Vol.052 医療水準にかなった医療の実施を

~過失ある医療行為と患者死亡等との間に因果関係が認められなくても、医師が損害賠償責任を負うとき~

-最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決、平成9年(オ)第42号損害賠償請求事件、民集54巻7号2574頁、判時1728号31頁、判タ1044号75頁-
協力:「医療問題弁護団」安部 公己弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

医師側が医療過誤により責任を負うとされるには、注意義務に違反する医療行為と患者の死亡等の結果との間に因果関係が存在することが必要である。また、因果関係の認定には、1点の疑義も許されない自然科学的な証明までは必要ではないが、高度の蓋然性の証明が必要であるとするのが裁判例である(最高裁昭和50年10月24日第二小法廷判決、民集29巻9号1417頁、判時792号3頁、判タ328号132頁)。したがって、医療行為と患者の死亡等との間に因果関係が認められない、すなわち、その高度の蓋然性が証明されない場合には、医師側は責任を負わないのが、その一応の帰結である。しかし、そのような場合であっても、なお医師側が責任を負う場合のあることを認めたのが、今回紹介する判例である。

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事件概要

患者は、午前4時30分ころ突然の背部痛で目を覚まし、午前5時35分ころ夜間救急外来で上背部痛、心窩部痛を訴えて医師の診断を受けた。医師は、急性膵炎と狭心症を疑い、急性膵炎に対する薬剤を加えた点滴注射を行ったところ、患者が点滴中に「痛い、痛い」と言って、顔をしかめながら身体をよじらせ、大きく痙攣発作を起こした後、すぐにいびきをかき、深い眠りについているような状態になったので、体外心マッサージ、各種の蘇生術を施したが、午前7時45分に患者の死亡が確認された。そこで、患者の相続人が、医療施設に対して損害賠償を請求したのが本事件である。

原審判決

医師側の過失を認める


裁判所は次の事実を認めている。すなわち、患者は自宅で狭心症発作に見舞われ、心筋梗塞に移行していったのであって、診察当時、心筋梗塞は相当に増悪した状態にあり、患者は点滴中に致死的不整脈を生じ、容体の急変を迎え、不安定型狭心症から切迫性心筋梗塞にいたり、心不全を来して死亡した。
医師は、診察に際し、触診及び聴診を行っただけで、胸部疾患の既往症を聞き出したり、血圧、脈拍、体温等の測定や心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながら、ニトログリセリン舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった。
医師が患者に対して適切な医療を行った場合には、患者を救命しえたであろう高度の蓋然性までは認められないが、これを救命できた可能性はあった。

最高裁判決

医師側の過失を認める


最高裁は「疾病のために死亡した患者の診療にあたった医師の医療行為が、その過失により、当時の医療水準にかなったものでなかった場合において、上医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が証明されるときは、医師は、患者に対し、不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である」と判示し、「けだし生命を維持することは人にとってもっとも基本的な利益であって、上の可能性は法によって保護されるべき利益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるからである」と理由を述べ、原審(東京高等裁判所)がした慰謝料200万円、弁護士費用20万円の支払いを命じる判決に対する上告を棄却した。

判例に学ぶ

本判決は、患者救命の高度の蓋然性がなく、医師の過失ある医療行為と患者の死亡の結果との間の因果関係がない、すなわち、患者の死亡につき損害賠償責任が発生しない場合であっても、患者がその死亡の時点において、なお生存していた相当程度の可能性が証明されるときには、その可能性という法律上の利益を侵害したものとして、これについての損害賠償責任を認めるものです。
因果関係は、本来的に「あるか、ないか」の問題ですから、患者救命の高度の蓋然性が認められれば、死亡によって発生した損害の全額が賠償されるべきことになりますが、わずかにでも高度の蓋然性に及ばないときにはまったく賠償されないことになり、理屈のうえでは少しの判断の違いで正反対の結果となってしまうことになります。また、たとえば患者救命の可能性が50%であったと考えられるような事案では、高度の蓋然性があったとは認められないでしょうけれど、フィフティー・フィフティーの確率で救命できたものが、過失ある医療行為によってその可能性さえも失われてしまったと言えることになります。
そこで、これらの不都合を考えて、患者救命の高度の蓋然性が認められない場合であっても、過失ある医療行為があるときには、「適切な治療を受けて治癒する機会と生存する可能性を奪われたことの精神的苦痛は慰謝されるべきである」(東京地裁昭和58年1月24日判決、判時1082号79頁)などとして、患者の適切な医療を受ける権利(期待権)に対する侵害を認める下級裁判所の裁判例が多数出されてきました。また、仮に50%の救命可能性が認められる場合には、本来の損害の50%の賠償を認めようとする考え方もあります。
本事件において患者側は、主位的(第1次的)には過失ある医療行為と死亡との因果関係があるとして損害賠償を請求しましたが、因果関係の証明ができないことを配慮して、予備的(第2次的)にこのような期待権侵害による損害賠償を請求していたのであり、原審(東京高等裁判所)も、この期待権侵害を理由として損害賠償を認めました。
さらに、本判決は下級裁判所の動向を踏まえて、最高裁判所としての判断を示したものであり、新たに、患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性を法によって保護すべき利益と判断しています。
では、医師側が責任を負うこととなる「相当程度の可能性」とは、どの程度の可能性を言うのでしょうか。
本判決自体にはその具体的数値は示されていません。しかし本事件では「適切な救急治療が行われたならば、確率は20パーセント以下ではあるが救命できた可能性は残る」とされています。また本判決のあとに出された最高裁判所の裁判例で、完全回復率が22.2%あるなどの数値はむしろ相当程度の可能性の存在をうかがわせる数値である旨を判示するもの(最高裁平成15年11月11日第三小法廷判決、民集57巻10号1466頁、判時1845号63頁、判タ1140号86頁。なお、この裁判例は、後述するように患者に重大な後遺症が残った事案である)があります。これらからすると、その程度の可能性がひとつの目安となるでしょう。
次に、相当程度の可能性が認められる場合、どのような種類の損害について、どの程度の金額がその賠償責任として認められるのかを考えます。本事件では、慰謝料として200万円、弁護士費用として20万円を原審の東京高等裁判所が認めているのは前述のとおりです。このほかの事件においても、期待権侵害を理由として認められた損害額は数百万円とするものが多かったと思われます。
本判決後の下級裁判所の裁判例としては、医師が顔面痙攣の根治術である脳神経減圧手術を行った後、間もなく患者が脳内血腫を生じ、その結果死亡した場合について、小脳半球切除術を行えば、救命の高度の蓋然性があったとは言えないが、その相当程度の可能性があったとして、慰謝料1000万円と弁護士費用200万円の支払いを命じたもの(大阪高裁平成13年7月26日判決、判時1797号51頁)があります。
また、脳腫瘍摘出手術を行うことができる医療施設へ転送させるべき緊急性があったのに、医師がその判断を誤った過失が認められる場合で、患者救命の高度の蓋然性はないが、死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性が認められたとして、慰謝料400万円と弁護士費用50万円の支払いを命じたもの(東京高裁平成13年10月16日判決、判時1792号74頁)もあります。
死亡という結果自体に対して賠償責任を負う場合と同じではありませんが、慰謝料について考えてみると、問題となる医療行為が医療水準からどの程度乖離していたのか、また救命可能性が高度の蓋然性に準じるような場合であったのか、可能性としては低い場合であったのか、さらには患者の属性などによっても、その金額は変わってくるでしょうし、高額の慰謝料が認められ、あるいは慰謝料以外の逸失利益等の財産的損害にも及ぶ余地もないとは言えないでしょう。
本事件は、患者が死亡したケースですが、結果との間に因果関係が認められない場合であっても、なお損害賠償責任を負うことがあるのは、患者死亡の場合に限られるのでしょうか。この点で、前述の最高裁判所判決(最高裁平成15年11月11日第三小法廷判決)は、医師が転送義務を怠った場合について「適時に適切な医療機関への転送が行われ、同医療機関において適切な検査、治療等の医療行為を受けていたならば、患者に前記の重大な後遺症は残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは」、医師はその侵害についての損害賠償責任を負うとしています。この裁判例の事案は、当時小学校6年生の患者を診察した一般開業医が点滴によっても前日からの嘔吐の症状が治まらず、軽度の意識障害等を疑わせる言動があったにもかかわらず、総合医療機関への転送義務を怠り、その後患者に急性脳症による身体障害者等級1級の運動機能障害、精神発育年齢2歳前後、言語能力もないなどの重大な後遺症が残ったもの。この考え方が、重大な後遺障害一般さらには健康侵害一般にも及ぶものかどうかについては、今後の裁判例により明らかにされると思います。