Vol.064 診断・治療の遅れが生命にかかわる疾患の鑑別診断を尽くす必要性

~鑑別診断が遅れた医師らの責任~

-福岡高裁平成18年7月13日判決(判タ1227号303頁)-
協力:「医療問題弁護団」伊藤 律子弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事実経過

A(当時48歳)は、2000年5月23日、勤務中に右膝を負傷し、整形外科医院を受診したところ、レントゲン検査で右膝部に異物が認められたため、同日、同医院の紹介でY1市立病院救急外来を受診した。Aは同院B医師の執刀により局所麻酔下で異物を摘出し、感染予防のためペンローズドレーンを留置して創部を閉鎖する手術(以下、本件手術)を受けて、同日夜に帰宅した。
Aは、同月25日にY1市立病院整形外科外来を受診した際、手術創の痛みを訴えたため、B医師はAを入院させた。同月31日午後7時ころ、Aは、「1、2日前から胸が苦しくなることがある。夕方のシャワー使用後にも同じ症状があった」などと看護師に話し、同室の患者もAがシャワー後、苦しそうに病室に戻ってきたのを見たと告げた。6月1日午前5時30分ころ、Aはトイレから病室に戻る際に、意識を消失して廊下で転倒しているところを看護師に発見された。Aはすぐに意識を取り戻したが胸苦しさ、息苦しさを訴え、チアノーゼが認められた。血圧は113/70、脈拍数は毎分82回であり、不整脈は認められなかった。
B医師は、午前9時ころ、C医師に診察を依頼し、心電図検査によれば「II、III、aVF、V1、2negativeT、V3、4、5、軽度ST上昇がある」ように見える旨と、Aが以前、心室性期外収縮を指摘されたことがある旨の2点を申し送った。午前9時前に採血された血液検査の結果、血小板数16.9万個、白血球数は1万3200個、LDHは1035IU/L、CKは141IU/Lだった。また、Y1市立病院からの搬出前の心電図検査によれば、「III、aVF、V1、2、3、4においてT波逆転」との所見が得られた。
C医師は、急性冠不全症、または急性心筋梗塞を疑い、高次医療機関での精密検査及び加療が必要であると診断し、A及びAの妻の了解を得て、同日午前9時30分ころY2病院にAの受け入れとドクターカーの出動を要請した。
同日午前10時15分ころ、Y2病院のドクターカーがY1病院に到着した。C医師からY2病院のD医師に対し、Aについて、[1]本件手術後、入院中であること、[2]6月1日午前5時30分ころ突然意識消失発作を起こして転倒し、胸部の違和感も訴えたこと、[3]30日くらい前から胸部の違和感が存在したとのこと(この点は、本判決中で不正確な情報提供であったと認定されている)、[4]6月1日の心電図検査の結果、急性冠不全症、または急性心筋梗塞が疑われることなどの説明及び診療情報提供書が交付され、前年に心室性期外収縮を指摘されたが治療の必要性なしとのことであった旨が申し送られた。
Aは、同日午前10時55分ころY2病院に搬入されたが、その時点で酸素毎分3Lの投与下で、血圧143/86、脈拍数96、動脈血酸素飽和度97~98%、胸痛、胸部不快感なしであった。同時点での心電図検査では、III、aVF、V1~3のT波陰性化、他の誘導でのSTの平低化の所見が認められたが、右軸偏位及びV1でのγSγ'パターン、V1でのR波の増高及びV6でのS波の増高は認められなかった。
Aは、同日午前11時20分ころから緊急冠動脈造影検査を受けたが、器質的狭窄の所見はなかった。エルゴノビン負荷テストを行ったところ左前下行枝に90%狭窄のれん縮が認められ、かつAが胸部不快感を訴えたためニトロールを冠動脈内に注入したところ症状及びれん縮の所見は消失した。D医師、循環器科部長E医師を含む医師5~6名で合議検討した結果、Aは冠れん縮性狭心症と診断した。
Aは同日午後1時10分ころ、Y2病院集中治療病棟に入院し、抗凝固薬(ヘパリン)とカルシウム拮抗薬(ヘルベッサーR)の各投与を受けた。同日午後2時ころ心エコー検査が実施され、右室径は29.5mm、収縮期左室径は26.8mm、左室壁の動きは良好で、右室負荷を示す心室中隔の平坦化や奇異性運動は認められなかった。同日午後5時31分ころからホルター心電図検査が開始された。同日午後9時30分ころ、圧迫帯が除去された。同日午後10時ころ、Aが座位になってしばらくして胸痛を訴えたため心電図検査が実施されたが、Y2病院搬送時点のものと特段変わりがなかった。
6月2日午前3時ころ、Aは看護師に対し、「寝ていると息が止まって苦しくなって目が覚める。起きているときはどうもない」と穏やかに話した。同日午前5時ころ、看護師が診た際も胸痛、胸部不快感、呼吸苦の訴えはなかった。ところが、同日午前6時50分ころ、Aは気分不良を訴えると意識を消失し心拍数が毎分50~60台となった。約1分後に意識を取り戻したが、同52分ころから再びしばらく意識を消失した。血圧は80台、心拍数は毎分48回であり、顔色不良でチアノーゼや冷や汗が認められた。ホルター心電図検査において右脚ブロック及びV2~4にてST上昇の所見が診られた。D医師は、同55分ころ、Aにニトロール投与を行うとともに、午前7時25分ころ心エコー検査を実施した結果、右心室拡張が著明で心室中隔の奇異性運動を認めたことから、初めて肺塞栓症の疑いありと診断した。
午前7時55分ころ、肺動脈造影検査のため血管造影室へ移動しようとベッドを動かしたところAは再び意識を消失し、呼吸停止、高度徐脈を生じた。D医師は心肺蘇生措置を講じる一方、肺動脈の血管造影検査を実施したところ、肺動脈内に血栓を確認し、肺塞栓症との確定診断にいたった。同医師は、血栓溶解剤(グルドパ)の投与を開始するとともに大動脈バルーンパンピング法や経皮的心肺補助等を実施したが、同月4日午前6時24分、Aは死亡した。

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判決

Y1市立病院とY2病院両者の注意義務違反を認める


Aの肺塞栓発症時期につき本判決は、[1]Aの臨床症状の連続性、[2]6月1日午前6時ころ以降に実施された心電図検査でT波逆転が見られること、[3]本件手術の実施とAの肥満(身長175cm、体重83kg、BMI27.1)という誘因があったことより、AがY1市立病院入院中に最初に胸部の異常を訴えた5月31日の1~2日前からとし、少なくともAが市立病院で最初に意識消失発作を来した6月1日早朝の症状は肺塞栓症によるものであると認定した。
次に、肺塞栓症の診断治療に関する医師の注意義務につき、肺塞栓症が可及的速やかな確定診断と治療開始を要し、さもなければ、死亡率が相当高くなる疾患である点を指摘して、前記所見に接した医師としては、少なくとも肺塞栓症の疑いを持つことが必要であり、かつ、それは十分可能であるとしたうえで、[1]肺塞栓症罹患の有無を確定診断すべく、それに適した諸検査(心エコー検査のほか、確定診断のための肺動脈造影検査、または肺換気・肺血流スキャン検査)を実施するか、[2]高次医療機関へ移送しなければならず、その際には肺塞栓症が疑われるとの申し送りをすることを要すると判示した。
そのうえで、Y1市立病院の過失につき本判決は、担当医師が肺塞栓症の疑いを持たなかったため鑑別診断のための諸検査を実施せず、高次医療機関であるY2病院への移送は行ったものの、肺塞栓症の疑いがあるとの申し送りをしなかったとして、前記[1]及び[2]の注意義務違反があると認定した。
さらに、Y2病院の過失につき、本判決は、Y1市立病院から提供された諸情報が肺塞栓症と矛盾する内容でなく、かつ肺塞栓症の誘引とされる事情(肥満、右膝異物除去手術)を含むものであり、Y2病院の医師もそれを把握していたこと、Aが6月1日午後10時ころ胸痛を訴えたため実施された心電図検査の結果が肺塞栓症と矛盾しなかったことから、遅くとも6月1日午後10時ころにはY2病院の担当医師は肺塞栓症を疑い、鑑別診断のための諸検査を実施すべきであったのに、6月2日朝まで肺塞栓症を鑑別対象に入れた措置をとらなかった点に前記[1]の注意義務違反があると認定した。
Y1市立病院、Y2病院ともに過失が認められた場合、両者の過失とAの死亡との法的因果関係が問題となるが、この点について本判決は、Aの死亡に近接するY2病院の過失とAの死亡との因果関係が認められることは確実であるが、だからといってY1市立病院の過失とAの死亡との因果関係が切断されることにはならないとして、Y1市立病院の過失とAの死亡との因果関係も肯定した。このような判断にいたる事情として本判決が重視したのは、Y2病院の診療は、前医であるY1市立病院の要請にもとづく後医としてのそれであり、かつY1市立病院の医師は引き継ぎに際して誤った情報を提供し、それがY2病院の過失の誘因となったという点である。
なお、原審における鑑定の結果、AがY2病院へ搬送された6月1日午前10時55分ころの時点及び同日午後10時ころの時点において、肺塞栓症を鑑別対象にした検査をさらに実施し、肺塞栓症との診断結果が得られればAの救命は十分可能であったとされている。

判例に学ぶ

非特異的な臨床症状や検査所見から、患者が罹患している可能性のある疾患を疑い、鑑別診断のための諸検査を実施する際に、肺塞栓症など診断・治療の遅れが生命にかかわる疾患を鑑別対象に加えて、除外診断のための検査を尽くしておくことが、事故防止のために必要になると考えられます。
また、高次医療機関へ患者を転送する際、前医から後医への情報提供は正確に行うとともに、後医においては、本判決が指摘するように、前医において収集された情報についてもできる限り客観的に(場合によっては批判的に)分析・検討したうえで、鑑別診断のための検査を実施していくことが、事故防止のために必要であると思われます。
なお、本事例では肺塞栓症の発症時期や原因に関する両病院の主張が鋭く対立し、患者の病理解剖が実施されていなかったという事情もあって、前記の点の認定が、きわめて困難だと判示されています。診療行為に関連した死亡の可能性がある場合、遺族の了解を得たうえで病理解剖等を実施して死因を究明すること、その結果を遺族にわかりやすく説明するとともに再発防止策を検討・実施することが、医療安全の観点から求められるでしょう。