Vol.067 糖尿病性腎症の検査・治療が遅れ病院の責任が認められた事例

~腎機能低下が可逆的な段階での早期発見を~

-東京地裁平成15年5月28日判決-
協力:「医療問題弁護団」馬場 望弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事件内容

患者A(昭和21年生・女性)は、被告Y医療生活協同組合が設置する病院(以下「被告病院」という)において、内科の担当医師Bから、高血圧、狭心症等の診断を受け、B医師のもとで通院治療を継続していた。
初診から約8ヵ月後、Aは交通事故に遭い、被告病院に入院することになったが、その入院時の検査の結果、腎機能が著しく悪化していることが判明した。
その後Aは人工透析治療を受けるようになり、透析治療開始から約4年半後、慢性腎不全により死亡した(当時52歳)。
本件は、患者Aの家族が、被告病院がAの糖尿病や糖尿病性腎症についての検査や治療を怠り、腎機能を不可逆的な段階にまで悪化させてAを死亡させたとして、被告病院に対し、医療契約上の債務不履行にもとづき慰謝料合計2500万円の支払いを求めた事案である。

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事件の経過

Aは、平成4年9月28日、息切れ、めまい、動悸の症状を訴え、被告病院の内科を受診し、高血圧、狭心症、高脂血症、痛風との診断を受け、通院治療を継続することになった。同日実施された血液生化学検査の結果は、血糖値が289mg、尿素窒素が24.5mg、クレアチニンが1.6mgであった。なお、Aは、10月5日の診察の際に、B医師に対し、以前の病院で、7、8年前から中間糖尿病と言われていたと申告している。
その後、平成5年4月11日の検査で糖尿病の診断がなされ、4月25日から5月30日までの間、受診のたびに空腹時血糖の検査が行われた。空腹時血糖の数値は4月25日が125mg、5月12日が110mg、5月30日が114mgと推移した。
Aは、平成5年6月3日深夜、交通事故に遭い、救急車で被告病院に搬送されて入院し、頭部打撲、脳震盪などと診断されて診療を受けた。検査の結果、尿素窒素が51.6mg、クレアチニンが5.3mgの高値を示し、Aの腎機能が著しく悪化していることが判明した。
Aは、6月7日に退院したが、8月2日から再び入院し、8月16日、人工透析が導入された。その後、9月29日まで被告病院に入院して人工透析治療を受け、退院後も週3回通院して同治療を受けたが、11月以降は自宅近くのクリニックで人工透析治療を受けていた。
平成10年4月27日、Aは、慢性腎不全により死亡した。

原告の主張

〈債務不履行〉

初診時の血糖値が289mgで糖尿病であることを示していたこと、尿素窒素、クレアチニンの数値から腎機能の悪化も認められたこと、以前の病院で7、8年前から中間糖尿病と言われていたと申告していたことからすれば、B医師は、平成4年10月5日の時点で、Aが初期の糖尿病性腎症に罹患していることを疑い、これを放置すれば腎機能が不可逆的な段階にまで悪化することを予見できた。
したがって、B医師はただちに微量アルブミン尿の検査を行い、Aが早期腎症の段階にあることを確かめるとともに、尿素窒素とクレアチニンの検査を継続し、腎症がこれ以上進行しないように食事療法、運動療法などにより厳格な血糖と血圧のコントロールを行うべきであった。
ところが、B医師は、微量アルブミン尿の検査をいっさい行わず、尿素窒素とクレアチニンの検査も、平成5年6月4日に交通事故に伴って実施されるまで行うことがなかった。
また、B医師はAに対し、糖尿病を意識した治療を行っておらず、仮に糖尿病を意識していたとしても、これに対する十分な治療を行っていない。

〈因果関係〉

Aの死因は慢性腎不全であるが、その原因が糖尿病性腎症であることは明らかである。初診時のAの糖尿病性腎症は軽度であり、可逆的な段階にあったが、B医師が必要な検査を行わず、 Aの糖尿病性腎症を漫然と放置したため、平成5年6月4日の時点で腎機能は不可逆的な段階まで悪化し、結局人工透析を導入するしかない状態となった。人工透析導入後の予後は女性のほうが男性よりも悪く、4年程度で死亡する率が高いが、Aの場合もその例のとおりとなった。
したがって、被告病院の債務不履行と腎症の悪化、死亡との間には因果関係がある。

被告の主張

〈債務不履行〉

Aの初診時の尿素窒素の数値は参考値をわずかに上まわったにすぎず、クレアチニンの数値もほぼ基準値内にあった。したがって、Aの検査数値に異常はなく、糖尿病性腎症を疑うべき状況ではなかったから、その後1年もたたないうちに腎機能が急速に悪化すると予見することは不可能であり、交通事故以前に、B医師が尿素窒素やクレアチニンの再検査を行う義務はなかった。
また、糖尿病と診断されてから微量アルブミン尿が出現するまでには5年以上かかるのが通常であるので、Aが糖尿病の診断を受けてから1年もたたないうちに尿検査をしても、微量アルブミン尿が出現する可能性は低い。したがって、B医師には腎症の悪化を予見して微量アルブミン尿の検査を行う義務もなかった。
B医師は、Aが糖尿病であると判断した後、糖尿病を意識した治療を開始し、食事療法と運動療法の指導をしたうえで塩分制限や降圧剤の投与により、血圧コントロールを行った。また、毎回の受診時に空腹時血糖の検査を行い、血糖コントロールが良好であることも確認していた。したがってB医師は、糖尿病について十分な治療をしたと言うべきであり、この治療は、糖尿病性腎症の治療にも有効であった。

〈因果関係〉

Aの慢性腎不全の原因が糖尿病性腎症であったかどうかは、腎生検を行っていない以上、不明である。Aの腎機能は、交通事故後に急速に悪化しているのであり、腎機能の急速な悪化と交通事故との因果関係がないとは言えない。
Aの慢性腎不全の原因が糖尿病性腎症にあったとしても、B医師は、腎機能の悪化を防止するために、血糖と血圧のコントロールを行っていたのであり、それにもかかわらず腎機能が急速に悪化したのは、Aの自己管理に問題があったからとも考えられる。仮に検査によって腎機能の悪化が早期に判明したとしても、血糖と血圧のコントロール以外に有効な治療方法はなく、腎機能の悪化を阻止することはできなかった。

判決

債務不履行及び債務不履行と死亡との因果関係を認める

〈債務不履行〉

B医師は、平成4年10月5日、初診時の血糖値が289mgと高い数値であったことから、Aがそれほど重くない糖尿病に罹患していると判断し、尿素窒素とクレアチニンの数値から、軽い腎機能障害が生じているとも判断した。同日、B医師は、Aから、7、8年前から中間糖尿病と言われていたとの申告を受けているから、この申告と結びつけて考えれば、Aの腎機能障害が糖尿病を原因として生じているものであることを疑い、その糖尿病性腎症が早晩不可逆的な段階にまで悪化するかもしれないと予見することは容易であったと言うべきである。
糖尿病性腎症は、微量アルブミン尿の検査をすることにより、持続性蛋白尿発生以前の可逆的な時期に発見することができる。微量アルブミン尿は、糖尿病以外の疾患でも出現することが知られているので、糖尿病性腎症の存在を早期に特定するには、いったん糖尿病と診断されたら、1年に1回は微量アルブミンが出ていないかどうかを検査すべきである。
そうすると、B医師には、平成4年10月5日の時点で、Aが初期の糖尿病性腎症に罹患していることを疑い、これが早晩不可逆的な段階にまで悪化するかもしれないと予見して、これを回避するために、尿素窒素やクレアチニンの再検査、微量アルブミン尿の検査を行いながら厳格な血糖と血圧のコントロール等の治療を行うべき義務があったと認められる。
ところが、B医師は、Aの糖尿病は軽いので腎機能検査は行わなくて良いと判断し、交通事故後に外科で検査が実施されるまで尿素窒素やクレアチニンの再検査が行われることはなく、微量アルブミン尿の検査はいっさい行われなかった。
また、B医師は、Aに対し「太っているから腹八分目にして、毎日よく体を動かすように」という指示をしただけであり、これでは糖尿病の治療としての食事療法や運動療法を指導したことにはならない。加えて、糖尿病の進行程度を把握するために不可欠な血糖の検査も、初診の後は平成5年4月11日まで実施されておらず、Aに対し、厳格な血糖コントロールが行われていたとは認められないし、早期腎症に対する厳格な血圧コントロールが行われていたとも言えない。
したがって、被告病院には医療契約上の債務不履行があったと言わなければならない。

〈因果関係〉

Aの死因となった慢性腎不全の原因は糖尿病性腎症であったと認めることができる。交通事故前の8ヵ月間、尿素窒素やクレアチニンの検査は行われていないから、Aの腎機能が交通事故後に急激に悪化したかどうかは不明である。
Aの糖尿病に対し、早期腎症の段階で糖尿病性腎症を発見し、これに対する治療として厳格な血糖と血圧のコントロール等を行っていれば、少なくとも糖尿病性腎症の進行を遅らせることができたといえ、平成5年8月に人工透析を導入することにはならなかった蓋然性が高く、死亡時期も遅らせることができたと考えられる。
したがって、被告病院の債務不履行と糖尿病性腎症の悪化、そして死亡との間には相当因果関係があると認められる。

判例に学ぶ

糖尿病性腎症は、腎機能の低下が可逆的な早期の段階で発見され、血糖と血圧のコントロール等の適切な治療がなされれば、その進行を遅らせることができますが、診断が遅れ、腎機能の低下が不可逆的な段階に入るまで悪化してしまうと人工透析の導入が余儀なくされ、やがては死にいたることになります。
本判決は、糖尿病の重さにかかわらず、わずかでも腎機能障害を示す検査値が認められた場合には、糖尿病性腎症の発症を疑って万全の対応をすることが求められるとし、早期診断の重要性についての再認識を促しています。