-東京地方裁判所民事第14部平成18年7月13日判決、裁判所ホームページ掲載、平成16年(ワ)第26969号損害賠償請求事件-
協力:「医療問題弁護団」石原 俊也弁護士
* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。
はじめに
医師は、初診時、患者の説明をもとに患者の疾患内容を予測し、必要な検査や治療を施します。事後的に見れば疾患内容とそれに対して必要な検査・治療が明らかな場合であっても、初診時、患者の説明だけから本当の疾患内容とそれに対して必要な検査・治療が常にわかるものでしょうか。患者の説明から想定できない疾患に必要な検査・治療を行う義務が発生することはあるのでしょうか。今回は、患者が説明せず、逆に否定している疾患について、それを想定した検査を行う義務を認めた判例を紹介します。
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事案の概要
本件は、自宅の外階段で転倒したAが救急車でY病院に搬送され、左大腿骨頚部骨折及び骨盤骨折の疑いとの診断を受けて入院し、数時間後、意識レベルが低下して声かけに反応しない状態に陥り、頭部のレントゲン検査及びCT検査を受けた結果、頭蓋骨骨折、硬膜下血腫、脳室内出血が確認され、脳神経外科のある病院に転送されて開頭血腫除去術を受けたものの、頭部外傷による急性硬膜下血腫を原因として死亡した事案である。
Aの妻子である原告X1、X2、X3は、Y病院搬送時に診察したB医師に頭部外傷を疑い頭部のレントゲン検査ないしCT検査を実施するなどの注意義務に違反した過失があると主張し、被告Y病院に対し不法行為(使用者責任)にもとづき、死亡による慰謝料及びこれに対する遅延損害金の支払いを求めた。
患者死亡までの経緯
平成14年9月20日午前11時前後ころ、Aは自宅の勝手口から下方の道路に降りるためのコンクリート製の外階段で転倒し、その踊り場に座り込んでいたところを間もなく帰宅した原告X1に発見され、午後0時51分、原告X1が呼んだ救急車でY病院に搬送された。搬送の際、Aは通常に会話でき、自宅の外階段で転倒したこと、主に左大腿部痛があることを説明し意識清明と判断されたため、救急隊員は脳神経外科のないY病院へ搬送した。
Y病院搬送後、AはただちにB医師による診察を受けた。B医師は、救急隊員から報告を受けるとともに、Aに対して問診を行ったが、その際もAはごく通常に会話でき、自宅の外階段で転倒したことや左股関節が痛いことを告げるとともに、頭や首などを打っていないかとの質問に対して、頭や首などは打っていないし痛くもないと明確に答えた。そこでB医師は、Aにつき本件転倒事故によって頭部を打った可能性はないと判断し、それ以上に、本件転倒事故の経過、態様等(本件階段の形状、階段からの転落の経過、原因等)を具体的に質問せず、Aが左手痛及び左股関節痛、左大腿部痛を訴え、また、左肘及び右手に擦過傷左手に挫創(出血)が認められるなどしたことから、専ら股関節付近、手指及び胸部の異常の検索を主眼に同部位のみについてレントゲン検査及び骨盤CT検査等を実施するに留め、頭部についてはレントゲン検査やCT検査を実施しなかった。なお、レントゲン検査及びCT検査の際にも、B医師は頭や首などは痛くないかと質問したが、Aは痛くないと答えた。
右記診察の結果、午後2時30分ころ、Aは安静及び経過観察を目的として入院したが、午後5時ころ、意識レベルが低下して声かけに反応がないという状態に陥ったため、ただちに頭部のレントゲン検査及びCT検査を受け、その結果、頭蓋骨骨折、硬膜下血腫、脳室内出血が確認されたことから、午後6時ころ脳神経外科のあるD病院に転送された。
Aは、同日午後8時ころD病院で緊急手術として開頭血腫除去術を受けたが、その後意識の回復しないまま、12月9日に死亡した。
Aの死因は本件転倒事故で頭部を打った際の頭部外傷による急性硬膜下血腫であり、右記で確認された頭蓋骨骨折、脳室内出血等も本件転倒事故で頭部を打ったことによって生じたものであった。なお、転送時D病院においてもAの頭部外傷について検索がされたが、骨折部位の頭部表皮に針で突いた程度のピンホール様の傷から血が滲んでいるといった微小な痕跡しか発見されなかった。
原告らの主張
B医師には、Aの頭部外傷を疑って頭部のレントゲン検査ないしCT検査を実施するなどの注意義務があった。なぜならB医師は、高齢のAが大腿骨頚部骨折及び骨盤骨折を生ずるような強さで外階段で転倒したことを把握したのであるから、問診等によって頭部外傷の可能性を否定することができた場合は別として、そうでない限りは頭部外傷の可能性があるものとして、その有無を確認するために頭部のレントゲン検査ないしCT検査を実施すべき診療上の注意義務を負っていたというべきだからである。
仮に、Aが当時意識清明で、問診に対して頭や首は打っていないし痛くもないと明確に答えたとしても、頭部外傷の場合には一見すると意識障害がなさそうに見えても外傷性健忘(逆行性健忘ないし外傷後健忘)を来たしている可能性があるから、問診では単に頭を打ったかどうかを問うだけでは足りず、受傷の瞬間を思い出せるかどうか、どのような経過、態様で転倒したのかを詳しく問う必要があったのに、B医師は、そのような具体的な質問をする義務に違反した。
被告の主張
レントゲン検査及びCT検査は、患者の放射線への被曝をもたらすもので、適応がなく不必要な場合には行うことができない。頭部のレントゲン検査及びCT検査を実施するためには、問診における患者本人の主訴や臨床所見からして頭部外傷の存在が認められる、または疑われることが必要である。
B医師は、救急隊からの報告のほか、初診時における問診で、Aに対して頭や首、背中を打っていないか、意識がなくなったことはないか、麻痺、しびれなどの症状はないかなどと、複数回にわたって確認し、Aから「頭や首、背中は打っておらず痛くもない、痛いのは左足の付け根である、意識もなくなったことはない」などと明確な回答を得ており、さらに頭部外傷の損傷を念頭に置いて四肢の運動や感覚の確認、外表検査における頭部の傷の確認、バイタルサインの確認をしており、その結果、頭部外傷の恐れはなく、それゆえ頭部のレントゲン検査等も必要ないと判断したのであって、なすべき診療を尽くしており、なんら注意義務違反とされる点はない。
判決
B医師につき、初診時に外傷性健忘のことも念頭に置いて、転倒事故の経過、態様等(本件階段の形状、転倒ないし転落の経過及びその原因等)を具体的に質問し、その結果、外傷性健忘が疑われるなどして、頭部外傷の疑いが残る場合には、その有無を確認するために頭部のレントゲン検査ないしCT検査を行うべきであるとの診療上の注意義務の存在を認めたうえで、以下のとおり判示した。
「事後的・客観的にみる限り、Aは、本件転倒事故により頭部を頭蓋骨骨折が生じたほどの強さで打っていたことが明らかであるにもかかわらず、B医師による問診時に頭は打っていないなどと明確に答えたというのであるから、その時点で外傷性健忘を来たしていたことが優に認められるのであり、同医師が前記の事故態様等についての詳細な問診を実施していれば、Aが本件転倒事故の具体的な経過、態様等を明確には覚えていないことが判明した蓋然性が高く、したがってまた、Aが外傷性健忘に陥っており、頭部外傷の疑いが残ることを容易に認識でき(この点、X1証言によれば、Aは原告X1に発見されたとき、どこからどのように落ちたのかわからないと答えていたことが認められる)、頭部のレントゲン検査ないしCT検査が実施されることになったであろうことが認められる。そうすると、B医師には右記診療上の注意義務の違反があると言わなければならない」
裁判所は、因果関係についてもこの注意義務違反がなければAが救命された蓋然性が高いと認定し、死亡したことによるAの精神的苦痛に対する慰謝料として1000万円、夫ないし父を失ったことによる原告らの精神的苦痛に対する慰謝料として合計500万円、総額1500万円の支払いを命じた。
判例に学ぶ
本判例は、初診時に、具体的事実関係(本件の場合、高齢者が大腿骨や骨盤の骨折を生じる強さで階段で転倒したという事実関係)に照らし、一般的に頭部を打った可能性があると言える場合は、外部的症状が見当たらず本人が頭部を打ったことはないと明言していても、外傷性健忘のことを考慮し、外傷性健忘の状態にないことを確認する問診を行い、その結果、頭部外傷の疑いが残る場合には頭部レントゲン検査ないしCT検査を行う義務があるとするものです。
被告は主張していませんが、B医師が問診において何度も繰り返しAに対し頭部を打ったことがないかと尋ね、Aから記憶を失ったことはないとの回答を得たりしているのは、B医師がAの外傷性健忘を疑い、外傷性健忘の状態にないことを確認しようとしていたためと考えられ、そのように考えると十分な問診を行っていないとする本判決はB医師に酷な内容とも言えます。
しかし、外傷性健忘の状態の患者に、健忘を疑って直接に頭部を打っていないか、記憶を失ったことがないかと質問しても、打っていない、失ったことはないと返事をされるのは当然の結果とも言えるので、この質問をすることが外傷性健忘の状態にないことを確認する問診として不適当であることも明らかです。
したがって、結局、裁判所の言う「外傷性健忘の状態にないことを確認する問診」をB医師が十分にしていないという結論に変わりはないでしょう。
また、本判決は、外傷性健忘の状態にないことを確認する問診を、より具体的には事故の際の経緯や態様、原因等について質問することとしていますが、怪我人の初診時、常にこの質問をすればそれだけで十分な問診となり注意義務を尽くしたと認められるわけでもないことに注意が必要です。
外傷性健忘の状態にないことを確認する問診としての具体的な質問とは、あえて一般的に言えば、「健忘状態にあったら答えることができない問い」を、それぞれの具体的状況に応じてその場で考えて行うことになると思われます。
事故の際の経緯や状況について質問することは多くの場合それに該当することになると思われますが、それでも答えを聞いて、健忘状態であっても出せる答えでないかを考えてみる必要があるでしょう。つまり、本件で仮にどのように落ちたのかを聞いていたとしても、階段から落ちたとの答えを得た程度では、十分とは言えないのです。