担当医らの注意義務違反を認める
(1) 患者の死因は、局所麻酔薬アレルギーによる心不全、あるいは脳幹部脳梗塞か
裁判所は、この点について以下の判断をしている。すなわち「前記本件内視鏡検査等に関する事実関係のとおり、花子(患者)は、キシロカインを投与されてまもなく容体が急変している。そして、前記アナフィラキシーショック等に関する一般的な知見によれば、キシロカインには重大な副作用として、徐脈、不整脈、血圧低下、呼吸抑制、意識障害等のショック症状を生じ、まれに心停止を来すことが認められる。花子の症状のうち、急激な意識障害、呼吸低下及び徐脈、血圧低下は、前記キシロカインショックの症状と整合するものである。(中略)加えて、キシロカインショックは、キシロカイン投与後5分間ないし15分間にその大部分が発生し、その経過も前駆症状、進行症状を経て重症症状にいたることもあるというのである。(中略)そうするとキシロカイン投与と花子の容体急変の時間的近接性からすれば、他に有力なものが認められない限り、その死因はキシロカイン投与を原因とするショック症状であると推認するのが相当である」。
(2) 局所麻酔薬投与に際して、担当医らに注意義務違反があったか
裁判所は、「前記のキシロカインが有する副作用の危険性に対処するために、各能書に記載された基本的注意事項や一般に内視鏡検査の前処置として指摘されている事項からすると、本件内視鏡検査を担当したA医師及びB准看護師は、検査に先立ち、花子に対して十分な問診及び観察により、その全身状態を把握すべき義務を負っていたものと認められる。(中略)前記のように内視鏡検査の前に行うべき処置として指摘されている血圧測定については全身状態を把握するための基本的事項と考えられる上、外見上、特に変調が認められないことや本人からの不調の訴えがないからといって、血圧に異常がないとはいえないことからすると、内視鏡検査の前処置として局所麻酔薬を投与する前後は当然であるばかりでなく、検査中も時にこれを実施することが被験者の体調の変化を把握するために極めて重要である。(中略)これらのことからすると、A医師及びB准看護師がキシロカイン投与の前後や内視鏡の挿管前に花子の血圧測定を行っていないことは、その問診義務及び観察義務を怠ったものというべきである」とした。
(3) 花子の救命措置等について、担当医らに注意義務違反があったか
裁判所は、「前記認定のとおり、内視鏡検査の前処置としてのキシロカイン投与には、生命にかかわる重篤な副作用の危険性がある以上、これに対する救命措置態勢が周到に準備されていなければならないことはいうまでもない。特に、その重篤な副作用が発生する危険性は、内視鏡検査の前処置及びその検査を実施する部屋が一番高いのであるから、前記救命措置態勢の一環として、当該部屋に救命措置のための薬剤及び器具等が準備されていることが必須である。なぜなら検査を実施する部屋自体に救命措置のために薬剤及び器具等が準備されていない場合には、重篤な副作用に対して適時に救命措置が行えない危険性が大きいからである。(中略)したがって被控訴人(医師)には、救命措置のための救急カート等を内視鏡室に配備しなかったという点においても、本件における注意義務違反を認めるのが相当である」とした。
(4) 記録の不存在と注意義務違反の推認
また、裁判所は医師らが通常有しているであろう記録等がいっさい残されていない本件事情について以下のように判断し、医療機関である被控訴人(医師ら)が客観的資料を何ひとつ提出できないことによる不利益は被控訴人(医師ら)が負担すべきであるとしている。すなわち「花子の容体急変後、前記各処置がどのような時間的経過を経て、どのような身体状態の下で執られたのかは必ずしも明らかでない。すなわち、花子の血圧、脈拍、体温等のバイタルサインの推移や各処置の時刻等に関する記録が一切残されていないためである。このようなことは異常な事態といわなければならない。すなわち、本件当時、緊急を要する事態であったことを考慮しても、内視鏡室には花子の容体急変後まもなく、看護長をはじめ多数の看護師が応援に集まっていることがうかがわれるから、前記の記録を確保することが困難であったとは考え難い。被控訴人(医師ら)からは、花子の死亡という重篤な結果が生じているにもかかわらず、当時の心電図モニタの記録用紙も紛失したとして提出されないばかりでなく、前記救命措置の時間的経過に関する客観的な証拠も全く提出されていない。(中略)このように花子に対する救命措置の時間的経過について、医療機関である被控訴人(医師ら)が客観的資料を何一つ提出できないという事態は、花子に対する救命措置現場の混乱ぶりを如実に示すとともに何らかの不自然さを拭うことができないばかりでなく、本件訴訟における注意義務違反の立証に関する不利益、すなわち、内視鏡検査における局所麻酔薬による重篤な副作用が生じたときの本件病院の救命措置態勢の欠陥、ひいては担当医らの救命措置における注意義務違反を推認させるという不利益を、被控訴人(医師ら)が負うべきであるといわなければならない。そうすると、本件証拠をみるに、花子に対する担当医らの前記救命措置が適切なものであったことについては、これを認めるに足りる証拠は未だ不十分といわざるを得ない。その結果、花子に対する救命措置に関して、担当医らに要求される迅速かつ適切な治療行為を行うべき注意義務に違反したものと推認するのが相当である」というものである。