、同月26日、Aの心拍数は高く、血圧は低く、心機能は低下し、胃部から出血が確認された。
そして、同月29日にAの肺機能が低下し、頻呼吸となり、31日にAは多臓器不全により死亡した。

原審の判断

C医師の過失を認めず


上告人の主張に対し、概ね下記のとおり過失がない旨判示して、請求を棄却した。

(1) 第3世代セフェム系エポセリンやスルペラゾンの投与について
・上告人側の鑑定意見書や意見書に「時には経験的に抗生剤を大量に投与する必要性も生じるものの、総じて第3世代セフェム系への依存が強すぎる」旨述べていることからすれば、第3世代セフェム系抗生剤を投与することが当時の臨床医学においては一般的であった
・被上告人側の医師による鑑定意見書においては、C医師が呼吸器感染を疑ってエポセリンを投与したこと、緑のう菌対策としてスルペラゾンを投与したことも妥当だとしている
・鑑定人の鑑定書においては、エポセリンやスルペラゾンの投与について触れられていないが、抗生剤の投与全体の中で特に問題があったとはしていない

(2) バンコマイシン投与の遅れについて
鑑定人の鑑定書には、2月1日ころにバンコマイシンを投与していれば、もっと早くMRSAが消失していた可能性があるとする部分がある。しかし、同鑑定書は一方で、MRSA保菌者に対する安易なバンコマイシンの使用は、バンコマイシンに対する耐性菌を生み出すという深刻な問題を有すること、C医師らのミノマイシン、バクタの投与によっても時間はかかったがMRSAの消失という臨床経過は見られることから、同処置が不適切であったとまでは判断できないとしている

(3)多種類の抗生剤の投与について
上告人側の意見書には、実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の医療現場において一般的であったとしており、鑑定人の鑑定書もこれを問題としていない。また、被上告人側の意見書も抗生剤の投与を全体として当時の医療レベルで許容範囲内であったとしている

最高裁判決

原判決を破棄


バンコマイシンの投与の遅れについては、下記の理由から各鑑定書、意見書にもとづいて、C医師に過失なしとした判断は経験則、または採証法則に反するものとした。

・鑑定人の鑑定書において、バンコマイシンの優位性を説明する複数の箇所や「鑑定人としては第一選択薬としてはバンコマイシンを推奨する」等の記載があり、「バンコマイシンが使用されていれば」、「死亡という最悪の事態は避けられた可能性もある」とするなど、バンコマイシンの不投与が当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の指摘をするものと理解できる記載もあること
・他の意見書においても、バンコマイシンの不投与が当時の医療水準にかなうものとする趣旨の指摘をしているものとは言えない
また、第3世代セフェム系エポセリンやスルペラゾンの投与、及び多種類の抗生剤の投与については、当時の臨床医学において一般的であったことがうかがわれるというだけで、それが当時の医療水準にかなうものであったとは言えないとし、医療水準について確定することなく同医師の過失を否定した原審の判断は、やはり経験則、または採証法則に反するものとした。

以上から、結論として「C医師らの抗生剤の使用に過失があったとは認められないと判断した原審の判断には、経験則又は採証法則に反する違法があり、この違法が原判決に影響を及ぼすことは明かである」として、原判決を破棄し、本件を東京高等裁判所に差し戻す旨の判決をした。

判例に学ぶ

MRSAについては、感染防止義務違反や感染後の処置義務違反について多くの裁判例がありますが、医師側の責任を認めた事例は多くありません。本事案は感染後の処置義務に関する判例ですが、同様に第1~2世代セフェム系抗生剤を選択すべき注意義務とバンコマイシンの不投与が争点となり、いずれも否定された裁判例もあります(東京地裁平成9年9月18日付判決、判例タイムズ981号225頁)。
この点、本最高裁判決は、上告人の請求を認容しているわけではないものの、医師側の責任を否定した原判決を破棄している点で、警鐘を与えるものと評価できますが、医師の立場からして、より重要性を有するのはその理由であると思います。すなわち、民事の医療過誤訴訟において、医師の責任の根拠となる過失の判断は、「診療当時の臨床医学の実践における医療水準」に達しているか否かが基準とされていることは、よく知られています。本判決は、第3世代セフェム系抗生剤の投与と他種類の抗生剤の投与につき、診療当時に一般に行われていたことをもって医療水準論から過失を否定した原審に対し、当該治療方法が一般的であることと過失の根拠となる医療水準とは異なる(当該治療方法が一般的であることは、過失を否定する根拠とはならない)ことを明確にした点に特色があります。このことから、医師としては、医療現場において一般に行われているからとの認識で安易に治療方法を選択するのではなく、常にガイドライン等の研究を怠らずに日進月歩する医療水準に配慮することが要請されているものと言えます。多くの分野について、そのような水準を保つためには相当な能力と労力が必要であることは容易に想像できるところであり、その点では最高裁の判断は厳しいものですが、これは一般国民の医師に対する期待がそれだけ大きいものであることを示していると思います。