Vol.045 他事目的が存在する治療の説明義務

~治療法に関する患者の自己決定権が認められた事例~

-金沢地裁平成15年2月17日(金沢地裁平成11年(ワ)第307号事件、判時1841号123頁、判タ1209号253頁)-
協力:「医療問題弁護団」藤田 陽子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

医療事故が起こった場合、患者側から医師の説明義務違反が主張されるケースは多い。「医療訴訟ケースファイル」(東京・大阪医療訴訟研究会編著、判例タイムズ社、2004年)によれば、東京及び大阪地裁の医療集中部の判決136件のうち、57件において説明義務違反の主張がされている。今回は、説明義務違反が争われた訴訟の中でも、患者を治療するにあたり、医療機関側にクリニカルトライアルという、他事目的が存在する場合に説明義務違反が争われた事案を紹介する。

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事件内容

患者であるAは、Y病院で卵巣がんの部分摘出等の手術を受け、その後、化学療法(抗がん剤治療)としてCP療法、つづいてタキソール療法を受けたが著効が現れなかった。
Aは、Y病院入院中、CP療法の開始について承諾していないのにもかかわらず比較臨床試験の被験者とされ、治療方法に関する自己決定権を侵害されたことによる精神的苦痛を被ったとして国家賠償法、不法行為及び債務不履行にもとづきYに対する損害賠償請求権を取得し、これをAの相続人である原告ら(Aの夫X、Aの3人の子)が相続したとして、その賠償を求めた。

事実経過

平成9年5月、AはBクリニックで子宮筋腫を病名に子宮全摘術を受けたが、左水腎症に罹患していること、左尿管下端部分に腫瘤があること等の指摘を受けたことから、同年11月、Y病院婦人科を受診。同院の病理検査により腺がん細胞が認められたため、子宮頸部断端がんと診断された。
同年12月18日、Aは腫瘍摘出等を目的として開腹手術を受けたが、右卵巣腫瘍のほか、膣断端部にも腫瘍が認められ、前者は摘出されたものの、後者は膀胱及び周囲の組織と強固に癒着して摘出が不可能であると判断された。そこで、右卵巣の部分摘出等を行い、閉腹した。
Y病院C医師は、手術後の治療につきA及びAの夫Xに対し、(1)Aには右卵巣と膣断端部に腫瘍があったこと、両者の関係は不明であること、(2)膣断端部の腫瘍の完全切除ができない状態であったため、今後も治療が必要であること、どちらの腫瘍も腺がんなので、放射線治療よりも化学療法の有効性が高いこと、(3)化学療法の場合、抗腫瘍剤を4~5日かけて1回投与し、これを1ヵ月に1回の割合で3~4回行うこと、(4)抗腫瘍剤の副作用には吐き気、脱毛、白血球低下等があることを説明し、A及びXはシスプラチン製剤による化学療法を開始することに同意した。
ところで、平成7年9月、Y病院の産科婦人科医師を主とする地域の医療施設の産科婦人科医師で構成されるH研究会では、卵巣がんに対する最適な治療法を確立するため、当時卵巣がんに対する標準的な化学療法と考えられていたCP療法とCAP療法を無作為で比較する試験ないし調査(以下、本件クリニカルトライアル)を始めた。そのプロトコル(以下、本件プロトコル)では、目的、対象症例、割付方法、登録方法、治療法、減量基準、評価項目、登録集積期間及び目標症例数、高用量CP療法の場合の投与スケジュールが定められていた。このような状況が存在する中、平成10年1月20日、Aに対してはCP療法の1サイクル目が開始されたが、その後、Aに腎機能障害が認められたことなどからCP療法は1サイクルで中止され、同年3月3日からタキソール療法等が行われるようになった。
同年6月9日、AはY病院を一時退院したが、その後Y病院を受診せず、同年7月22日からD病院に入院して治療を受けたが、同年12月21日に死亡した。

原告らの主張

本件クリニカルトライアルは、比較臨床試験である。比較臨床試験を実施しようとする医師には、患者に対してその試験の目的、治療方法の選択方法、予想される利益、可能性のある危険等を具体的かつ詳細に説明したうえで被験者になることについて真摯な同意を得る診療契約上、もしくは信義則上の義務がある。にもかかわらずAの主治医Cはそれを怠りAに対する説明及び同意なくAを本件クリニカルトライアルの被験者とし、本件プロトコルに従った治療を行い、Aの治療方法に関する自己決定権を侵害した。これは診療契約に違反するとともに、Aに対する不法行為である。

被告の主張

Aの主治医がAを本件クリニカルトライアルの被験者とした事実はないし、仮にあったとしても、本件クリニカルトライアルは比較臨床試験ではない。とすれば、本件クリニカルトライアルは一般診療の範囲内のものであるから、その実施にあたっての説明義務も通常の一般的な診療におけるそれと同様に考えるべきである。C医師は、A及びXに対し一般診療としてCP療法を行う際に必要な説明義務は尽くしており、本件クリニカルトライアルの被験者とすることについてAに説明して同意を得る義務はなかった。

判決

医師の説明義務違反を認める


まず、裁判所は、インフォームドコンセントが必要か否かは本件クリニカルトライアルが比較臨床試験に該当するか否かによってアプリオリに決まるものではなく、インフォームドコンセントの趣旨に鑑みて、その説明を必要とするものであるか否かによって判断されるべきとして、本件クリニカルトライアルが比較臨床試験に該当するかについては、判断しなかった。
次に、医師の説明義務に関しては、C医師が、Aを本件クリニカルトライアルの被験者としたことを認定したうえで、(ア)「医師には、患者の自己決定権を保障するため、その患者に対し……、患者の現在の症状、治療の概括的内容、予想される効果と副作用、他の治療方法の有無とその内容、治療をしない場合及び他の治療方法を選択した場合の予後の予想等を説明し、その同意を得る診療契約上の、もしくは信義則上の義務があるというべきである。しかし、その薬剤を用いて一般的に承認されている方法の治療をする限りにおいて、医師が投与する薬剤の種類、用量、投与の具体的スケジュール、投与量の減量基準等の治療方法の具体的な内容まで説明しなくても」医師の裁量に委ねられているので違法とは言えない。医師にそのような裁量が認められる基礎は、「患者が自己決定し、医師と患者との間で確認された治療の目標……を達成することだけを目的として、許された条件下で」医師は患者にとって「最善と考える方法を採用するものと」患者が信じている点にある。
したがって、(イ)「医師が、治療方法の具体的内容を決定するについて」、本来の目的以外に他事目的を有していて、「この他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与え得る場合」、医師に治療方法の詳細について裁量を与えられる基礎を欠くことになるから、医師には「患者に対し、他事目的を有していること、その内容及びそのことが治療内容に与える影響について説明し、その同意を得る診療契約上の、もしくは信義則上の義務がある」とした。
そして、本件においては、患者をクリニカルトライアルの被験者とすれば、(a)CP療法とCAP療法との選択は、無作為割付に割り付けられること、(b)割付によって療法が決まると薬剤の投与量、投与スケジュールは本件クリニカルトライアルで定められたプロトコルによって定まること、(c)本件プロトコルどおりの実施が困難な場合、投与量を減量できるがその減量基準、減量幅も本件プロトコルにおいて定められていることから、「患者のために最善を尽くすという本来の目的以外に、本件クリニカルトライアルを成功させる」という他事目的が考慮されていることになる。そうすると、C医師がAを本件クリニカルトライアルの被験者とすることについて、本件プロトコルにこだわらず、Aにとって最善の治療方法を選択したと認められる特段の事情のない限り、説明義務に違反したと言うべきところ、本件ではそのような特段の事情を認めることはできないとして説明義務違反を認めた。

判例に学ぶ

診療契約の一内容(診療契約が治療を中心とした事務処理に関する準委任契約と解されていることから、民法656条の準用する645条に根拠を求めることができる)として、あるいは信義則にもとづいて、医師に患者に対する説明義務が存在することは現在ではほとんど異論がありません。
本判決は、医師に本来の目的(これは個々の患者の希望により異なりうる。たとえば苦痛の軽減を優先等)以外に他事目的という特殊事情が存在し、その他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与える場合には、特段の事情のない限り患者に対し説明し、同意を得るべき内容は(ア)だけではなく、(イ)まで含まれるとした点にポイントがあります。
本件において、C医師はまったく説明をしていなかったのではなく、(ア)については説明義務を果たしていたのですが、(イ)についての説明義務を果たさなかったということで説明義務違反が認定されました(そういう意味で、もし本件で他事目的がなければ説明義務違反は問われなかったことになりえます)。
(イ)についてまで説明すべき根拠として、本判決は、患者は医師との間で確認した治療の目標を達成するために、医師が最善の医療を提供してくれていると信頼している点を挙げています。他事目的が存在し、それが治療方法の具体的な内容に影響を与える場合には、個々の患者の事情とは無関係な事情で診療計画等が定められることになり、患者の信頼を裏切ることになるので、他事目的についても説明しなければならないのです。 インフォームドコンセントは、患者との間の信頼関係の維持、患者の自己決定権を確保するために非常に重要です。個個の場面において、患者に対しどこまで説明すべきか否か判断する材料として、本判決は、非常に参考になると思われます。
なお、本件は説明の結果生じた身体的障害ではなく、説明されなかったこと自体の精神的苦痛について慰謝料が認められた点にも特徴があります。
説明義務違反により具体的な身体的障害が生じなかったとしても慰謝料が発生する場合があることについても留意が必要です。