原告の精神的損害に対する慰謝料を認容
判決の要旨は次のとおりである。
(1)原告が医療センターで健康診断を受けた時点の病期は、臨床的に見るとT1N0M0(StageI)と推定される。他方、D病院で右肺下葉の切除術を受けた後の病理学的診断では、T2N1M0(StageIIB)であると診断されている。肺がん診療ガイドラインによると、それぞれの病期の5年生存率は、72%と42%であり、本件見落としによって原告の肺がんの発見が遅れ、摘出手術が遅くなったことによる術後5年生存率の低下は30%と認定できる。
(2)肺がんに対する標準的な根治手術は、がんが発生した肺葉ごと切除して、その周囲のリンパ節を郭清するのが一般的であり、仮に医療センターでの健康診断の際に肺がんが発見されていたとしても、その際に受ける手術の内容が右肺下葉切除ではなく、より小範囲の下葉の切除にとどまったと認めるに足りる証拠はないから、肺の切除によって原告になんらかの身体症状が存在したとしても、本件見落としとは相当因果関係が認められない。
(3)医療センターでの健康診断の際に本件見落としがなく肺がんが発見され、速やかに適切な手術を受けていたとしても5年生存率は72%であり、死亡率は28%に達しているのであるから、かなりの程度の不安や恐怖を感じながら毎日の生活をすごさざるをえなかったと認められる。仮に原告が現在、がんの再発・転移を防ぐために家事や仕事を制限していたとしても、こうした制限は、本件見落としがなく早期に適切な手術を受けていたとしても、やはり死の不安や恐怖を免れるために行っていたものと認められるから、本件見落としとの間には相当因果関係が認められず、5年生存率の低下による不安等によって経済的損失が生じたとは認められない。
(4)原告の抱いている死への不安や恐怖は、本件見落としがなくても生じていたものであって、本件見落としによってその程度が高まったというものであり、しかもその程度が高まっていると評価すべき期間が現に手術を受けた2003年9月から5年間に限定されること、類似事案(B型肝炎ウィルスのキャリアの慰謝料を500万円とした札幌高裁平成16年1月16日判決)との比較、担当医師が原告に対して謝罪していることなどのいっさいの事情に照らすと、原告の精神的損害に対する慰謝料は、400万円と評価するのが相当である(ほかに弁護士費用相当の損害として50万円を加算)。
(5)前記慰謝料は、現在、原告が抱いている死に対する不安や恐怖に対するものにとどまるのであるから、仮に将来不幸にして原告に肺がんが再発し、死亡の結果が生じた場合には、その死亡の結果と本件見落としとの因果関係が認められる限り、あらためて被告らに損害賠償義務が生ずる。
なお、本件は控訴審での和解が成立している。