〈争点1〉
Aに対するアドリアシン注入術の医学的適応を認める
判決は、痙性斜頚に対するアドリアシン注入術については、平成5年当時、症例報告が存在しなかったことから前例のない先端的な治療法であったとしたうえで、現在は痙性斜頚に対する標準的治療に位置づけられているボトックス注射による治療ができなかった平成5年当時においては痙性斜頚に対する標準的な治療法が確立していなかったのであるから、先端的治療法であっても、その医学的な合理性、有効性及び安全性等が認められるのであれば、当該治療法を実施するのにふさわしい高次医療機関において、しかるべき医師のもとで、そのような治療の実施が許される場合もあるとの基準を立てた。
そして、平成5年当時、アドリアシン注入術は顔面けいれんなどの不随意運動症に対する神経ブロック療法として医学的合理性及び一定の有効性が認められる治療法であったと認めたうえで、 Aの痙性斜頚は副神経の異常が関与していると考えられており、その点で顔面けいれんなどと共通していることから、Aの痙性斜頚に対してもアドリアシン注入術は一定の有効性が期待できたこと、アドリアシンが対象とする神経細胞以外の組織を損傷する危険性は理論上認め難いこと、Y1病院は高次医療機関であって、Y2医師もアドリアシン注入術に対する知識及び経験を積み重ねた医師であることを理由として、Aの痙性斜頚に対する治療法としてアドリアシン注入術の医学的適応は否定できないと判断した。
〈争点2〉
医療機関側の説明義務違反を認める
判決は、医師の一般的な説明義務に関する最高裁判所平成13年11月27日判決の「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務がある」との判断を前提に、Y2医師をはじめとするY1病院医師らには、先端的治療法であるアドリアシン注入術を実施するにあたり、患者であるAに対して、一般的に医師が説明すべき事項に加え、アドリアシン注入術の作用機序や痙性斜頚に対してアドリアシン注入術を実施することの合理性、有効性、危険性、アドリアシン注入術の治療法としての成熟度(アドリアシン注入術は、神経痛や不随意運動の症例に対する新たな治療法として発表されつつある段階であり、痙性斜頚に対しては過去に症例のない新たな試みであること)など、アドリアシン注入術についての具体的かつ詳細な説明を行うことで、Aがアドリアシン注入術の内容や位置づけについて理解したうえで、アドリアシン注入術を受けるか否かを判断する機会を与えるべき義務があったと判断した。
そして、本件においては、実施予定の手術の内容や、手術後に発生しうる主な合併症の内容や術後の経過の見込みなどの説明は行われたが、アドリアシン注入術については、副神経にアドリアシンという薬を注入し、活動性を下げる予定であるといった程度の説明が行われたにとどまり、アドリアシン注入術についての具体的かつ詳細な説明は行われなかったと認定し、Y2医師らには説明義務を怠った過失があったと判断した。
判決は、Y2医師らが説明義務を怠ったため、アドリアシン注入術の具体的内容や先端的治療法であることなどを十分に理解したうえでアドリアシン注入術を受けるか否かについて意思決定をする機会を奪われたことによるAの精神的苦痛に対する慰謝料の支払い義務を認めた。一方で、判決は、Aの痙性斜頚の症状がAに相当な苦痛をもたらしていたと言えることやAが痙性斜頚に対する手術を希望していたことなどに鑑みると、Y2医師らが説明義務を尽くしたとしても、Aがアドリアシン注入術の実施を選択した可能性が十分に存在していたと言えることを理由に、Y2医師らの説明義務違反とAの死亡との因果関係は認めなかった。