Vol.047 腸管え死の診断と開腹手術の実施時期

~腸閉そく術後の患者の管理~

-最高裁第3小法廷平成18年4月18日判決-
協力:「医療問題弁護団」井上 直子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件概要

本件は、患者Aが、B院長の開設していたC病院において冠状動脈バイパス手術を受けた後に、腹痛を訴えるようになり高度のアシドーシスが進行したが、同病院のD医師は腸管え死の診断を早期に行わず経過観察をし、開腹手術をしたときにはすでに広範な腸管え死が発生しており、Aが死亡したことから、Aの相続人であるXらがD医師には早期に腸管え死を疑ってただちに開腹手術をすべき注意義務があったのにこれを怠った過失があるなどと主張して、B院長の相続人である被上告人らに対し、債務不履行または不法行為にもとづく損害賠償を求めた事案である。

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事実経過

(1)冠状動脈バイパス手術の実施

Aは、その冠状動脈に狭窄が認められたことから、平成3年2月22日11時55分から18時30分までC病院において冠状動脈バイパス手術を受けた。術後の血圧、脈拍等のバイタルサインは落ち着いており、出血量も少なく、良好な経過をたどっていた。同日19時15分、Aは半覚せいの状態で、手術室から集中治療室に搬入され、23日6時ころに覚せい、特に異常はなく順調に経過した。23日15時までのBE値は、マイナス0.2からプラス5.2までの間であった。

(2)強度の腹痛、アシドーシスが進行

Aは、23日夕刻に腹痛を訴えたが、腹部所見では筋性防御はなく、腹部膨満は中等度であった。18時から22時までのBE値は、マイナス0.4からプラス2.4の間であった。血液検査によれば白血球数が1万5000個/μl前後と多く、また、腎機能の状況を示す尿素窒素が27mg/dl、クレアチニンが1.9mg/dlと高めであった。
Aは、24日0時ころから頻繁に腹痛を訴えるようになった。BE値は0時がマイナス4.8、2時46分がマイナス11.3であり、高度のアシドーシスを示していた。D医師はアシドーシスの原因として急性腎不全、腸管え死を考えたがよくわからず、様子を見ることとした。
4時30分の血液検査によれば、白血球数が1万7200個/μlと多かった。BE値は5時30分がマイナス16.6、6時30分がマイナス15.2、7時30分がマイナス16.0であり、いずれも高度のアシドーシスを示すものであった。これを補正するために、メイロンが5時30分に80ml、6時30分に50ml、7時30分に100ml投与されたが、改善されなかった。血液検査によれば、白血球数が1万6600個/μlと多く、肝機能の状況を示すGOT、GPTがいずれも1000IU/l以上と非常に高く、また尿素窒素が44mg/dl、クレアチニンが2.8mg/dlと高かった。

(3)腸閉そくの診断と治療

D医師は、24日8時までの間にAにアシドーシス、肝機能障害、腎機能障害が認められたので腸閉そくと判断し、循環血しょう量を増やすとともに、腸管のぜん動こう進薬を使用して、腸のぜん動を促す治療を行った。8時ころ撮影のレントゲン写真によれば腸閉そく像が認められ、ガスが多い状態であった。9時40分のBE値はマイナス15.1であり、メイロン100mlが投与された。11時15分のBE値はマイナス14.3であり、メイロン50mlが投与された。13時のBE値はマイナス15.2であり、メイロン100mlが投与された。14時40分のBE値はマイナス12.5であった。

(4)開腹手術の実施

その後、血液の酸素分圧が上がらず不穏状態であり、投薬にもかかわらず、意識レベルが少しずつ落ち、アシドーシスを補正するための治療を施しても、それが改善されず、全身状態が悪化。D医師は人工呼吸器により呼吸を補助するために挿管をした。その後、尿量が低下したため利尿剤が使用されたが改善されず腎機能が低下。D医師は、腹部所見は乏しかったがアシドーシスが改善されなかったため、やはり上腸間膜動脈血栓症がもっとも疑われると判断し開腹手術を行うこととし、24日15時または16時ころ、電話で執刀医であったE教授に連絡。BE値は15時30分がマイナス14.4、17時15分がマイナス12.7。18時すぎにE教授がC病院に到着した。
Aは、24日19時20分ころ、手術室に搬入され、小腸、大腸部分切除、胆のう摘出、人工肛門造設の手術を受けた。手術時の所見では、腹こう内に腹水が多量にあり、大腸には広範なえ死が認められ、特に下行結腸からS状結腸にかけての部分のえ死がもっとも高度であった。小腸には末端より20cmの部分から2.3mにわたりえ死が散在していた。胆のうにもえ死があり、胆のうせん孔によるはん発性腹膜炎が認められた。肝臓、大腸や小腸等のすべての腹内臓器に虚血の所見があった。広範な大腸のえ死部は、切除され、人工肛門とされた。え死が散在していた小腸の2.3mにわたる部分も切除され、胆のうも摘出された。手術は23時25分に終了し、Aは25日0時に手術室から搬出された。
D医師らは、引きつづき集中管理体制で治療にあたったが、Aの意識は回復せず、急性腎不全、急性心不全を来たし、25日12時55分に死亡した。

原審の判断

上告人らの請求を棄却


原審は、Aの症状等からして、開腹手術の実施はAの身体にとって過度の負担となり危険をともなうので、その実施に慎重になり、その適否と時期を見定めるために経過を観察することは、臨床医学の見地からして、必ずしも非難に値するものとは言えず、遅くとも24日8時ころまでに同手術を実施すべきであったということはきわめて困難な判断を強いるものであるなどとしたうえで、平成3年当時の医療水準に照らすと、D医師に術後の管理を怠った過失があると言うことはできないとして、上告人らの請求を棄却した。

原審が前提とした平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見・臨床現場の状況は次のとおりである。

(1)腹痛が常時存在し、これが増強するとともに、高度のアシドーシスが進行し腸閉そくの症状が顕著になり、腸管のぜん動運動を促進する薬剤を投与するなどしても改善がなければ、腸管え死の発生が高い確率で考えられる。腸管え死の場合にはただちに開腹手術を実施し、え死部分を切除しなければ救命の余地はない。え死部分を切除した時点で、他の臓器の機能がある程度維持されていれば、救命の可能性があるが、他の臓器の機能全体がすでに低下していれば救命は困難である。

(2)開心術後の合併症としての腸管え死は予後が悪く、また、死亡率がきわめて高く、腸間膜動脈閉そく症例においては発症後早期の段階で開腹手術を実施した場合とそうでない場合とで救命率に有意な差がないという報告例があった。

(3)平成3年当時の臨床の現場においては、開腹手術の適応及びその時期の判断はきわめて困難であるとされ、一般的には開心術後の患者の安定度は低く、術後間もない時点で開腹手術を実施することは躊躇される状況にあった。

最高裁判決

D医師の過失を認める


最高裁は原判決を破棄して医師の過失を認めた。その理由は、以下のとおりである。

(1)D医師には24日8時ころまでには腸管え死が発生している可能性が高いと診断する義務があったが、そのような診断をしなかった。本件では、〔1〕Aは23日夕刻から強い腹痛を訴えるようになり、 24日0時ころからは頻繁に強い腹痛を訴えるようになった、〔2〕同日2時30分ころ鎮痛剤が投与されたものの腹痛が改善せず、3時50分にはより強力な鎮痛剤が投与されたにもかかわらず腹痛は強くなった、〔3〕BE値は同日0時には許容値を超え、2時46分には高度のアシドーシスを示すようになり、5時30分からは補正のために断続的にメイロンが投与されたにもかかわらず改善されなかった、〔4〕同日8時ころ撮影のレントゲン写真によれば腸閉そく像が認められ、ガスが多い状態であった、〔5〕同日8時までの間に腸管のぜん動こう進薬が投与されたにもかかわらず腸管ぜん動音はなかった。以上の状況から、Aの術後を管理する医師としては、腸管え死が発生している可能性を否定できるような特段の事情が認められる場合でない限り、同日8時ころまでには腸管え死が発生している可能性が高いと診断すべきであった。

(2)仮にD医師が24日8時ころまでに腸管え死が発生している可能性が高いと診断していた場合には、開腹手術の実施義務があったが、D医師はそのような手術をしていない点に過失がある。平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見においては、腸管え死の場合にはただちに開腹手術を実施し、え死部分を切除しなければ救命の余地はなく、さらに、え死部分を切除した時点で他の臓器の機能がある程度維持されていれば救命の可能性があるが、他の臓器の機能全体がすでに低下していれば救命は困難であるとされていた。よって、Aの術後を管理する医師としては、開腹手術の実施によってかえって生命の危険が高まるために同手術の実施を避けることが相当と言えるような特段の事情が認められる場合でない限り、腸管え死が発生している可能性が高いと診断した段階で、確定診断にいたらなくても、ただちに開腹手術を実施すべきであり、さらに開腹手術によって腸管え死が確認された場合には、ただちにえ死部分を切除すべきであった。

判例に学ぶ

本件において最高裁判所は、原審の認定した事実と同一の事実を前提としながら原審とは異なる判断を示しています。腸管え死の場合には、ただちに開腹手術を実施し、え死部分を切除しなければ救命の余地はないことから、腸閉そく術後を管理する医師に対して、腸管え死が発生している可能性を否定できるような特段の事情が認められる場合でない限り、また、腸管え死が発生している可能性が高いと診断する義務開腹手術の実施によってかえって生命の危険が高まるために同手術の実施を避けることが相当と言えるような特段の事情が認められる場合でない限りは、腸管え死が発生している可能性が高いと診断した段階で、確定診断にいたらなくても、ただちに開腹手術を実施すべき義務を課したものとして評価できるでしょう。