Vol.054 転送義務を怠った医師の過失の有無と義務の発生条件

~転送義務が認められる具体的なケースとは~

-最高裁判所平成19年4月3日第3小法廷判決、最高裁ホームページ掲載-
協力:「医療問題弁護団」神崎 浩昭弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

はじめに

患者の疾患、疾病の状態によって、ほかの医療機関へ転院をさせたうえでの治療を要する場合には、医師には転送をする法的義務が生じる。この転医義務について、平成19年4月3日の最高裁判所判決を紹介しつつ、検討を加えたい。

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事案の概要

精神科病院Aに入院中の患者Bが、消化管出血による吐血等の際に、吐物を誤嚥して窒息死した場合において、担当医に、適切な医療機関に転送する義務違反等の過失があったかどうかが争われた事案である。

事件の経過

Bは、昭和41年3月生まれの男性で、昭和58年ごろから異常行動が見られるようになり、同年11月、統合失調症と診断されて精神科病院Aに入院していた。
Bは、平成9年ごろからは、Aの看護師等からの問いかけに対してごく簡単な応答をしたり、意思疎通を図ることは困難であった。平成13年1月以降、Bは、不穏で落ち着かない様子を示すことが多くなり、同年9月13日の診療録には、看護師がバイタル検査をするのも困難で、CT検査ができる状態でなかった。そうした経過の中で、Bは、平成13年に死亡するが、その死亡当日の経過は以下のとおりである。
死亡するにいたった日の午前5時ごろ看護師が巡回したところ、Bの衣類が汚物で汚染され、コーヒーかすのような少量の吐血が認められた。Bの体温は36度8分、脈拍は、90/分、血圧は98/60であった。看護師が、Bに「おなか痛いの?」と聞くと、Bはうなずいた。午前8時ごろ、Bは朝食をなかなか摂取しなかったため、いったん膳が下げられたが、再度配膳されると自力で全量摂取した。その際、Bに吐き気や嘔吐は見られなかった。
午前9時におけるBの体温は、35度4分、脈拍は84/分、血圧は80/60であった。看護師は、Bに腹部等に痛みがあるかと尋ねたが、Bは、「ウーウー」と叫ぶだけであった。Bの顔色は不良であったが、苦痛の表情はなかった。
午前10時30分、医師であるAの担当医がBを診察したが、Bは、問いかけに対して「アーウー」と叫ぶだけであった。午前10時40分、Aから連絡を受けたBの母であるXがBに面会したが、Bは、何を尋ねられても「ア、ア」と叫ぶだけであった。担当医はBの吐血は消化管出血によるものであろうと考え、Xに対し、Bに消化管出血があるが、朝食を食べたため、今すぐには内視鏡検査をすることはできないこと、胃潰瘍等に対する内服薬(デダガストン及びセルベックス)を投与して様子を見たうえで胃腸科の専門病院に内視鏡検査を依頼する予定であることを伝えた。
午後0時、Bはりんごのすり下ろし及び昼食の3分の2を摂取した。吐き気、嘔吐はなかったが、食べ物を口の中に入れてもなかなか飲み込もうとせず、清涼飲料水で流し込むようにして食べた。そのため看護師は、誤嚥に注意し観察を密にすることにした。
午後2時、Bは眠そうにしており、体温37度3分、脈拍72/分、血圧80/60で吐き気はなかったが、顔色の不良は変わらなかった。
午後3時30分、Bは、体温38度2分に上昇し、脈微弱で酸素飽和度87%、心拍数78/分、唇色不良となった。Bを診察した副園長は、強心剤を注射するよう看護師に指示し、午後3時40分、看護師がBに強心剤を注射した。この時点でBに肩呼吸が見られたため、担当医の指示により、看護師がBを酸素吸入設備がある病院に移動させて酸素吸入及び点滴を行った。
午後4時30分、Bの体温は、38度9分で脈微弱のままであったが、四肢冷感や口唇及び爪のチアノーゼはなく、ときどき「ア、ア」と叫んで体動もあった。午後4時50分になって、Bは、食物かすの混じった血を多量に吐いた。Bは、脈が触れず、意識もなくなったが、かすかに反応はあった。担当医の指示により、吐物吸引、心マッサージ、強心剤の筋肉注射等の措置がとられたが、Bは、午後5時14分に呼吸停止となり、死亡が確認された。
病理解剖の結果、胃の内容液で気管支が満たされている誤嚥性肺炎が認められたほか、空腸に直径約10ミリの穿孔と多発性潰瘍が見られたが、腹膜炎等の所見はなかった。解剖担当の診断では、直接の死因としては吐物の誤嚥による窒息として矛盾せず、穿孔の原因は確定することはできないとされた。
Bの直接の死因は、死亡した午後4時50分に食物かすの混じった血を多量に吐いたBが吐物を誤嚥したため気道から気管支内に吐物が入ったことによる呼吸不全(窒息)である。

判決

「Aの転送義務違反を認める」との原審判決を破棄・差し戻し


平成18年6月15日に言い渡された仙台高等裁判所における原審(控訴審)判決は、死亡当日の午前5時ごろにはBの衣類が吐物で汚染されてコーヒーかすのような少量の吐血が認められ、担当医も、午前10時30分ごろにBを診察して消化管出血を認識していたことを根拠として、「午後3時30分ごろ、Bがショックに陥った原因が消化管潰瘍の典型的症状であるから、担当医としては、嘔吐や吐血が生じることを予想し、ショックに陥って自ら気道を確保することができなくなったBが吐物を誤嚥しないようにすべき注意義務があった。その時点で適切な医療行為を行うことができる病院に転送すべき注意義務等があり、担当医には同義務を怠った過失があるとした」が、今回の最高裁判決は、以下のとおり判示して、原審判決を破棄して再審理のため原審に差し戻した。
最高裁判決は、「午後3時30分の時点で、発熱、脈微弱、酸素飽和度の低下、唇色不良といった呼吸不全の症状を呈していたが、心拍数は78であり頻脈とはいえず、酸素吸入等が行われた後の同日午後4時30分の時点では口唇及び爪のチアノーゼや四肢冷感はなく、体動も見られたというものである。また、この時点で血圧が急激に低下したような形跡はなく、嘔吐、吐血、下血、激しい腹痛といった、循環血液減少性ショックの原因になるような多量の消化管出血を疑わせる症状があったということもうかがわれない。さらに、病理解剖の結果、空腸に穿孔が見られたが腹膜炎等の所見はなかったというのであるから、上記の時点でBが胃の内容物で腹腔内が汚染されたことによる感染性ショックに陥っていたとも考えがたい。これらの事実に照らすと、午後3時30分の時点でBが発熱等の症状を呈していたというだけで、Bの意識レベルを含む全身状態等について審理判断することなく、この時点でBがショックに陥り自ら気道を確保することができない状態になったとして、このことを前提に、Aに転送義務または気道確保義務に違反した過失があるとした原審の判断には経験則に反するものがある」と判示し原審判決を破棄し差し戻した。

判例に学ぶ

最高裁判所は、医療過誤事案に関し、平成7年以降、20ケース以上で高等裁判所の判決を破棄し再審理や自判をしてきており、本件もその1例です。ただ、これまでの破棄判例は、患者側敗訴判決についての破棄判例であり、今回のように医療機関側が敗訴した原審判決を破棄して差し戻したケースは珍しいです。
しかし、本件においても、最高裁判所は、医療機関側に過失がなかったと判断(つまり、医療過誤がなかった)・断定したわけではありません。むしろ、最高裁判所は、ほかの医療機関への転送義務に関して、開業医に通院していた患者に薬剤投与の結果発疹が認められたため他院に検査入院しましたが、転院先で薬剤副作用による顆粒球減少症で死亡した事案において、「開業医の役割は、風邪などの比較的軽度の病気の治療にあたるとともに、患者に重大な病気の可能性がある場合には高度の医療を施すことのできる診療機関に転医させることにある」との一般的説示をしたうえで、「開業医が本症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与された患者について薬疹の可能性のある発疹を認めた場合においては、自院または他の診療機関において患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務がある」(最高裁判所平成 9年2月25日判決、判例時報1598号70頁)としており、転送義務が発生する条件として、事案ごとの具体的な状況の検討を要求しているのです。
この観点で、本件を見てみると、午後3時30分のBの状況の把握が不十分であり、その直前の午後1時ごろから午後3時30分までのBの状況の把握が不可欠との趣旨での破棄差し戻し判決と見るべきです。すなわち最高裁判所の転送義務に関する考え方は、これまでの判決とまったく変化はしていないと考えるべきでしょう。
本件においては、差し戻し審での午後3時30分以前のBの状況の審理が注目されています。