(1)病理医の過失
病理医の過失を正面から認める
1 病理医の過失
病理医が、本件患者の細胞診でパパニコロウ分類におけるクラスV(悪性)であると判定したことについて、判旨は「クラスVとの診断は、(悪性であるとの)疑いを超えて確信に至ったものであるから、クラスVというためには診断時の所見に照らし、悪性と診断できる確実な根拠があることが必要であるというべきである」とし、「細胞診の検体からは良性の可能性も否定できず、さらに生検等によってこの点を精査すべきであったにもかかわらず、良性の可能性を疑う余地がないかのような判定をした点において、細胞診の診断を誤った過失がある」として病理医の過失を認めた。
2 病理医の過失と因果関係
通常、がんであるかどうかは細胞診のみで判断されることはなく、画像などと合わせて総合的に判断されるものであって、最終的な判断を行うのは、患者と直接接している内科医や外科医(以下、担当医)である。
仮に、病理医が細胞診で、悪性を疑わせる細胞が見られるが確診はできないとされる「クラスIII」とすれば、担当医は再度細胞診を実施するか、生検を行うことになるものだろう。
しかし、本件では、悪性と診断可能な異型細胞を認めるとする「クラスV」と診断されたため、担当医が再度の細胞診や生検を実施する義務までは要求されておらず、そのために切除手術適応とされた。病理医がクラスVとの診断をすれば担当医において切除手術が選択されるのは自然であるということである。
判旨においても、細胞診は、「がんの疑いのある者に限ってなされるものである」から、「がんであるとの最終診断をなすにあたってきわめて重要な意味を有する」とし、「特に、細胞診の結果がクラスVであるとされれば、さらなる検査を経ずに切除手術の適応があるとされる」ので、「細胞診の結果が乳がんであるとの最終判断に、決定的な影響を与えるものであることは明らか」だとしている。
よって、病理医がクラスVと診断したことと、乳房の切除手術の直接の因果関係を認めたものであって、担当医が手術適応としたことについては妥当であるとされた。
(2)後遺症と損害額
1 肩関節可動域制限の後遺症
本件は、乳がん関係の類似裁判例の中では最高額の判決である。なぜこのような高額の判決が出たかというと、本件患者においては、左乳房をリンパを含めて切除したため、肩関節の可動域が、4分の3以下に制限されるという後遺症が生じ、後遺症の12級に該当するとして逸失利益約614万円が認められたことがその理由のひとつである。なお、被告らは乳房切除術により、肩関節可動域制限の後遺症は生じないとして争った。
2 乳房再建費用の損害
本件患者は、手術後に乳房再建術を行っている。判決ではこの費用についても損害として認めている。損害として認められたのは、乳房再建のための治療費、手術費用のほか、交通費、宿泊費、治療に要した日の休業損害、通院慰謝料である。
3 慰謝料の増額
本件では、通常の損害賠償請求で認められる障害等級に相応する慰謝料等以外に慰謝料が200万円増額されており、合計605万円の慰謝料を認めている。
本件患者は、担当医より「がんであるとの告知を受け、相当な精神的な衝撃を受け」、「その後は一転してがんではないと告げられており、大きな戸惑いや落胆を感じたことが認められ」る。
さらに、本件患者は他病院で医師に相談し、その医師から担当医に対してリハビリや精神的なフォローを依頼する旨の診療情報提供書が作成され、患者がそれを担当医のもとに持参したにもかかわらず、担当医は、本件患者に対して特段の措置を講じなかった。
加えて、女性の母性の象徴たる乳房を喪失した場合の精神的喪失感は非常に大きいものであって、乳房再建術を受けたことによりその一部は慰謝されるとしても、人工物で元来の乳房に代替できるものではないから、そのすべてが慰謝されるわけではなく、これらを総合して慰謝料の増額を認めている。
なお、本件の病理医は被告病院内ではなく、他病院に勤務する医師だったが、担当医のフォローの不適切な部分についての慰謝料についても責任を免れないとしている。判旨では、「(病理医は)本件についてもっとも責任を自覚すべき者であって、原告から求められることがなくても、自ら進んで原告に自己の判定の経緯等を説明して、その理解を得、かつ、その精神的苦痛を慰謝するように努力すべき立場にあったのに、これをしていないことからすると、被告病院において本件の事後対応を担当すべき地位を有していないとしても、その不適切な点において責任を免れることはできない」とし、病理医の責任を厳しく認めている。
4 病理医と病院を被告とした場合の説明
本件では手術を行った病院と病理医個人の両者を被告として訴えている。医療訴訟では、このほかにも前医と後医の両者を被告として訴えるケースがあるが、このような場合、被告間はどのような関係になるのか。
たとえば病院と個人の医師が被告として訴えられた場合、通常、病院も個人も全額について賠償責任を負う。ただし、原告が二重取りできるという意味ではなく、原告は双方に全額請求できるものの一方から全額を支払われた場合には、それ以上の請求は不可能となっている。全額を支払ったほうは、他方に対し、自分の割合を超える部分について請求できるが、分担の割合は被告間で決めることになる。したがって、原告との裁判が終了しても分担割合が決まっていない場合、被告間でこれを決めるために裁判になることもある。
仮に原告が、被告Xには7割、被告Yには3割の金額で請求した場合はこのような問題は生じないが、患者としては両者の過失から結果が生じたと考えるため一般的には両者について全額請求することが多い。