Vol.075 先端的治療法の医学的適応及び説明義務

~痙性斜頚に対しアドリアシン注入術が行われた事例~

-大阪地裁平成20年2月13日判決(平成16年(ワ)第13512号)-
協力:「医療問題弁護団」岡村 香里弁護士

* 判例の選択は、医師側もしくは患者側の立場を意図したものではなく、中立の立場をとらせていただきます。

事案の概要

本判決は、痙性斜頚の症状を呈する患者に対し行われた先端的治療法であるアドリアシン注入術(副神経と頚神経の一部に抗悪性腫瘍剤であるアドリアシンを注入し、神経の活動を低下させ、その神経の支配する頚筋の緊張を緩和させることによって痙性斜頚の症状を改善させる治療法)について、医学的適応は否定できないとする一方で、先端的治療法であることの具体的かつ詳細な説明を行っていないとして、医療機関側の説明義務違反の過失を認めた事案である。

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事件内容

患者Aは、平成3年10月に交通事故に遭い、平成4年3月ごろから頭部ないし頚部の不随意運動が出現し、同年9月ごろには斜頚の症状が出て、同年10月に痙性斜頚と診断された。
Aは同年11月からY1病院にてY2医師の診察を受け、Y2医師は投薬等の保存的治療を行ったが、Aの痙性斜頚の症状は改善せず、むしろ悪化傾向が見られた。そこで、平成5年3月に副神経減圧術が実施され、直後は痙性斜頚の症状に改善が見られたが、同年5月には副神経減圧術実施前と同程度に悪化し、増悪傾向を示すようになった。
Aは同年7月に再びY1病院に入院し、同月19日にY2医師によりアドリアシン注入術が実施された。しかし、Aの痙性斜頚の症状に改善は見られなかった。
同年9月、Aに水頭症の所見が認められたが、短絡術が実施され、水頭症は軽快傾向を示し、平成6年2月にY1病院を退院した。しかしAは同年3月に四肢麻痺状態で救急搬送され、 2度目の短絡術を実施した後も四肢麻痺は改善せず、臥床状態のまま平成15年4月に死亡した。
そこで、Aの両親であるX1、X2が、Y2医師が十分な説明を行わないまま、適応のないアドリアシン注入術を実施したため、Aは水頭症等を発症して死亡するに至ったとしてY1病院及びY2医師に対し、不法行為にもとづいて損害賠償を請求した。

争点

被告病院の応召義務違反を認める


本件の争点は、(1)適応のないアドリアシン注入術を実施した過失の有無、(2)説明義務を怠った過失の有無、であった(ほかに因果関係や水頭症の治療を怠った過失も争点となっていたが、本稿では割愛する)。
患者側は、争点(1)につき、痙性斜頚に対するアドリアシン注入術は実験段階にある治療法であり、治療の必要性、安全性及び合理性を欠くものであって、医学的適応のない実験的治療であったと主張した。また、争点(2)につき、Y2医師からはアドリアシン注入術が痙性斜頚の治療法として一度も実施された実績がないこと、アドリアシンが神経遮断薬としては未承認であってその有効性や安全性には薬事法上の保証がないことなどの説明がなく、A及びX1、X2はアドリアシン注入術が痙性斜頚の治療法として一般的に医学的な治療効果が認められているものと理解していたと主張した。
病院側は、争点(1)につき、アドリアシン注入術は、Y1病院において神経痛や不随意運動の症例に実施しており、痙性斜頚に対しても一定の効果が期待できたこと、及びアドリアシン注入術で注入されるアドリアシンは微量であるからアドリアシン注入術の実施による生命・身体に対する危険性はないことから、医学的適応のない治療であったと言うことはできないと主張した。また、争点(2)につき、Y2医師らはアドリアシン注入術の実施に際し、詳細かつ十分な説明を行ったのであって説明義務は尽くした、と反論した。

判決

〈争点1〉
Aに対するアドリアシン注入術の医学的適応を認める


判決は、痙性斜頚に対するアドリアシン注入術については、平成5年当時、症例報告が存在しなかったことから前例のない先端的な治療法であったとしたうえで、現在は痙性斜頚に対する標準的治療に位置づけられているボトックス注射による治療ができなかった平成5年当時においては痙性斜頚に対する標準的な治療法が確立していなかったのであるから、先端的治療法であっても、その医学的な合理性、有効性及び安全性等が認められるのであれば、当該治療法を実施するのにふさわしい高次医療機関において、しかるべき医師のもとで、そのような治療の実施が許される場合もあるとの基準を立てた。
そして、平成5年当時、アドリアシン注入術は顔面けいれんなどの不随意運動症に対する神経ブロック療法として医学的合理性及び一定の有効性が認められる治療法であったと認めたうえで、 Aの痙性斜頚は副神経の異常が関与していると考えられており、その点で顔面けいれんなどと共通していることから、Aの痙性斜頚に対してもアドリアシン注入術は一定の有効性が期待できたこと、アドリアシンが対象とする神経細胞以外の組織を損傷する危険性は理論上認め難いこと、Y1病院は高次医療機関であって、Y2医師もアドリアシン注入術に対する知識及び経験を積み重ねた医師であることを理由として、Aの痙性斜頚に対する治療法としてアドリアシン注入術の医学的適応は否定できないと判断した。

〈争点2〉
医療機関側の説明義務違反を認める


判決は、医師の一般的な説明義務に関する最高裁判所平成13年11月27日判決の「医師は、患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては、診療契約に基づき、特別の事情のない限り、患者に対し、当該疾患の診断(病名と病状)、実施予定の手術の内容、手術に付随する危険性、他に選択可能な治療方法があれば、その内容と利害得失、予後などについて説明すべき義務がある」との判断を前提に、Y2医師をはじめとするY1病院医師らには、先端的治療法であるアドリアシン注入術を実施するにあたり、患者であるAに対して、一般的に医師が説明すべき事項に加え、アドリアシン注入術の作用機序や痙性斜頚に対してアドリアシン注入術を実施することの合理性、有効性、危険性、アドリアシン注入術の治療法としての成熟度(アドリアシン注入術は、神経痛や不随意運動の症例に対する新たな治療法として発表されつつある段階であり、痙性斜頚に対しては過去に症例のない新たな試みであること)など、アドリアシン注入術についての具体的かつ詳細な説明を行うことで、Aがアドリアシン注入術の内容や位置づけについて理解したうえで、アドリアシン注入術を受けるか否かを判断する機会を与えるべき義務があったと判断した。
そして、本件においては、実施予定の手術の内容や、手術後に発生しうる主な合併症の内容や術後の経過の見込みなどの説明は行われたが、アドリアシン注入術については、副神経にアドリアシンという薬を注入し、活動性を下げる予定であるといった程度の説明が行われたにとどまり、アドリアシン注入術についての具体的かつ詳細な説明は行われなかったと認定し、Y2医師らには説明義務を怠った過失があったと判断した。
判決は、Y2医師らが説明義務を怠ったため、アドリアシン注入術の具体的内容や先端的治療法であることなどを十分に理解したうえでアドリアシン注入術を受けるか否かについて意思決定をする機会を奪われたことによるAの精神的苦痛に対する慰謝料の支払い義務を認めた。一方で、判決は、Aの痙性斜頚の症状がAに相当な苦痛をもたらしていたと言えることやAが痙性斜頚に対する手術を希望していたことなどに鑑みると、Y2医師らが説明義務を尽くしたとしても、Aがアドリアシン注入術の実施を選択した可能性が十分に存在していたと言えることを理由に、Y2医師らの説明義務違反とAの死亡との因果関係は認めなかった。

判例に学ぶ

被告病院の応召義務違反を認める


本判決は、先端的治療法の医学的適応の有無について、その医学的な合理性、有効性及び安全性等が認められるのであれば、当該治療法を実施するのにふさわしい高次医療機関において、しかるべき医師のもとで、そのような治療を実施することも許される場合があるとの判断を示しています。
薬剤の添付文書に形式的に反する治療法であることや先端的治療法であることのみをもって医学的適応を否定することはせず、一定の判断基準を示したうえで医学的適応を認めている点で、実施当時は標準的治療が確立されていなかった痙性斜頚という特殊な事例に対する個別の判断ではありますが、今後の参考になると思われます。
また、本判決は、先端的治療法における医師の説明義務について、医師の一般的な説明義務に加え、当該治療法の作用機序や当該治療法を実施することの合理性、有効性、危険性、当該治療法の成熟度等を具体的かつ詳細に説明する義務があると判断しています。
医師の説明義務が患者の自己決定権を保障するためのものであるとの考え方に立てば、患者には可能な限り情報が提供されるべきだということになりますが、特に先端的治療法の場合はいまだ不明な点が多く、それにともなうリスクも一般的治療にくらべて大きいものと思われますから、よりいっそう患者への具体的かつ詳細な情報提供が望まれるところです。本判決は、この点においても、参考にすべき判例であると思われます。