Vol.048 健康診断における読影での肺がんの見落とし

~肺がんの見落としと5年生存率の低下との因果関係を認めた事案~

-東京地裁平成18年4月26日判決、平成17年(ワ)第10681号損害賠償請求事件(判例集未登載)-
協力:「医療問題弁護団」加納 力弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

集団健康診断や個別健康診断において胸部XP上に異常陰影があったのにもかかわらず、読影時に見落とされたため肺がんの早期治療の機会を逸したとして、患者や遺族が損害賠償を求める事案は少なくない。特に集団健診においては、読影医師がこなすべきレントゲン写真の量が膨大となり、読影のための時間がごく短時間しか許されないために、診断自体の精度に自ずと限界があるのが実態であり、そうした中で発生する見落としについての当否、過失の有無は過去の裁判例の中で繰り返し争点となっているところである。
今回は、健診時における肺がん見落としと発生した損害との因果関係が問題になった事案で、新しい視点からの認定がなされた事例を紹介する。

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事実概要

2002年9月、原告(51歳女性)は地元A市が開設しているA市民医療センター(以下、医療センター)で、個別の有料健康診断(総合健康診査)を受診した。医療センターで原告の胸部XPを撮影したところ、肺に直径約1cmの異常陰影が存在していたが、担当医師はこれを見落とし、検査の2週間後、「胸部XPには異常がない」と判断し原告に対しその旨を説明した(実際にはT1N0M0のStageIであったと推定されている)。
その後2003年7月、原告はB医院でA市無料健康診断を受診し、肺に腫瘍の疑いがあると指摘された。同年8月、C病院で胸部CT検査を受けたところ腫瘍を疑われ、早期に手術をすることを勧められた。
原告は、同年9月、D病院で胸腔鏡下肺葉・区域切除術(VATS)の方法で右肺下葉を切除することとなった。このとき切除した腫瘍の病理診断は、肺がん(低分化型腺がん)であり、進行度分類はT2N1M0のStageIIBでありリンパ節転移は1群まで存在していた。
そこで原告は、医療センターの担当医師による肺の陰影の見落としによって肺がんの発見が遅れ、手術が1年遅れたために肺がんが進行し、手術で腫瘍は摘出したものの1年前に手術を受けた場合とくらべて5年生存率が低下したとして、担当医師とA市に対して損害賠償を求めた。

判決

原告の精神的損害に対する慰謝料を認容


判決の要旨は次のとおりである。
(1)原告が医療センターで健康診断を受けた時点の病期は、臨床的に見るとT1N0M0(StageI)と推定される。他方、D病院で右肺下葉の切除術を受けた後の病理学的診断では、T2N1M0(StageIIB)であると診断されている。肺がん診療ガイドラインによると、それぞれの病期の5年生存率は、72%と42%であり、本件見落としによって原告の肺がんの発見が遅れ、摘出手術が遅くなったことによる術後5年生存率の低下は30%と認定できる。
(2)肺がんに対する標準的な根治手術は、がんが発生した肺葉ごと切除して、その周囲のリンパ節を郭清するのが一般的であり、仮に医療センターでの健康診断の際に肺がんが発見されていたとしても、その際に受ける手術の内容が右肺下葉切除ではなく、より小範囲の下葉の切除にとどまったと認めるに足りる証拠はないから、肺の切除によって原告になんらかの身体症状が存在したとしても、本件見落としとは相当因果関係が認められない。
(3)医療センターでの健康診断の際に本件見落としがなく肺がんが発見され、速やかに適切な手術を受けていたとしても5年生存率は72%であり、死亡率は28%に達しているのであるから、かなりの程度の不安や恐怖を感じながら毎日の生活をすごさざるをえなかったと認められる。仮に原告が現在、がんの再発・転移を防ぐために家事や仕事を制限していたとしても、こうした制限は、本件見落としがなく早期に適切な手術を受けていたとしても、やはり死の不安や恐怖を免れるために行っていたものと認められるから、本件見落としとの間には相当因果関係が認められず、5年生存率の低下による不安等によって経済的損失が生じたとは認められない。
(4)原告の抱いている死への不安や恐怖は、本件見落としがなくても生じていたものであって、本件見落としによってその程度が高まったというものであり、しかもその程度が高まっていると評価すべき期間が現に手術を受けた2003年9月から5年間に限定されること、類似事案(B型肝炎ウィルスのキャリアの慰謝料を500万円とした札幌高裁平成16年1月16日判決)との比較、担当医師が原告に対して謝罪していることなどのいっさいの事情に照らすと、原告の精神的損害に対する慰謝料は、400万円と評価するのが相当である(ほかに弁護士費用相当の損害として50万円を加算)。
(5)前記慰謝料は、現在、原告が抱いている死に対する不安や恐怖に対するものにとどまるのであるから、仮に将来不幸にして原告に肺がんが再発し、死亡の結果が生じた場合には、その死亡の結果と本件見落としとの因果関係が認められる限り、あらためて被告らに損害賠償義務が生ずる。
なお、本件は控訴審での和解が成立している。

そのほかの事例

前記の裁判例は、肺がんの見落としが判明した後もなお、幸いにして患者が生存している事案であるが、以下、これと対照すべき裁判例を挙げる。いずれも患者死亡の事案である。

〈1〉勤務先の定期健診における肺がん見落としの事案(富山地裁平成6年6月1日判決、判時1539号118頁)
判決では、読影医師の過失を認定。高度の蓋然性をもってリンパ節転移がなかったと判断することは困難であり、発見後ただちに治療を行っても治癒可能性は認められないが、肺がんの進行を遅らせることは可能であったとして、早期に肺がんを発見して治療を開始する機会を奪われ、死期を早められた点に400万円の慰謝料が認容された。


〈2〉勤務先の定期健診における肺がん見落としの事案(東京地裁平成7年11月30日判決、判時1568号70頁、判タ911号200頁)
社内定期健診における胸部XP読影上の見落としについては、異常陰影発見の困難性、短時間での大量読影による限界などを理由に医師の過失が否定され、その後の個別診断については過失が認定されたが、当時すでにリンパ節に転移していなかったとは断定できず、当時の適切な処置によっても相当期間の延命利益は認められないとして、医師の過失と延命利益喪失との間に相当因果関係があるとは認められないとされた。


〈3〉〈2〉の控訴審判決(東京高裁平成10年2月26日判決、判タ1016号192頁)
判決は、一審判決の判断をほぼ全面的に引用したうえで、いわゆる期待権侵害の主張について医師の過失と患者に生じた結果との間に因果関係が認められない場合にまで、損害賠償責任を肯定しようとするもので、採用できないとして請求をしりぞけた。


〈4〉体のだるさなどの自覚症状から個別健康診断を受けたものの、胸部XP検査で認められた線状陰影を呈する肺がんを異常なしと判断された事案(札幌地裁平成14年3月14日判決、判例集未登載)
判決では、医師には精密検査等の受診を勧めるべき義務を果たさなかった過失があるとし、早期の治療により、少なくとも死亡の時点においてなお生存していたであろうと認められるとして、死亡との因果関係が肯定された(予想される延命期間を考慮し、慰謝料800万円を認容)。

判例に学ぶ

がんの見落としと患者の死の結果との因果関係は、主に、延命利益の喪失との因果関係として捉えられており、仮にその因果関係が認められない場合でも、がんの見落としによって受診者の医師に対する期待が裏切られた(期待権侵害)、あるいは受診者が適切な治療を受ける機会を失った(治療機会の喪失)などとして、2段階に考えるのがオーソドックスな考え方です。
延命利益の喪失のメルクマールとしては、平成11年2月25日に最高裁判決が「医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定される」(最高裁判所民集判例集53巻2号235頁、肝細胞がん見落としの事例)との判断を示しており、その後どれだけの期間生存しえたかは損害額の問題であって、因果関係の存否の判断をただちに左右するものではないとしています。
前記〈1〉~〈3〉の裁判例は、右最高裁判決以前の裁判例であり、いずれもリンパ節転移の有無によって現実とは違う転帰をたどったか否かを検討しているものの、延命利益の捉え方に違いが読み取れます。
〈1〉では延命の可能性を延命利益として捉え、因果関係はむしろ治癒可能性で判断しているようであり、〈2〉及び〈3〉では「相当期間の延命利益」として、数ヵ月程度の延命を念頭に置いて延命利益を判断しています。
他方、〈4〉では、前記の最高裁判決の手法に則り、現実の死の時点における生存を延命利益として捉え、誤診及び精密検査指示をしなかった不作為との因果関係を判断しています。
これに対し、冒頭に紹介した裁判例は患者がなお生存している事案であり、そもそも死の結果との因果関係という議論が成り立ちません。しかし、見落とされた肺がん自体は確実に増悪しており、単なる期待権侵害等の範疇に収まるものでもありません。
そこで着目されたのが、がんの見落としによる早期・適切な時期の治療機会の逸失による5年生存率の低下という点です。判決は、肺がんの見落としと5年生存率の30%の低下との因果関係を認めたうえで、5年生存率の低下による経済的損害は否定したものの、死への不安や恐怖の「高まり」を精神的被害として認めて、さらに、仮に将来肺がんの再発によって死にいたった場合には、別個の損害賠償の対象となりうることにまで言及しています。
これは、患者生存事案だからこそ成り立つ法律構成ではありますが、期待権侵害のように診療経過等の実情によって結論の異なりやすい法益侵害に比して、ガイドラインに従った5年生存率として数値上表されるものであるがゆえに、訴訟のテーブルに載りやすいとも言えるのではないでしょうか。冒頭で指摘したような定期健康診断(特に集団検診)の特徴と限界を、現状としてやむをえないものとしない医療現場からの改善が期待されるところです。